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第四章 秋のお祭り

(やっぱり相変わらずだ……)
 エリスはこの自分とは正反対の、強くてはっきりとした友人が好きだった。憧れているといってもいい。
「なによ、ようやく笑ったわね」
 そう言われて、エリスは自分の顔に手をやった。気づかないうちに、微笑んでいたようだ。
「エリスはやっぱり、そうして笑顔なのがいいわ」
 コレットはそう言ってにっこりと笑った。
 それからエリスは意を決して、結婚が決まってから今日までのことを、ためらいながらも全てコレットに話してしまった。
 そうしてしまえば、エリスはいくぶんすっきりとした気分になって、いつのまにか平静さを取り戻していた。
「コレット」
「――ん?」
「私、どうしたらヘルムートさまに好きになってもらえるかな……」
 エリスは心底途方に暮れて、すがるような気持ちでコレットを見つめた。彼女は何か考える素振りで椅子に深くもたれて腕を組んでいたが、その真剣な視線を受けて、ゆっくりと姿勢を正した。
「そうねぇ…。まずはあの男の真意を知らなくちゃ。手っ取り早いのは、あの男とじっくり話し合うことだけど」
 “旦那”から“あの男”呼ばわりになっていることに気づきながら、エリスはふるふると首を横に振って、その提案を拒否した。
 コレットの恐れを知らない性格が、無性にうらやましくなる。
 もし彼女がエリスの立場なら、きっとあの結婚式のときにヘルムートにその心のうちを問いただしていただろう。
 けれど、エリスはそれができなかったばかりか、今も返される答えが怖くて、ヘルムートに気持ちを確かめられないでいる。
(私のこと嫌いなのはどうして?)
(結婚するの、本当は嫌だった?)
 たくさん、訊きたいことはあるはずなのに。
「……何も言えなくなるの。ヘルムートさまのお返事や反応を想像すると、……顔を見るのも怖くなって」
「弱虫ね」
「うん……」
「でも逃げずにこの家にいるのは偉いわ」
 コレットは唇の端を吊り上げて、にっと笑う。ときどき、彼女はこんなふうに良家の子女らしからぬ言動をとるが、それが妙に似合っていて格好良いとエリスはいつも思う。
「あなたは自分で思っているよりも強いのよ、エリス。怖がらずに、向き合ってごらんなさい。私はそれが一番いいと思うわ」
「……でも」
 もう何度もヘルムートと話をしようと試みたけれど、エリスはどうしてもうまく言葉を発せられないのだ。それは時間が経てば経つほどにひどくなり、今ではもう他人行儀な会話しかできなくなってしまった。
「エリス」
 と、コレットは苛立ったように強い口調で言った。
「弱虫もたいがいにしなさいよ!」
 強いと言ったばかりなのに、彼女は己の矛盾を無視して言い切った。
「コ、コレット……」
 怒ったときのコレットは、凄まじく迫力がある。かつて一度、彼女と喧嘩をしたときもこんな感じだった。
 あのとき同様、エリスはびくびくと縮こまる。
 コレットは音を立てて椅子から立ち上がると、屋敷中に響き渡るのではないかというほどの大声で言い放った。
「あんっっなロクでもない男と結婚なんかするからウジウジ悩む破目になるんでしょうが馬鹿エリス!」
(ヘ、ヘルムートさまに聞こえていませんように)
 いつもは休日でもどこかに出かけている彼だが、今日は珍しく家にいる。エリスはその事実を今さら不思議に思った。
 倒れたのは昼前のことで、今は夕刻。ヘルムートはコレットが来たときにもいたというのだから、もしかして今日はこのまま家にいるのだろうか。
(私が倒れたから、少しは心配してくれたのかな……)
 そんな淡い期待が頭をかすめるが、エリスはすぐに否定した。
 嫌いな人間を心配して、せっかくの休日を潰したりはしないはずだ。きっと、なにか家でしかできない仕事があったとか、そういう理由に違いない。
「だから水分なくなるってば」
 コレットが呆れたようにハンカチを顔に押し付けてきた。
 ほろほろと零れる涙は、ヘルムートのことを思えば思うほどあふれてくる。コレットはそれを自分が怒ったからだと勘違いしたらしく、「病人の前で怒鳴って悪かったわ」と静かに腰を下ろした。
「でも本当に、ちゃんと話し合うことね。これ以上、自分ひとりでぐるぐる考えていたって、あなたのことだからもっと悪い方向へ行くだけよ」
「うん……」
「あの男にもそうするように言っておいてあげるから」
 エリスがよほど不安な面持ちをしたからだろう、コレットは優しく微笑むと、内緒話をするときのように顔を寄せてきた。
 そっと告げられる。
「いいことエリス?もしうまく話ができなかったら、その時はね」
 コレットはその飴色の瞳を悪戯っぽく閃かせた。
「あの浮気男の耳元で、こう言ってごらんなさい。――――『私はあなたがいちばん好き』って。そうすれば、良くも悪くも少しは事態が進展するでしょうから」
 びっくりして言葉の出ないエリスをそのままに、コレットは「じゃ、また来るわ」と言って部屋を出て行こうとする。
 そしてその間際、彼女はふと振り返って頬の赤いエリスにこう言った。
「エリス。万が一あの男がまたあなたを傷つけるようなことがあれば、そのときは私が代わりにボコボコに殴ってあげるから安心して」
 コレットはどこまでも格好良い。でも何があろうとヘルムートを殴るのは止めて欲しい、と恋する乙女であるエリスは思った。気持ちだけ受け取ることにする。
「あ、ありがとう……コレット」
「それとね」
 と、コレットは再び声を潜めて、真剣な眼差しでエリスを見つめた。
「もう駄目だと思ったら、私よりも先でいいわ、彼を呼びなさい。――――彼はあなたの守護者なんだから」


   * * *

 

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