傍観者 後編

 放課後になり、人が次々に教室から消えていく中で携帯電話を取り出すと、メールが届いていた。
 鞄を肩に引っかけた相馬が近寄ってくる。
「九条、校門まで一緒に帰る?」
「ああ……」
 響はメールを開きながら返事をして、そのまま動きを止めた。相馬が不思議そうに「どした」と訊いてくる。
「……いや」

『バス降りまちがえた(>_<)
今そっちの学校前』

 短い文章の内容に自然と眉根が寄ったのと同時、窓際にいる少女たちの会話が聞こえてきた。
「あれってさぁ、泉女のコ?」
「え、どこ?」
「校門前に立ってる。あれ、うちの制服と違うでしょ?」
「あー、ホントだ。あそこの制服かわいいよね。てか、何でお嬢様学校のコがうちみたいな普通の学校に」
「さぁー? なんか、誰か待ってるみたいじゃない?」
 響がすばやく返信メールを打つあいだに、相馬や教室に残っていた他のクラスメートたちも窓から外をのぞいていた。色々と楽しそうに推測しているのが嫌でも耳に入ってきて、頭が痛くなってくる。
「こっからじゃ顔がよく見えないな。なー、九条も見てみ」
「いい」
 顔なら毎日見ている。
 響は『裏門に行け』と送信した。
 すぐに返信が来る。

『足いたくなった。むり (´・ω・`)』

 響はがくっとうなだれた。
 だったら間違えて降りたとかいうバス停のベンチで、自分が迎えに行くのを待っていればいいものを。というか、この本人とは微妙に結びつかない可愛い顔文字はなんだ。
「帰ろうぜ、九条。そんで通り過ぎる時にどんなコか見よう」
「あー……」
 仕方なく鞄を手に、相馬と共に歩き出した。
 靴を履き替え、昇降口から出て校門へ向かう。
「お」
 かなり校門に近づいたところで、相馬が呟いた。
「けっこう可愛い。な、九条……」
「響」
 相馬の言葉を遮るように声をかけてきたのは、噂されていた当の本人だった。
 彼女を物珍しげに見ながら通り過ぎようとしていた周囲の人間が、いっせいにこちらを見てくる。隣にいる相馬も驚いているのが気配で分かったが、コレをいったい何と紹介すればいいのか。
 響はいったん相馬を放置して、ため息と共に彼女の元へ歩み寄った。
「つーきーかー」
 恨みを込めて名を呼ぶと、他校の制服姿で堂々と校門前に立っていた月加は、少し首をかしげた。二つに結わえている色素の薄い髪が、さらりと濃紺の制服を着た肩に滑る。
「なんで怒ってんの」
 こいつは変なところで鈍いんだよ、と響は思う。
 紗枝のこともあるし、明日は本当に色々と噂されそうである。
「お前、自分がどんだけ目立ってると」
「制服違うとそんなに目立つ? ここのとけっこう色似てるし、まぎれるかと思ったんだけど」
「全然まぎれてねぇ」
 その不思議そうな顔を見て、従兄弟が過保護気味になるのが少しだけ分かった。月加は自分の容姿に無頓着すぎる。有名なお嬢様校の制服がなくても、西洋人形のような容姿や独特の雰囲気はどこにいても人目を引いているというのに。
「そんなお前が待ち伏せていた俺は明日から噂の的だ」
「おめでとう」
「祝うな」
 お互いに淡々とした口調で冗談を言い合っていると、響は相馬に「九条クン」と突っつかれた。
「どういうご関係?」
 それが問題だ。
 相馬の質問が聞こえたらしい月加とふたり、顔を見合わせる。
 月加は響にとって『従兄弟の許嫁』であるが、それをそのまま言ってしまうのはためらわれた。彼女の学校ならまだしも、ごく普通の公立校に通う人間の口から『許嫁』などというたいそうな単語が出ては、少々違和感があるだろう。
 代わりに置き換えられる言葉を探して口を開く。
「従兄弟のカノ……」
「親戚です」
「え? なんて?」
 相馬が聞き返すのに対し、月加は真顔で繰り返す。
ただの親戚です」
 自分は別にそれでいいが、七瀬が聞いたら泣きまねか笑いながらの報復に出るだろうなと響は思った。
 相馬は少し不思議そうな顔をしたが、「親戚ねぇ」とだけ言って、やはり深くは訊いてこなかった。そういうところを響は気に入っている。
「……そういうわけだから。じゃあな相馬」
「ん、明日どんな噂になってるか楽しみだな」
「お前殴るぞ」
 相馬はけらけら笑いながら去って行った。
 それを見送る視界の端に、本間と橋本が見えた。今日は部活がないらしい。何の部活かも覚えていないが。
 本間はこちらを睨んでいた。月加のことをどう勘違いしたのか手に取るように分かる。本当に猛獣のようだった。今にも飛びかってきそうな様子である。
 橋本も顔をしかめていた。こちらは月加だけを見ながら、だけれども。
 明日もまた怒鳴りに来られたら面倒だと思ったが、やはり彼女たちには関係ないことなので今この場で説明する気は起きなかった。明日もし何か訊かれても、適当にあしらっておこうと決める。
「……じゃ、行くか」
 そう言って、響は月加の鞄を持ってやる。学校指定の鞄には中身があまり入っていないのか、それほど重くなかった。 
「自分で持てるけど」
「まあお任せなさいな」
「……じゃあよろしく」
「はいよ」
 なぜか自分には素直なところをのぞかせるのが可笑しくて、響は小さく笑った。
 きっとこれが七瀬なら、かたくなに自分で持つと言い張るのだろう。月加と七瀬は見ていて飽きない奇妙な関係だ。
 月加は七瀬の前ではわりと饒舌で表情も豊かになるのだが、そのことに自分だけ気づいていない。七瀬がやたらと彼女に構うのが、それ故なのだとも。
「ところでお前、あのメールの顔文字なに」
「ああ、あれ? 楓くんに教わって、ためしに使ってみただけ」
「あ、そう……」
 にこりともせずに言う月加と例の顔文字はやはり結びつかない。あの世話係はときどき妙なことを月加に教えている。この間もひとり母屋のテレビで、その世話係に借りたというかの有名な不思議生物が出て来るファンタジーなアニメを(一体どういう経緯で借りることになったのか不明だ)、クッションを抱え込んだまま微動だにせず食い入るように見ていたので何事かと思った。居合わせた七瀬がそれを見て携帯のカメラで撮って待ち受けにしていたが、そのシャッター音にも気づかぬ集中ぶりだった。
「お前あれ、七瀬へのメールにもつけてやったら? 喜ぶと思うけど」
「やだ。そもそもメールしないし」
 とたんに顔をしかめる。
 それでも七瀬を嫌っているわけではないことは、七瀬本人も響も知っていた。
 月加はようするに、七瀬にだけは無意識に甘えているのだ。
 そういう態度をとっても、突き放しても、その手が離れていかないことを心のどこかで分かっているから。本当の家族のように。
 月加は自分への七瀬の執着を、「ただの気まぐれ」とか「かまって遊びたいだけ」とか理由を探し出しては、絶対に自分たちの間にある絆や感情を認めようとしないけれど。
「それはそうとお前、そろそろ実家くらい一人で帰れるようになれよ」
「あんたがそれ言う?」
 月加が呆れ声で返してきた。
 響はただいま家出中の身であり、数年前から七瀬の家で厄介になっている。ようするに居候。月加と似たような立場なのである。家になど一度も帰っていない。
 本家の力――――つまり祖父と叔父(七瀬の父親)の協力をもらい、母親に黙って名門私立校から普通の公立校へ転校して以来、ほとんど絶縁状態である。仕事で海外にいる父親とは、年に二、三度くらいは連絡をとっているが。
 二人は当初の待ち合わせ場所だった駅までバスに乗り、駅からは電車に乗って二駅のところで降りた。それから目的地までは徒歩で向かったが、途中で月加の足のために公園で休憩を挟んだ。
 年に数度は顔を見せに行く約束を保護者としている月加に、これまでも何度か響は同行を求められたことがある。一人で行くと気まずいのだと言う。
「七瀬に頼んだら喜んでついて来てくれるのに」
「いや。絶対に。そんな借りをつくるようなマネ」
「俺はどうなる」
「帰りにいつもジュースおごってるじゃない」
 それを七瀬にしてやればいいだけではないのか。
 月加はときおり変な考え方をする。
 借りとか貸しとか。
 特に七瀬に対してその考え方は働くようで、いちいちそういうことを考えずに、ただ甘えればいいだけのことができないでいる。
 不器用な『ただの親戚』に、響は今日も大人しく付き合ってやる。
 …………後でいつものごとく七瀬に嫌味を言われるのを承知の上で。

back / 彼の子守歌 / next

inserted by FC2 system