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第五章 剣と盾

 理由もなく嫌い合うなんて……。二人がそれぞれの良い所を知ったら、きっと友達になれるはずなのに。
 自分の大好きな二人の仲が悪いのは残念で悲しくて、エリスは仲良くしてもらおうと一生けんめい間を取り持とうとするのが常だった。
 でも今は、そんな慣れていたはずの二人の険悪な雰囲気にさえ怖くて震えてしまう。
 気のせいか、今日は一段と空気がピリピリとしているのも怯えに拍車をかけた。
 ヘルムートが不機嫌なのはエリスのせいだから仕方ないのだけれど、なぜか一見、飄々としているレスターまで機嫌が悪そうだった。
(レスター…、呼んだの、迷惑だったのかな…)
 これまで彼は、助けを求めたらたいてい「やれやれ」と呆れ、時には「しっかりしろよ」と叱りながら知恵や力を貸してくれて、本気で迷惑がったり、嫌な顔をしたことはなかったのだけれど。
 結婚してからは一度も頼ってなかったから、「今さら何だ」と思われたのかもしれなかった。
(あとで、…謝らなきゃ…)
 たとえ呼びつけたから来てくれたわけではなく、たまたまこの場に居合わせただけだったとしても、『助けて』と願い、彼に迷惑をかけていることには変わりない。
(わたし…、ヘルムートさまにも、レスターにも迷惑ばかりかけてる……)
 エリスは情けなくて、拭ったばかりの目に涙を滲ませた。
 そのせいで、視界がぼんやりと霞む。
 ―――――いや、それだけではない。気がつけば、頭がふらふらとしていた。
(熱……?)
 今朝から体調が悪かったことに加え、先ほど感情を昂ぶらせたのがさらに身体に障ったのかもしれない。
 発熱を自覚したら、エリスはとたんに足に力が入らなくなり、思わず目の前のヘルムートの胸にしがみついてしまった。
(あ…っ…)
 この人に、自分は気安く触れてはいけないのに。
 エリスはすぐに手を離した。
 けれど、肩に置かれた大きな手は、身体ごと離れることを許してはくれない。それどころか、ふらついていることに気づいて、しっかりと背中を支えてくれた。
(―――――わたしには…、大事にされる資格なんてないのに……)
 結婚してからというもの、酷い態度や言葉で彼を振り回してきたあげく、『嫌い』だなんて言ってしまって……。
 そんな人間が、彼に守られるなんておかしい。
 優しくされるなんて、間違っている。
(ヘルムートさま…、もう、いいのに―――――)
 嫌いなら、優しくしてくれなくてもいい。
 彼の妻としてふさわしくない自分には、そうされる資格なんてないから。
 エリスは非力な腕で、自分を抱き込むヘルムートの身体を押し返した。
「……っ…」
 それはびくともしなかったけれど、彼はエリスの行動に厳しい眼差しを向けてくる。
「エリス、じっとして」
「や、やだ……」
 ふるふると首を横に振れば、ヘルムートは「エリス」と強く肩を抱く手のひらに力を込めてきた。
「や…っ…、痛…」
 思わずそう言うと、先ほどと同じく、彼の手からは力が失われ―――――。
 支えを失ったエリスは、ぺたんとその場に座り込んでしまった。
「あ…」
 立ち上がろうにも、弱り切った身体には力が入らない。
「―――エリス」
 まさか座り込むとは思わなかったのだろう、ヘルムートが驚いたように膝をつき、手を伸ばしてくる。
 まぎれもなく、心配されているのだと分かる様子で―――――。
 けれどその優しさは、決してエリスへの愛からくるものではない。
 同情とか、義理だとか、そういうものでしかなくて。


 本当は、厭わしく思われているのだから。


 エリスは思わず身体を強張らせてしまった。
「――――…」
 ヘルムートの手は、彼女の肩に触れる寸前でぴくりと止まった。
「―――僕が怖い?」
 それはいつかと同じ質問だった。
「わ……、わたし……」
 エリスは言葉に詰まりながら思い出していた。
 あれは確か、結婚して間もない頃。その時も、エリスは答えられなかったのだ。
 決して冷たいわけではないヘルムート。それどころか、彼は嫌っているはずのエリスに、とても親切で良くしてくれた。
 でも、それこそが怖かった。その優しさに慣れた頃、再び嫌悪の言葉を向けられたらと思うと。
 きっと今以上に、深く傷ついて、もう二度と立ち直れなくなるだろうから。
 だからエリスは、その温もりを感じまいと彼を拒否してしまう。
 何も言えぬまま身を縮こまらせていると、すっかり放置されていた先ほどの女性が、
「―――――ヘルムート様!」
 と、ざわめきを掻き消すように、甲高い声で彼を呼んだ。
「そんな子が奥様だなんて、まさか本気でおっしゃってますの…?」
 言葉に含まれた侮蔑と、視線に込められた敵意がエリスに突き刺さる。
 女性はさらに口早に続けた。
「――――信じられませんわ。こんな所に座り込むような品のない人間が、公爵夫人ですって?ヘルムート様がそのようなご冗談をおっしゃるなんて意外ですわ」
 女性はまるで信じられないとばかりに嘲りを浮かべながら、今度はエリスに直接話かけてきた。
「あなた、その無礼な態度は何?ヘルムート様に対して何様のつもりなの。あなたみたいなつまらない娘、ヘルムート様の傍には似つかわしくないわ。さっさと消えなさいな。目障りだわ」
 毒を含んだ言葉の羅列に、エリスは言葉を失う。初めて受ける敵意と侮蔑に、色を失った唇が震えた。
 何一つ言い返せなかった。その通りだったから。
 エリスは俯いて、ぎゅっと両手を握りしめた。レスターに注意されたばかりなのに、また涙が零れる。
「ヘルムート様?そんな子放っておいて、わたくしといらして下さいませ。きっと以前のように楽しい時間を――――」


「黙れ」


 初めて聞く、別人のように低い声がエリスの斜め上から聞こえた。
 驚いて思わず顔を上げると、そこに静かな怒りを纏うヘルムートがいた。
 

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