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第四章 秋のお祭り

 道行く人々の表情もみんな明るくて楽しげだ。エリスはいま、そんな場所にヘルムートと一緒に来ているのだと思うと、本当に嬉しくなる。
 みんなコレットのおかげだ。彼女が来てくれなかったら、ヘルムートと出かけることなどできず、今ごろは沈みきった気分のままベッドの中だっただろう。
(……せっかくコレットが機会をくれたんだもの。今日こそは、……今日こそはちゃんとヘルムートさまのお気持ちを聞こう。それに、私の気持ちも伝えなきゃ……)
 エリスはつい、またそんな考えごとをしてしまっていた。
 だから、先ほどヘルムートが自分の笑顔を見て、息を呑んだことになど気づきもしなかった。
「―――エリス」
 その頬に、彼の手が触れようとしたことにも。
 ヘルムートはわずかに逡巡した後、静かに手を下ろした。
 それから、何も気づかず通りの賑わいを見ているエリスにやさしく声をかけた。
「……行こう、はぐれないようにね」
「あ…、はい…っ」
 先に歩き出したヘルムートの背中を、エリスは慌てて追った。
 二人はあっという間に人混みの中に飲み込まれる。気をつけていないと、すれ違う人とぶつかりそうだった。
 エリスはたちまち慣れないざわめきの大きさや、人の多さ、その場の熱気に圧倒される。ヘルムートはゆっくり歩いてくれているけど、今に人の波に流されて、彼を見失ってしまうのではないかと不安になった。
「ヘ、ヘルムートさま……っ」
 思わず助けを求めるように彼を呼んだ。
 その直後、エリスは前から来た見知らぬ男性とぶつかり、大きくふらついた。
「あ…っ」
 倒れる。
 そう思った瞬間、エリスはぐっと手前に腕を引かれ、厚い胸に身体ごと受け止められた。驚きながら見上げると、そこにはヘルムートの顔があった。
「きゃ…っ」
「……。人のカオ見て叫ぶの、きみの癖?」
「…ち、ちが…」
 違う、近すぎるからびっくりしただけで、嫌なわけじゃないのに。
 せっかく助けてくれたのに、ヘルムートの気分を害してしまった。
 エリスは至近距離で向き合ったまま、おろおろとした。
「ごめ、ごめんなさい…」
「……」
 ヘルムートは無言でじっとエリスの手元を見ていた。
「…あのさ」
「は、はい」
 どうしよう。怒らせてしまっただろうか、とエリスが不安に思った時だった。
「手、繋いでおこうか」
「――――え?」
「…嫌ならまあ、いいんだけど。…そうだな、代わりに僕の上着でも掴んでおく?真後ろなら誰にもぶつからないだろうし、はぐれる心配も……」
「て…っ」
「――て?」
 エリスは真っ赤になって、俯きながら言った。
「ヘルムートさま、の…手、が……いいです…」
「……あ、ああ、そう。――――なら、はい」
 ヘルムートは、エリスが胸元で握り締めていた両手のうち、左手をとって握ってくれた。
 嬉しさのあまり泣きだしそうになった。
 こんな風に手を繋いで歩くことなんて、幼い頃にもなかった。
 エリスは始終ドキドキしていて、心臓がどうにかなるのではないかと思った。彼が手を繋いでくれたのは、迷子にならないようにと、ただそれだけの理由しかないことはわかっていたけれど。それでも嬉しかった。
「エリス、見たい店があったら言うんだよ」
「はい」
「ああ、それから、疲れたらすぐ言って。休憩するからね」
「はい」
 ヘルムートはあれこれと気を遣って話しかけてくれた。エリスはその度に、熱の引かない顔を俯けたまま、小さな声で返事をした。
 正直、もう立ち並ぶ店を眺めるどころではなかった。なんだか気持ちがフワフワしていた。
(どうしよう。幸せ……)
 コレットあたりが聞いたら、「なにそのささやか過ぎる幸せ!?」と驚きそうなことをエリスは思った。
 しかし、歩き始めて少しすると、エリスの額には汗が滲んできた。
(…やだ、まだ来たばかりなのに)
 もう疲れ始めている。
 エリスは必死に気のせいだと自分をごまかしてみるが、手にも汗をかいてしまっていた。
 ヘルムートが気づかないわけがない。不快に思われていたらどうしよう。
 いったん手を離して汗を拭いてしまいたいけれど、エリスはどう言って離せばいいのか悩んでしまった。上手く説明できずに変な風にとられたら、二度と繋いでもらえなくなるかもしれないし……。
(そんなのヤダ……)
 でも汗が。
 エリスが心底困っていると、ヘルムートは彼女の手を引いて、ある店のひさしの中へと招き入れた。
 すぐさま顔を覗き込まれる。
「エリス、大丈夫?汗かいてるじゃないか」
 そう言って、彼は自分のハンカチでエリスの額を軽く拭いてくれた。繋いだ手はそのままに。
「あ…、ありがとうございます…。あの、平気です」
「さっきから顔も赤いけど、熱が出てるんじゃないの?」
「ち、ちがいます」
 あなたにドキドキしているからだとは、恥ずかしくて言えなかった。
「―――無理してない?」
「はい」
 エリスはこくこくと頷く。本当は朝から少し気分が悪かったのだが、そんなことを言ったらせっかくの外出が台なしになってしまうので、侍女たちにも隠していた。
「……きみがそう言うなら…。だけど気分が悪くなったら、本当にすぐに言うんだよ。いつもみたいに無理しないようにね」
「…は、はい」
 ヘルムートは基本的に優しいけれど、今日はいつにも増して優しい。
 本当に、嫌われてなんかないと錯覚してしまいそうになる。
 エリスは痛む胸を抑え込みながら思った。
 ―――――これが夢なら、ずっと続けばいいのに。
 

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