ルーナと魔法のクッキー

 魔法の薬を、一滴、二滴。
 さあ、おいしいクッキーをめしあがれ。

  *

 ――――おや。
 移動教室のため、教科書と筆記具を抱えて渡り廊下を歩いている時だった。中庭のほうに何気なく目をやると、数人の男の子たちがいた。
 メンバーが一人足りないけれど、生徒会の面々が揃っていた。それぞれが容姿端麗で名家の出身という、学園の人気者たちだ。
 その彼らの真ん中に、ひとりの女の子がいた。
 わたしの知らない子だ。
 何を話しているのか知らないけれど、男の子たちはきらきら眩しい笑顔を浮かべて、女の子にしきりに話しかけている。いつも無愛想な人までもが。
 めずらしいものを見たな、と思いながら、その場を去った。
 わたしは忙しいので、ぼけっと突っ立っているわけにはいかないのである。
 なにしろ六カ月ぶりの登校だから。休んでいた間のテストを受けたり、課題を提出したり、補講を受けたりしなくてはいけないのだ。



 一日の授業を終えて寮に帰ると、談話室は生徒会の話題でもちきりだった。
「どうしたの?」
 近くにいた女の子に訊いてみると、その子は「ああルーナ様、まだご存知なかったのですか? 生徒会に手伝いで入った転入生のローズって女子がいて、その子がなぜか皆にちやほやされているのです」と憤慨した様子で言った。
 わたしは昼間の光景を思い出した。
 あの子がローズだろうか。
 彼女はぷりぷりしながら続けた。
「特待生で入った平民のくせに。本来ならあの方々と口もきけない立場だってことを分かっていないのですわ」
 その言葉に周りにいた子たちが賛同して、あとはもう悪口大会だった。
(……っと、そうだ、課題しなくちゃ)
 大量に出された課題のことを思い出し、わたしは鞄を手に自室に向かった。
 ああ忙しい。


 翌日、課題に使う本を借りに図書館に行くと、かなり早い時間にもかかわらず先客がいた。その人は窓際の席に腰掛けて、分厚い本を読んでいた。銀色の髪が朝日できらきら輝いていて、とても綺麗だ。
「サフィール様、おはようございます」
「ルーナ、いつのまに退院したのだ」
 彼は驚いたように顔を上げて、微笑みかけてくれた。
「一昨日です。学校にはきのうから」
「ならばさっさと会いに来い。お前が入院中、話し相手がいなくて退屈していたのだぞ」
「ごめんなさい。あ、あと入院中はお見舞いありがとうです」
 サフィール様は向かいの席に座ったわたしに、その手をのばした。頭をぐりぐり撫でられる。わー、髪がぐしゃぐしゃになりますー。
 サフィール様はおかしそうに笑った。
「ところで、やけに早いな」
「課題で使う本を探しに。サフィール様も早いですね」
「私は人を避けるためだ」
「避けるって、誰をです?」
 首を傾げながら訊くと、サフィール様は口の端を上げて笑った。先ほどとは違って、意地の悪そうな笑い方だ。
「最近ひとの周りをうろちょろする奴がいてな。一喝しても効果がなく、ただただうっとうしいから避けているのだ」
「人気者も大変ですね」
「まぁおかげでお前と会えたのだから、悪いことばかりではない」
「社交辞令でもうれしいです」
「私が社交辞令を言うように見えるのか」
 サフィール様は本に視線を落としながら言った。
 えーっと、見えませんけれど。
「じゃあ、あの、うれしいです。ふつうに」
「ふつうにか」
「はい、ふつうに」
 わたしが頷いたときだった。
 図書室の扉が大きな音を立てて、乱暴に開けられた。
「サフィール様! こんなところにいらっしゃったのですね。早くに寮を出られたって他の人に聞いて、探しに来ちゃいました」
 それはきのう生徒会の面々に囲まれていた女の子だった。
 談話室で噂されていた子と同一人物なら、名前はたしか、ローズ。
 サフィール様は冷たい眼を彼女に向けて、愛想のかけらもない声音で言った。
「誰もお前などと会う約束はしていない。騒々しい、失せろ」
「そんな言い方ひどいです……あたしはただ、生徒会の人たちの中でサフィール様とはまだあんまりお話しできてないから、仲良くしたいと思って……」
 両手を組んでしょげたように言う女の子は、そのとき初めてわたしに気づいたようだった。
「あなた誰?」
「お前には関係ない」
 なぜか問われたわたしではなく、サフィール様が答えた。
 女の子は上から下までわたしを眺めた。
「……まさか、サフィール様の恋人、とか」
「ちがいます」
 わたしが慌てて答えるのと、サフィール様が言うのとは同時だった。
「いずれそうなる予定だ」
「えっ」
「えっ!」
 わたしと女の子が一緒に驚いた。
 女の子にぎろりと睨まれる。ぎゃん。この子はサフィール様のことが好きなのだろうか。
「さ、サフィール様、へんな冗談はやめてください」
 この発言が広まったら、学園の女子の大半を敵に回しそうである。
 するとサフィール様は、頬杖をついてわたしを見上げた。
 空色の瞳にまっすぐに見つめられて、ちょっとどきりとした。
「私が冗談を言うように見えるのか」
 えーっと、見えません。
 見えませんけれども……どう反応していいのかわかりません。
「ちょ、ちょっと! なに見つめ合ってるのよ! サフィール様はあたしのものよ!」
 怒って叫んだ女の子に、サフィール様の凍えるような視線が向けられる。
「誰が誰のものだと? 頭がおかしいのか、お前」
「あ、あたしはただサフィール様が好きで……っ」
「そのわりに生徒会の他の連中にも色目を使っているようだが。――私はお前のような女は好かぬ。理解する頭があるなら、消えてくれ。私はここにいるルーナと話がしたいのだ」
「……なっ! なんであなたにだけ効かないのよ……!」
 よくわからないことを叫んだかと思うと、女の子はもう一度わたしを睨んだ。ぎゃわ。
 それから彼女は、バタバタと足音を響かせて図書室から出ていった。
 サフィール様がため息を吐く。
「なぜ生徒会の連中があんなのに引っかかっているのか理解できぬ」
「引っかかってるんですか……?」
「見事に。四六時中あの女の傍にくっついている」
「それは、なんだか不思議ですね」
 女の子にべったり張りつくような性格の人は、ひとりもいなかったはずだけど。
「ああ、謎だ。おまけに手が足りないだなんだと理由をつけて、生徒会にまで招き入れやがって。俺一人が迷惑している」
 サフィール様のお口がちょっぴり悪くなった。
「まぁそれも今日限りだが」
「あのー、わたしまだ課題とか補講が……」
「そんなのものはどうにかしろ」
「ええー……」


 こうしてわたしは生徒会に復帰した。
 それによって、手伝いとして入っていた女の子――ローズさんは、自動的に生徒会から追い出されることになった。相当ごねたらしいけれど、サフィール様が強制退出させたそうな。
「ルーナ、当分いそがしいぞ。あの女、ろくに仕事していなかったからな」
 彼女が使っていたという、わたしの席に書類がたまっている。うわぁ、これぜんぶチェックしなきゃだめなんですか、そうですか。サフィール様は鬼だ。
「安心しろ。他のやつらにも手伝わせる。虚弱体質のお前にそこまで無理はさせられないからな」
「でも、皆またローズさんのところに行ってますけど」
「やつらの頭はどうなっているんだ」
 生徒会室の窓から、中庭が見えた。
 先日と同じように、数人の男の子たちが一人の女の子を取り囲んでいる。生徒会の面々と、ローズさんだ。
 なにやらローズさんが箱をとりだして、お菓子のようなものを彼らに配っている。
「なにあげてるんだろ……」
「さぁな。また手作りしたとかいうクッキーだろう。あの女、定期的に作って来ていたからな」
「サフィール様も食べたんですか?」
「一枚も食べてない。いつも他のやつにやっていた。よく知りもしないやつの作ったものなど、気味が悪くて食べられぬからな」
「……えっと、そうですか」
「ルーナ、いま何を隠した」
「なんでもないです、はい」
「見せてみろ」
 あわわ。やめてくださいよう。ぎゃう、取られた! むむ、手が届かない!
 サフィール様はわたしから小さな手提げ袋を奪い取ると、中身を取り出してしまわれた。ああー……。
 透明な袋に入れた、くまさん型クッキーが丸見えに。
「もしかしてお前の手作りか」
「も、もしかしなくてもそうですがなにか」
「誰のために」
「……じ、自分ですよ」
「こんなに綺麗にリボンまでかけておいて?」
「そうですよ、返して下さい……っ」
 んーっ、と唸りながら手を伸ばすけれど、サフィール様は袋を持った手を高く掲げる。なんという意地悪!
 しかもリボンを解いて、クッキーをつまむと自分の口の中に入れた。
「あっ」
「……ん、うまい」
 サフィール様はお世辞を言わない。ので、本当においしいと思っていることがわかって、わたしの頬は赤くなった。
 照れ隠しに視線をそらし、ふと窓の外を見た。
 ……ん?
「サフィール様、なんだか皆の様子がおかしいです」
「おかしいのは最近ずっとだ。あのローズとかいう女が現われてからな」
 くまさん型クッキーをさらに咀嚼しながら、サフィール様がいう。――しかし、作ってきておいてなんだけど、サフィール様にくまさん似合わないな。冷徹な美貌の持ち主が、さくさくクッキー食べているだけでも違和感があるのに。
「サフィール様も見て下さいよ、皆ふらふらして……あっレイモンドが倒れた!」
「なに?」
「え、アンリも? ジョセフも……クラウドまで!」
 驚いているのはわたしたちだけではなかった。
 窓の外で、倒れた男の子たちを前に、青ざめたローズさんがおろおろしていた。


「魔法薬を摂取しすぎたせいだろう。一日もすれば目を覚ますから、安心しなさい」
「魔法薬?」
 保健医のアーネスト先生にそう言われて、わたしとサフィール様は、ベッドに寝かされている男の子たちを見下ろした。
 みんな青い顔をして眠っている。
 サフィール様が顎に手を当てながら言った。
「魔法薬は作ることも飲むことも校則で禁じられている。この連中はアホだが、そのくらいのことは知っていたはずだ」
「そもそも何の魔法薬でしょう」
 わたしが首を傾げると、アーネスト先生が言った。
「最近の彼らの様子を思い返すとわかるんじゃないか? ああ、ルーナ、きみは入院していたのだったな。ではサフィール、きみはどうだ。彼らに起きた異変に心当たりは?」
「……」
 サフィール様はそう言われて、青ざめたまま突っ立っているローズさんを見た。
「お前、定期的に連中にクッキーを作ってきては食べさせていたな。……それは本当にただのクッキーだったのか?」
「……あ、あたし何も知らないわ!」
 ローズさんは逃げ出そうとしたけれど、サフィール様がその腕をひねりあげた。
「いたい! はなしてよ!」
「お前、やつらに魔法薬なんか盛っていたのか」
「知らない知らない! はなしてよう!」
 ぐずぐずと泣きだしたローズさんを見て、サフィール様はため息と共に手を離した。彼女の体はそのまま崩れ落ちる。
「いったい何の魔法薬を盛っていたの?」
 わたしが訊くと、ローズさんはしらを切ることを諦めたのか、鼻をすすりながら言った。
「み、魅了の魔法薬……」
「それで連中を骨抜きにしたのか」
「でも、サフィール様にはきかなかったわ……どうして……?」
 ローズさんは泣きながら、悔しそうな顔をした。
「私はお前の作ったものを一口も食べなかったからだ。まぁ、食べたとしても効かなかっただろうがな」
「どうしてですか?」
 わたしが不思議に思って訊くと、サフィール様は平然と答えた。
「魅了の魔法というのは、心に強く想っている者がいる場合、効き目がないのだ」
「そうなんですかぁ……」
 ……ん?
 ということは、サフィール様には想い人がいるってこと?
「そうなんですかぁ……」
 わたしの声は自然としょんぼりしたものになった。
「お前のことだ、馬鹿者」
「……へっ」
 サフィール様の手が、わたしの頭をくしゃくしゃ撫でた。
 あー、か、髪が。
 じゃなくて、ええー!
 わたしは顔に熱が集中するのを感じた。


 *


 一滴、二滴。
 バニラビーンズを加えて。
 わたしはおいしいくまさん型クッキーを作る。
 サフィール様がまた食べたいと言ってくれたから。
 ところで、校則で禁じられていた魔法薬を使ったローズさんは、あれから退学処分になってしまった。
生徒会の男の子たちは、すっかり魔法が抜けて、とぼとぼ校舎を去りゆくローズさんに目もくれなかった。一人の女の子にめろめろしていた彼らは、しかし元は非常に他人に厳しく、罰する相手が女の子だろうと容赦がない性格をしているのである。
 オーブンの中から、良い匂いが漂ってきた。
 出来上がったクッキーを袋詰めして、わたしは生徒会室に向かった。
「ルーナ、それなに?」
 アンリが首を傾げて見たのは、わたしが持っている手提げ袋。
「クッキーだよ」
「「「え」」」
 アンリ、ジョセフ、クラウドが変な顔をして固まった。
レイモンドが引きつった顔で言う。
「お前……、なんで今よりによってクッキーなんか持ってくるんだ」
「サフィール様に頼まれたから」
 事実をそのまま言ったら、みんなは一様にびっくり顔になった。
「サフィールが?」
「あいつ甘いもの好きじゃないのに」
「しかもなんでルーナに?」
 え、サフィール様、甘いもの好きじゃないの?
 わたしもびっくりしてしまう。
「――好きな女の作ったものを食いたいと思って何がおかしい」
 そう、耳元で声がして。
 後ろに立った人に、手提げ袋がとられる。
「えっ、好きな女って」
「サフィール、ルーナが好きだったのか……!?」
 皆はわたしとサフィール様の顔を交互に見て驚いていた。
 ぐぬぬ。
 サフィール様め。
 顔が熱くて両手で隠すしかないじゃないですか。
「どうしてこうもみな鈍いのか……私は隠したことなどないというのに」
 サフィール様はやれやれとため息を吐きながら、わたしのつむじにキスをした。
 ぎゃわー!
 人前ではやめてくださいい!




                                  おしまい

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