「ありがとうございます……」
エリスはようやくそれだけを口にした。胸がいっぱいで、それ以外の言葉は出なかった。
「ん。―――なにか他に欲しいものはある?」
エリスは小さく首を横に振った。素敵な贈り物も嬉しいが、それにも増してヘルムートが『夫』と自ら言ってくれたことが嬉しかった。―――これ以上何を望めるだろう。
エリスは喜びに口元を綻ばせた。
そのとき、老店主が皺の刻まれた顔に、人好きのする笑顔を浮かべて言った。
「おや、ご夫婦でしたか。奥さまがあまりに可愛らしいので、まだ恋人同士でいらっしゃるのかと思いましたよ」
と、彼は包装した品物をヘルムートに手渡した。
それは、悪気のない言葉だとすぐにわかる口調だった。きっと、思ったままを口にしただけなのだろう。
けれど、そうと分かっていても、今の言葉はエリスを少なからず落ち込ませた。
やはり、他人から見ても自分たちは夫婦らしくないのだ。
可愛いだなんて、先ほどヘルムートからもお世辞を言われたけれど、彼と釣り合っていないことは十分わかっている。
「ああ……」
なお落ち込むことに、エリスは、ヘルムートがその言葉に苦笑を浮かべたのを見てしまった。老店主の言う通り、エリスのことを子供っぽいと思ったのだろう。
(………ヘルムートさま、ホントは私を連れて歩くの、恥ずかしいのかな…?)
「さてと、次は何を見る?まだ時間はあるよ。――――エリス?」
「あ、はい」
しょんぼりとしていたエリスの顔を、ヘルムートは再び覗き込んだ。
「……っ」
綺麗なアメジストの双眸が、あまりにも近くから見つめてくるから。
ダメだと思ったのに、つい足が後ろへ引いてしまった。
まるで、公爵家の庭で遭遇した時と同じように。
エリスはさぁっと青ざめたが、ヘルムートは全く気にしていない様子で言った。
「やっぱり気分が悪いんだろう?顔色がさっきより悪いじゃないか」
「…だ、だいじょうぶです。平気です……っ」
エリスは休憩を取りたいと思っていたにもかかわらず、そんな風に答えてしまった。
疲れたと言えば、すぐにも家へ帰ろうと言われそうな気がして。
(ヘルムートさま、びくってしたの怒ってない…。よかった……。でも、どうしよう。休憩しないと……)
舞を見て帰るまで、持ちこたえられそうにない。
エリスがあうあうと悩んでいると、ヘルムートが言う。
「大丈夫…ねぇ。―――あんまりそうは見えないから、どこかの店で少し休もうか。熱気がすごいし、冷たいものでも飲もう」
「え…」
「嫌?」
「い、いやじゃないです」
完全に不調だと見抜かれている、とエリスは赤くなって俯いた。この数時間になんど赤面したか分からない。
でも、「帰ろう」と言われなくてよかった。
エリスがほっとしていたら、ヘルムートはそんな様子をどう見たものか、こう言った。
「エリス……。もし、いつもみたいに倒れるほど無理したら、お仕置きするからね?」
「え…っ?」
(お仕置きって……)
びっくりしたエリスは、おそるおそる視線だけを上げて訊いてみた。
「ごはん抜きとか、絵を描いちゃ駄目とか……?」
「――くっ」
とたんに、ヘルムートはそっぽを向いて、「あはは!」と豪快に笑い出した。
「え…っ、―――ヘ、ヘルムートさまぁ」
何か変なことを言ってしまったらしい。だけど、何もそんなに笑わなくてもいいのに。
(いじわる……)
恥ずかしかったけれど、エリスは胸がきゅうと締め付けられるほど嬉しかった。こんな風にヘルムートが笑ってくれるのは、いつ以来だろう。
―――――落ち込んだり、喜んだり、この人といると忙しくてたまらない。
でも、幸せだった。
エリスは、もうずっと長い間、こんな風にヘルムートと接したかったのだ。
その楽しそうな笑い声に、エリスの勇気は高まった。胸の奥から沸き起こる感情のままに、今ならば思いを伝えられそうな気がする。
彼が自分を本心では嫌っているのだと分かっても、この想いは膨らんでいくばかりなのだから。
たとえ心が通じ合うことがないと分かっていても、伝えたい。
『私はあなたがいちばん好き』
コレットのくれた言葉を思い出しながら、エリスは両手をぎゅっと握り締める。
「ヘルムートさま……!」
「ん?」
「わた、わたし……、ヘルムートさまが」
それはいつも、突然エリスに襲いかかる。
さっきまでは、確かに幸せを感じていたはずなのに。
「――――ヘルムート様」
その聞きなれぬ女性の声に、エリスの呼吸は一瞬止まった。
いつの間に現れたのか、ヘルムートのすぐ傍に、エリスの見知らぬ妖艶な女性が立っていた。
どこかの貴族令嬢だろうか、一目で上等のものだと分かる豪奢なドレスを着こなしている。
その女性は、ヘルムートが応えるより先に、豊満な胸を押しつけるようにして彼の腕に絡みついた。
妻である自分が、なかなか触れられないその人に―――――――。
エリスが茫然としている間に、女性はヘルムートの顔にその艶やかでふっくらとした唇を寄せ、嬉しそうに告げた。
「こんな所でお会いできるなんて。わたくし、あれからずっと貴方がいらして下さるのをお待ちしておりましたのよ……?」