「月加、あんた研修旅行来ないんだって?」
廊下でクラスの違う友人、月加と遭遇した涼子(りょうこ)は、開口一番にそう訊ねた。
五月に日帰りで地元の観光地に行き、博物館などを見学したり、班ごとに自由行動したりする研修旅行があるのだが、涼子はさきほど月加との共通の友人から、彼女がそれに欠席することを聞いたのだった。
月加はわずかに首を傾げた。色素の薄い茶色の髪がさら、と肩に滑る。
「そうだけど。有里(ゆうり)から聞いたの?」
「ついさっきね。なんで行かないのよ? せっかく自由行動で四人で遊ぼうと思ったのに」
この場合、四人というのは月加と涼子、有里、それともう一人の友人のことだ。
月加がそれを聞いて呆れたような顔をする。
「涼子サン、自由行動はクラスごとに決められた班でするんでしょ?私たち、そもそも皆クラスが違うんですけど」
「そこはそれ、皆こっそりメンバー替えしてるし。それに自由行動の間中、先生たちの監視がついてるわけじゃないでしょー」
「……」
あくどい、と月加の顔には書いてあった。
「ねー、だから行こうよ。抹茶パフェ食べよう」
「なんで抹茶パフェ。――――悪いけど、私そういう行事嫌いなのよね」
月加はあっさりと言って、背を向ける。
「おいおい! 好き嫌いの問題?用事とかじゃなくて?」
「用事はないわよ。いたって暇。でも行きたくないの。涼子は涼子で楽しんでくれば。じゃあね」
「あっ、ちょっと!」
月加は涼子が呼び止めても、そのまま無視して去っていった。相変わらず、淡白な友人である。
しかし、用事がないのなら、どんな理由で学校側に欠席する旨を伝えたのだろう。学校行事は、基本的に強制参加のはずである。
あとで他の友人、月加の親戚でもある有里に聞いてみよう、と思いながら放送準備室の前を通りかかった時だった。開け放してある扉の内側から、少女達の話し声が聞こえてきた。
「……で、そういうわけだから。あ、それから二組の雪城さんね、今年もうちのお手伝いに来てくれるから。やり方は毎年のことだし、もうわかってるだろうから」
「ああ、アナウンスの交代要員ね。了解。――しかし、彼女いつも見学組だよね。体弱いんだっけ?」
気にしていた件の友人の名が聞こえ、涼子の足は当然のように止まった。「毎年」に「アナウンス」に、「見学」――――話の内容から察するに、来月行われる体育祭のことだろう。
確か体育祭のアナウンスはおおむね放送部の仕事だが、ところどころ見学組が手伝う仕組みになっていたはずだ。
涼子の盗み聞きに気づかないまま、会話が進んでいく。
「いや、違う違う。彼女はほら、足が悪いのよ。どっちだったかな、片方が。昔、車の事故で怪我してから走れないんだって」
「えっ、そうなんだ。知らなかった」
「あなた外部生だしね。初等部から一緒の子たちはほとんど知ってるわよ。歩くのも長時間だときついらしくて、体育祭とかマラソン大会とかは当然、普段の体育もいつも見学だし」
涼子も外部生と呼ばれる、中等部から入学したうちの一人だ。
だから、知らなかった。足が悪いことなんて。いつも月加が体育を欠席していることは知っていたけれど、それは単に運動嫌いなだけかと思っていた。本人も、ダルいからズル休みしてる、と言っていたし。
足が悪いなんて、月加は一言も口にしたことがなかった。それに、そんな風に見えたこともない。涼子は、ズル休み以外の理由があるなんて思ってもみなかった。
放送準備室の中の少女が言った。
「足が悪いなんて気づかなかったなぁ……。雪城さんって目立つから、クラスが違ってもよく視界に入ってたのに」
たしかに月加は校内ではわりと目立つ存在だ。本人に自覚はないようだが、存在しているだけで人目を引く。色素の薄い髪や肌の色、西洋人形のような容姿のせいか、周りとは違う独特の不思議な雰囲気を持っている。
そして、何をしていても誰と一緒にいても、周囲に溶け込むことなく浮いている。
協調性がないわけでは決してない。それどころか、人付き合いは涼子が真似したいほど上手く、円滑だ。
それでも、彼女と周囲との間には目に見えない境界線があるような気がする。
涼子は放送準備室の前から離れ、自分のクラスに向かった。
――――足のこと、どうして教えてくれなかったんだろう。
そういう思いが浮かんだが、すぐにその答えも浮かんだ。
月加は自分の弱みを進んで見せるようなタイプではないからだ。たとえどんなに親しく付き合っていても、同情される要素を見せたくはないのだろう。涼子は、どちらかといえば自分もそういうタイプだから、彼女の気持ちは理解できた。
それにたぶん、ダルいからずる休み、というのも彼女の本心なのだろう。そういう子だ。
(……車の事故か……)
研修旅行は、バス移動だ。
思い返せば、去年、秋の写生大会で遠方に行ったときも欠席していた。そのときも、移動はバスだった。
通学バスが平気なのは、距離の問題だろうか。
涼子は、月加がそういうこと全部を話せて、弱みを見せられる相手がいればいいのに、と思う。
自分がそんな相手になってやりたいとも思うが、たぶん、無理なのだろう。彼女とは長い付き合いの有里でも、もう一人の友人でも。
ほんの少しでも、本心で向き合える人に、彼女がめぐり合えればいい。
涼子は教室の扉を開けた。