眠りについてから、実際にはそんなに時間は経っていないはずなのに、ずいぶんと長い夢を見ていたように思う。
色んな夢だった。その一瞬一瞬に、本当に自分もその場にいたかのような、不思議な夢だった。
視線をレスターに戻して、エリスはそっと微笑んだ。
「あのね……不思議な夢を見ていたの。ヘルムートさまの夢。とても色んな、わたしが知らなかったことばかりの夢」
「……へぇ」
レスターは、気のない相槌しか返してくれなかった。
でも、その場に佇んだままで立ち去ろうとはしない。聞いてくれる気はあるようだった。
エリスは続けた。
「わたし、何にも分かってなかった。ヘルムートさまが、どんなに大事にしてくれていたか……。その夢を見て、やっと気づくことができたの」
だから、伝えに行かなければ。
知らないところで、ずっと心を砕いてくれていたことへの『ありがとう』や、それに気づかずにいたばかりか、酷い態度をとり続けていたことへの『ごめんなさい』を。
そして――――誰よりも大好きなのだと。
臆病な自分が消えたわけではない。今さらそんなことを言ったって、手遅れかもしれない、拒まれるだけかもしれないと想像しないわけでもなくて、不安や恐れに押しつぶされそうになるけれど。
それでも伝えたいという気持ちのほうが、今は勝っている。
心の底から、彼のたった一人の特別な存在になりたいと思う。
すれ違う毎日に、明け方帰ってくる馬車の音を聞くたびに、知らず知らずに諦めていた望みが、あの不思議な夢を見た後では強く胸にあふれていて、今ならば彼の前に立っても怖気づきそうな心に打ち勝って、ちゃんと胸の内を語れる気がする。
「だから、わたし……公爵家に帰る。ヘルムートさまとお話ししたいことが、たくさんあるから。今度は、逃げずに向き合いたいから」
弱虫も、泣き虫も捨て去って。
決意できたのは、あの不思議な夢の中で彼がどれほどの優しさを向けてくれていたか、大事に見守ってくれていたか、心が震えるほど思い知ったからだ。
それが、一歩を踏み出す勇気になってくれている。
「レスター……、いろいろ迷惑かけてごめんなさい。それから、ありがとう」
「お前が俺に迷惑かけることなんざ、今に始まったことじゃねぇだろ。いちいち詫びたり礼を言うな、うっとうしい」
なんとも厳しい言葉である。
でも、続く言葉は心なしか優しい声だった。
「――――体調がマシになったら、明日にでも公爵家に送って行ってやるから、今日はもう必要以上に動き回らず安静にしとけよ」
「……うん」
エリスは微笑みながら、心の中でもう一度お礼を言った。
何度も言うと、きっとレスターは本気で嫌がるから。
(ありがとう、レスター)
相談を聞く代わりに、不思議な夢を見せてくれて。
大事な答えを導き出す、手助けをしてくれて。
エリスの感謝を込めた眼差しに、レスターは居心地が悪そうに顔をしかめて、そっぽを向いてしまった。
たぶん、『魔法で過去の出来事を夢にして見せてくれたんだよね』と確かめても、彼は『何のことだ』としか言ってくれない気がする。
彼は本来、余計なお世話を焼くのが嫌いなのだ。
なのに、エリスがあまりにダメダメなので、つい望まれた以上の力を貸してしまっては、よくそういう自分にうんざりしている。
今もそうなのかもしれない。ただ相談を聞いて答えをくれるよりも、もっとずっと意味のあることをしてくれたから。
夫であるヘルムートのことは謎だらけだというのに、レスターのことは昔から不思議とよく分かる。もちろん、分からない部分もあるけれど。
『レスター、いつも何かにおこってた』
そうニコが言ったように、レスターは子供の頃から常に冷静で、感情的になるということがほとんどなかったけれど、いつもその胸の内には静かな憤りが潜んでいるみたいだった。
実際エリスは、出会った当初いまとは比べものにならないくらいキツイ言葉をかけられたし、とげとげしい態度をとられていた。
どうしてだか自分は嫌われていると感じることも少なくなかった。
それなのに、エリスは彼に近づかないようにしようとは思わなかった。臆病者のくせに、いちいち傷ついていたくせに。なぜか初めて出会った日から、彼に仲良くして欲しいと望み続けていたのだ。
そうしてしつこく歩み寄ることを諦めないでいたら、そのうちだんだんと、レスターの中に、自分に対する憤りを感じることはなくなってきて。
きっと今は、子供の頃よりはずっと好意的に見てくれているのだと思う。思い上がりかもしれないけれど、レスターに関しては、なぜだかそんなふうに前向きに捉えられる。
あの頃どうして嫌われていたのか、それはもう考えないようにしている。本人に理由を確かめたこともない。彼自身が何も言わずに抑え込んでいたものだから、きっと暴くべきではないのだとエリスは思う。
彼の心の中には、自分が触れてはいけない、入り込んではいけない領域があるのだ。
そこに踏み込んでしまえば、きっともうこんな風に、普通に話したり会ったりしてくれなくなる気がする。