白玉アイスクリーム(5)

「最近さぁ、あんた前と違うね」
「何が」
 後ろの席のクラスメイトにそっけなく返すと。
「うーん、なんていうか嘘くささがなくなった」
「…………」
 本当にズケズケと物を言う奴だ。どこかの許嫁のようだと思いながら、七瀬は後ろを振り返った。
 やはり一番最初に目が行くのは、銀色に光る耳のピアスだった。
 髪の色はいつのまにか金髪に変わっている。
「何人だお前」
 無表情に突っ込んでやると、「ホラ、そういうとこが」と指差してくる。
 相手は口の端を上げて笑った。
「あんた前みたいに四六時中うっそくせー笑顔つくんなくなったし、言葉も前は『コイツ思ってもないこと言ってんなー』って感じるのばかりだったけど、最近はちゃんと普通に喋ってんじゃん」
「……他人を分析する暇があったら、勉強したほうがいいんじゃないの、お前」
 前回12点を平気な顔をとっていた相手は、カラカラと笑う。
「いーの、俺やればできる子だから。それより、あんた何で変わったのか知らねーけど、そういう感じのが前より好きだワ」
「気持ち悪……。お前に好かれても微塵も嬉しくないんだけど」
 七瀬は顔をしかめて本気でそう言った。
「あんた素だと超キツイね。……でもま、ヨカッタネ」
 ちょっとは楽になったでしょ、と付け加える相手の妙に大人びた笑顔こそが、何を考えているのか読めないものであることに、七瀬はようやく気がついた。
 チャイムが鳴った。
 教室に入ってきた担任が、「算数のテスト返却するぞー」と告げ、何番目かに七瀬は名前を呼ばれた。
「さすがだな。今回もよく頑張った」
 そう言われて受け取った答案用紙には、赤ペンで花丸が描かれ、100と書かれていた。いつもたいして変わらない点数と花丸に今さら感動するはずもなく、七瀬は「ありがとうございます」とにこりともせずに返事をした。
 常に笑顔で応えてきた生徒の、これまでとは違う反応に担任はちょっと不思議そうにしたが、すぐに次の生徒の名前を呼んだ。
 先ほど後ろの席の人間が言ったように、七瀬は無駄に愛想良く振舞うことは止めにした。
 誰に対してもにこやかで温厚で優しい性格の良い子ちゃんは、あの久しぶりに心の底から笑った日曜日、雑踏の中にでも消えてしまったのだろう。
 担任が、クラス全体に行き渡る大きな声で言った。
「みんな悪い点数だったからって、落ち込むことはないぞ。今回のは、ちょっと難しかったんだから」
 初等科のテストなど、難しいと言ったってたかがしれている。七瀬には簡単すぎるほどだった。
 椅子を引いて座ったとき、いつの間にか名前を呼ばれたらしい後ろの席の人間が通り過ぎていった。よく見れば制服を着崩している。髪の色やピアスといい、自分を含め良家のお坊ちゃんばかりが通うこの学校の中では完全に浮いているな、と七瀬が今さらながらに認識しながら、答案用紙をしまおうと思ったときだった。
 急に、教壇のほうで大きなどよめきが起きた。
「うそだろ」
「どうせカンニングだって……」
「え? あいつ、頭良かったの?」
 などと、クラスメイトたちの一様に困惑した声が聞こえてくる。
 誰かが高得点を出したらしい。
 教室の前のほうから、通路を挟んだ隣の席に戻ってきたクラス委員長の岬が、七瀬に話しかけてきた。
「何点だった?」
「満点」
「さすが。……てことは、今回トップは二人か」
 素っ気ないこちらの返答に対し、岬は気を悪くすることもなく、自然な口調でそう言った。
 こいつも変わった奴だな、と七瀬は思う。
 少し前までそれなりに親しくしていたクラスメイトたちは、こちらが愛想を取り払ってからというもの、『なんか変だよ』『前はもっと話しやすかったのに』『どうしちゃったの』などと困惑し、あきらかに距離を置くようになったのに。
 今では、この初等科一年のときからずっと同じクラスだった岬と――――後ろの席の派手な人間くらいしか、必要以上に話しかけてこなくなった。
 それを寂しいともつらいとも思わない。初めから好きな奴などいなかったから、むしろわずらわしくなくなって、せいせいしている。
 七瀬は少し間を空けてから、訊いてみた。
「岬は?」
「ん?」
「何点だったの」
「僕? ――あーっと、97点」
「そう。惜しかったね」
「うん」
 岬はなぜだかちょっと驚いた様子で頷いたあと、ふわりと微笑んだ。
「珍しいな」
「なにが?」
「君が人のこと訊いてくるの」
「そうかな」
「うん」
 そんな会話を交わしていると、後ろの席の派手な人間が戻ってきて、七瀬と岬の机の間で立ち止まった。
 そして唐突に、「じゃじゃーん」と言って、答案用紙をこちらに見せつけるように掲げたのだが。 
 七瀬は目を丸くした。
「ほらね、俺やればできる子デショ」
「……カンニング?」
「ひっでー! 本気出してみただけだって」
 前回12点をとった人間の答案用紙には、七瀬と同じ数字と花丸が書かれていた。
 岬がそれを覗き込み、「その下、なに書いてあんの」と訊く。
「んー? ああ、これ?愛のメッセージ」
「「…………」」
 七瀬と岬はそろって黙り込んだ。
 花丸の下には、『先生信じてた! これからはいつも本気を出そう! 授業中も寝ないでネ』と書かれていた。
「先生、あんまり無駄に期待しなきゃいいのに」
 岬が呆れたように呟くと、その答案用紙をくるくると筒状に丸めながら、持ち主は飄々とした調子で言い放った。
「そら仕方ない。だって俺、頭いいもん」
「怠け者でやる気ゼロ、本気出すのは気が向いたときのみ、だけどな。先生もそこのところをいい加減に理解すればいいのに」
 まるで共通点のなさそうな、優等生と不良そのものの正反対な二人の会話に、七瀬がわずかに興味を抱いていると、岬が教えてくれた。
「僕とこいつ、家が隣同士の幼なじみ」
「へぇ…」
 なるほど、それでずいぶんと親しげなのか。
 七瀬が納得している間に、派手な人間は鼻歌とともに後ろの席に戻った。
 じゃあ授業始めるぞ、という担任の声で、他のクラスメイトたちが自分の席についていく中で。
 七瀬は後ろを振り返った。
 今にも机に伏せて寝ようとしていた金髪頭が、「どしたん」と訊いてくる。
「それ」
「ん?」
 不思議そうな顔をした相手の机の端から、ぺろんと丸めたクセのついている答案用紙をつまみ上げ、七瀬は氏名欄を見た。新しい学年が始まって数ヶ月目、ようやくその名を覚える気になった。
 そこには意外に癖のない綺麗な字で、『秋河亮』と書かれていた。

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