「寒くなってきたね」
「そうですね」
居間にはもう大きなコタツが出されていて、月加はそこに入り込んで本を読んでいた。他には誰もいない。
なのに、カップ片手に居間に入って来た七瀬はわざわざ月加の隣に座る。
「狭いです」
「十分余裕があるよ」
穏やかな口調で言い切られるのは、いつものこと。
月加は一瞬自分が移動しようかと思ったが、せっかく温まった場所から去るのは惜しくて、結局その場でじっと本を読み続けることにした。
隣では七瀬がまったりと飲み物を飲んでいて、月加の好きな香りが漂ってくる。
いいなぁ、私も飲みたいな、と思った瞬間、絶妙のタイミングで七瀬がこう訊いた。
「飲む?」
「……」
「ひと口」
「……」
無条件で何かを与えられるのは嫌いだ。
それに、この許婚に何かをしてもらうと見返りを要求されることがあるから、注意しなければならない。
―――――でも、ひと口だけなら、まぁ飲んでもいいかもしれない。
ちらりとそう思った。
月加がわずかに迷いながら無言で七瀬の手元を見つめていると、「どうぞ」と白いカップを差し出される。
それはやっぱり良い香りで、おいしそうで。
「……いただきます」
月加は誘惑に負けてカップを受け取った。
むっとした顔を作ったまま、ひと口。
「おいしい」
思わず声に出して、ほっと微笑が零れた。
「それはよかった。気に入ったなら全部お飲み」
「え……、もういらないの?」
カップの中身は半分も減っていない。
「少し飲みたかっただけだから、後はお前にあげるよ」
そう言って、七瀬はテーブルに置いてあった雑誌に手を伸ばした。
傍にいるのに放置されるのは珍しく、月加は何を企んでいるんだと少し思ったが、誌面に視線を落とす表情はごく自然で、本当にただの気まぐれなのだと分かった。
こちらを見ない七瀬に変な安心感を抱きながら、月加はそっとカップを持ちあげて、もう一口飲んだ。
そして、ふと気づく。
(そういえば、この人ココア好きだったっけ?)
飲んでいるところなど、見たことがない気がする。
冬に、この大きなコタツを囲んで許婚一家と団欒する時、月加はたいていココアを飲む。七瀬の祖父と従兄弟はお茶を、父親はコーヒーを、母親は紅茶を、そして彼自身は……父親と同じコーヒーを飲んでいたはずだ。
(じゃあ、なんで今ココア……)
それは、あまり深く考えなくても分かった。
たぶん、うぬぼれでないのなら当たっている。
月加はあまのじゃくの負けず嫌いで、何かを無条件でしてもらうのが嫌いで。
だから、この許婚が初めから自分のためだけに作って来てくれたものは、素直に受け取れない。それこそ何か裏がありそうだと勘繰ったりして。
つまり、とても面倒くさい人間なのだ。
それをこの人はきちんと把握して、理解している。
両手で白いカップを握った。
じんわりと熱さが伝わってくる。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
小さく、聞こえないほど小さくお礼を言ったのに、隣にいる七瀬にはちゃんと届いたらしく、優しい声で返された。
きっとココアのせいだろう、耳の方まで温かくなった。
おわり??