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終章

 ある休日、ヘルムートは薄いピンク色のうさぎのぬいぐるみに、「おれニコ。よろしくな」と握手を求められていた。
「……なにこのカワイイ生き物。すごくほしい。おいクサレ魔法使い、ゆずれ」
 実はかなりの可愛いもの好きなヘルムートは、ニコともふもふ握手しながら、しかめ面で立っているレスターに言った。
「売り物じゃないんでね」
 一言そう吐き出して、レスターはニコの手をヘルムートから奪い返した。
 なんだかんだ言って、彼はニコを家族として大事にしているのである。エリスはほんわりと微笑んだ。
 四人(正確には三人と一体)は、エリスの実家とレスターの家がある小さな町――セロンの野原にいた。実家に顔を出した後、むかし遊びに来たことのあるこの野原に来たら、偶然レスターとニコが昼寝をしていたのだった。ちょうどこの後、レスターの家にも寄るつもりだったので手間が省けた。
 エリスは白くて四角い箱をニコに渡す。
「ニコ、このあいだは助けに来てくれてありがとう。はい、これおみやげのケーキだよ。王都で一番おいしいお店なんだって。あとでみんなで食べようね」
「わぁ、わぁ!おれケーキだいすきだぞ!」
 それからエリスとニコは、楽しくおしゃべりしながら野原をのんびり歩いた。
 一方、しばらくその様子を眺めていたヘルムートは、「ところで」と野原に横になっているレスターを見下ろした。
「訊きたいことがある」
「……なんだ」
「お前にとって、エリスはなんだ?」
「……はぁ?」
 なんだその質問、とレスターはうんざりした口調で言った。
「むかし庇護対象だった奴。それ以外のなにものでもない。――この際、はっきり言っておくがな、公爵様」
 琥珀色の瞳が、そこで馬鹿にしたようにヘルムートを見上げた。
「俺は全人類が滅びて、あいつとふたりきりになったとしても、あいつだけは選ばない」
「それはお前が、――エリスと血が繋がっているからか」
「……なんでそんなことを思う」
「エリスがうわごとで言ったんだよ」

 ヘルムートさま、レスターがね、レスターが、わたしの……。
 お兄ちゃんだったの……。

「寝ぼけてたんだろうよ」
 レスターはヘルムートから視線を外し、目を閉じた。
 穏やかな風が野原に吹き渡る。
「……」
「だいたいアンタ、お姫のあのぼけた父親に、他に女をつくるような甲斐性があると思うのか」
「思わないが――でも、エリスの母君と結婚する前に関係していた女性がいたとして、なにか理由があって別れていたのだとしたら」
「いようがいまいが、俺には関係ないね」
 冷たく言ったレスターの黒髪を、風が乱してゆく。
 平然としている上辺とは裏腹に、心の中も乱れていた。
 ヘルムートは相手の機嫌が悪いを察していたが、おかまいなしに言った。
「もしもそうだとしたら、ようやく納得がいく。子供の頃、どうしてそっけなくされてもあしらわれても、エリスが懲りずにお前に構ってもらおうとしていたのか……あの子は知らずお前になついていたんだ。本能的に、お前を兄弟として」
「おい、いい加減にしろ」
 目を開けたレスターは、起き上がるとヘルムートを睨みつけた。
「俺の家族はもうそこにいるうさぎだけだ」
 断言して、彼は前を向き、それきり黙りこんだ。
 もはや話す気はない、というように。
 ヘルムートは肩をすくめる。
「わかった、これ以上探りはしない。ただ気になったから、確認したかっただけだ。お前が関係ないというなら――――そうなんだろうよ」
 珍しく、本当に珍しく、彼はエリス以外の人に気を遣ってみせた。

 * * *

 星が夜空に瞬いていた。
 帰りの馬車の中で、エリスはうとうととしていた。
 少し歩きすぎたので、疲れて眠くなってしまったのだ。
「エリス、こっちにおいで」
 ヘルムートは向かいの席に座っていたエリスを抱きかかえると、自分の隣にそっとおろした。肩に栗色の頭を寄りかからせる。
 ふわふわと緩やかに波打つ髪を撫でながら、ヘルムートもまた瞼を閉じた。
「楽しかった?」
「はい、とっても……」
 ほにゃりと微笑みながら、エリスは答える。
「ヘルムートさまと一緒だから、なんでも楽しいの……」
「――……」
 ヘルムートはその言葉に思わず目を開けた。
「……あんまり可愛いこと言わないでよ。箍(たが)が外れる」
「はずしても、いいよ……」
 幼い口調で、呟かれて。
 ヘルムートは固まった。
 ……寝ぼけている。確実に彼女は寝ぼけている。
 それがわかっていながら動揺した自分は、アホだと思う。
 深いため息を吐いた。
「僕は、きみにもっと触れたくて仕方ない」
 エリスは寝てしまった。
 そう思っていた。
 腕にすがられるまでは。
「エリス、目が覚めたの?」
「あ、あの」
「うん?」
 俯いている頬が赤くなっているのが、薄暗い馬車の中でもわかった。
「ぎゅって、してください……」
「うん?――これでいい?」
 抱きしめると、エリスはふるふる首を横に振った。
「そ、そうじゃなくて、えっと」
「…………いいの?」
 エリスが何を求めているのかがわかって、ヘルムートは驚きと共に訊いた。
「途中で駄目って言っても止められる自信ないからね」
「へいきです……ほんとのお嫁さんにしてほしいから」
「だからどうしてそう可愛いこと言うかな。この場で押し倒したくなるんだけど……」
 ヘルムートはなかば本気で言った。
 でも今は。
 ただ、やさしい口づけを。


おわり








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