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第七章 星が宿る

(ヘルムートさまの心を、手に入れている人……?)
 そんな人がいたなんて、知らなかった。
 だって以前聞いた噂話では、彼と一夜を共にした女性たちでさえ、その心を得られないということだったから。彼には特別な存在などいないと、思い込んでいた。
(だれ……?)
 エリスは泣きそうになりながら思った。
 確かなのは、浮気されていた自分ではないということだけ。
 その特別な人は、どんな人なのだろう。綺麗で、大人びていて、健康で、明るくて……。
 エリスは自分とは正反対の女性を想像した。
 彼は、いつからその人のことを好きなのだろう。
 胸の中で、不安がどんどん膨らんでいく。
 先ほど泣く資格なんてないと思ったばかりなのに、ぱたっ、と涙が床に落ちた。ひとつ落ちると、後はきりがない。エリスは俯いてごしごしと目元を拭った。
 ふと気がつけば、温かい燭台の明かりが足元を照らしていた。濃い影が絨毯の上に伸びている。見覚えのある模様の、絨毯の上に………。
 急に静けさを感じて顔を上げてみると、そこはまた自分の部屋の中だった。セドリックたちの姿はない。
 暗闇の中で、ベッドだけが燭台の明かりにぼんやりと照らし出されていた。
 そして、そこには。
「ヘルムートさま……?」
 エリスは驚きに目を瞠る。
 彼はベッドの端に腰かけて、身体をその内側へと向けていた。頭は俯き加減になっていて、エリスの位置からは彼がどんな表情をしているのか見ることはできない。
(どうして、わたしのお部屋にヘルムートさまが……?)
 ここは過去に起きた出来事が見える世界のはずだ。
 だから、今見ている光景も実際に起きていた出来事であるはずなのだけれど、エリスの記憶では、彼がこの部屋に訪ねてきてくれたのは結婚当初だけだった。それも、初夜を除けば昼間のうちばかり。
 覚えのない光景に、エリスは戸惑った。これは一体いつのことなのだろう。本当に起きていたことなのだろうか。
 サイドテーブルに置かれている燭台の明かりが、彼の柔らかな髪をオレンジ色に染めていた。その顔は、いつまで経ってもベッドの内側だけに向けられている。
 視線の先にいるのは、エリス自身。
 ちょうど彼の方に身体の正面を向けて横たわり、眠っているようだった。
 暗闇の中に佇む方のエリスはしばらく様子を見守っていたが、彼が一向に身動きしないので、ますます戸惑った。どう見ても、彼はただ自分の寝顔を眺めているようにしか思えないのだ。
 一体なんのために、自分の寝顔なんて眺めているのだろう。
 首を傾げていたエリスは、ハッと嫌なことを思いついてしまった。
(も、もしかして、わたし変な顔で寝てるとか……それで可笑しくて見入っているとか?!)
 だとしたら、恥ずかしすぎる。
 エリスはおそるおそるベッドに歩み寄った。本当に変な寝顔だったらどうしよう。
 これは過去の出来事のはずだから、今のエリスがそんな心配をしたところで手遅れなのだけれど。どうしても気になって、ヘルムートの隣からベッドの内側を覗き込んだ。
 すると、眠るエリスは横向きに身体を丸め、真っ赤な顔で苦しそうに息をしていた。どうやら熱を出しているらしい。特に変な顔でもなくてホッとした後、疑問に思った。
 やはり、これがいつのことなのか分からない。
 熱を出して寝つくなんてことは、エリスにとっては日常茶飯事なので、何か特別なことが起きない限り判別などできなかった。
 エリスはそっと隣のヘルムートの顔をのぞき見て、そして、びっくりした。
 彼はまるで自分自身が苦しんでいるように眉根を寄せ、つらそうな眼差しで眠るエリスを見下ろしていたのだ。 
 それだけでも驚いたのに。
「あ……っ」
 視線をずらしたエリスは、あるものを見て思わず手のひらで口を覆った。
 彼の大きな手が、白いシーツの上にあった。
 それは、眠るエリスの手をしっかりと握り締めていたのだ。
 エリスは言葉もなく彼の横顔を見つめた。
 信じられなかった。
 空いている方の手で、ゆっくりと眠っている自分の額に触れる彼の、切なげな眼差しが。
 わずかに腰を浮かせて、同じ場所に唇を落とす姿が。
 熱が。
 今ここに立っている自分もまた、熱に浮かされている。信じられない。だけど信じたい。これは本当にあったことなのだと。 
 彼はもしかしたら、もしかしたら――――普通に、誰にでも分け与えているような優しさ以上のものを、自分に与えてくれようとしていたのだろうか。
 鼓動が速まる。
 そうだったら、もしも、そうなのだとしたら――――――。
 止めようもない想いが、胸の奥から熱く沸き起こってきて。
 エリスは目の前にいるヘルムートの肩に触れようと、思わず手を伸ばした。


 

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