知らんぷりの失敗(3)

「…………アキカワって、友達?」
「あれが俺を生徒会に誘ったうちの一人。副会長」
 え、あの茶髪ピアスで?と月加は驚く。
 どんな学校なのだ。
「他の人も、みんな友達?」
「おおむね」
「フゥン……」
 意外と賑やかな友達がいるんだな、と思いながら相槌を打って、月加は己の足元を見つめた。
「…………今、どこにいるんですか?」
「俺ならお前の隣にいるよ」
「そうじゃなくて」
 なんとなく、そのまま手を繋いで大通りの歩道を歩いていた。
 月加は自分の許婚を見上げる。
「わたしが謝ったら、」
「お前が俺に謝ることなんて何もないよ。俺が苛めている側なんだから」
 非常に憎たらしい言葉であるはずのそれは、でも月加を甘やかすものだった。
「ああそうですか。苛められているわけですか、わたしは。でもわたしはあなたに謝罪より『ぎゃふん』と言ってもらいたいですね」
「へぇ。ぎゃふん?」
「………」
 にやにや笑うのをヤメロ。月加は腹立たしくなって、七瀬を睨みつけた。
「しかし、まぁ」
 と、七瀬は前を向いて言う。
「お前を素直にするのは難しいねぇ」
「そういうわたしを期待することが間違ってるんですよ」
「そう? ――で」
「『で』?」
「言いたいことは?」
「…………………………………」
 月加は視線を逸らした。許婚は、謝罪は不要だが「戻れ」の一言は欲しいらしい。本当に今回は折れてくれない。甘やかされるのは嫌いだが、もう今回は全面的に折れてくれないものかと思う。
 だってやっぱり言いたくないのだ。でも、いつまでもこの人が帰ってこないのも困る。大義名分がいる。それだけだ。でも言いたくない。
 迷っていたら、小さく笑う声がした。
「俺はお前に会えなくて、そろそろ気が狂いそうだったよ」
 嘘をつけ、嘘を。
 ふつーに校舎から出てきて、第一声がこれまたふつーに「おや、久しぶりに見る子がいるね」だったではないか。
 よくまぁペロッと嘘がつけるものだ、と月加は呆れ返る。
「それで、どこに?」
「秋河の家」
「は、一ヶ月も?」
 それはいくらこの許婚でも、あまりにも常識外な行動だ。
「あいつの家、親が海外でね。一軒家に一人で暮らしているんだよ」
「いやだからって」
「喜んでたからいいんだよ。俺の作る食事はうまいんだってさ」
 それは知っている。この許婚は月加のためにお弁当を作ってくれることがあるから。基本的に、この人は何でも器用にやってのけるのだ。
「今日からはまた下手な自炊だから、がっかりするんじゃないかな」
「あ、そう……。…………」
 風が吹いて、街路樹を揺らした。
 本格的な秋が来る。
 少し冷たい風だった。
 自分がこの温かい手を振りほどけないのは、きっと風が冷たいせいだろうと月加は理由づけながら言った。
「わたしを甘やかすの、いい加減にやめたらどうですか」
「お前を苛めて甘やかすのは俺の趣味だよ」
 とんだ趣味である。
 甘やかされたくないと言っているのに。
 でも今回ばかりは、「戻って」などというお願いをせずに済んだので良しとする。
「今日の晩ごはんは、」
 月加はわざとふてくされたような声を出した。「すき焼きだって」
「なら、卵を割ってあげよう」
「……お返しに一回くらいはよそってあげてもいいです」
「嬉しいね」
 ふふ、と笑う七瀬の機嫌は、一体どの時点で直っていたのだろう。謎だ。
 でもそれでようやく、月加はホッと息をつく。 
「月加」
「なに?」
「お前が思っているよりもずっと、俺にはお前が必要なんだよ」
 心の奥深くを読んだかのように告げられた、唐突な言葉。返す言葉を月加は持たない。持たないふりをして、「ああそうですか」と流すように答えて手を繋いだまま家を目指した。
 許婚の家を。
 かりそめの自分の居場所を。
 きっとそれを言ったら、七瀬はまた言うだろう。
「お前の居場所はここにあるだろう」と。
 昔のように。

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