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第八章 ふたつの食卓

 ――――ふと、ずっと以前の、雪の日のことを思い出した。
 目覚める直前に、エリスはその子供の日のことを夢に見たのだ。現実で起きたことと、まるで同じだった。
 一面の銀世界、まだたくさんの雪が降りしきっている中、自分の家の窓からレスターが一人で歩いているのが見えて、エリスはなんだかすごく不安にかられて追いかけた。
 そうしたら、『お前に関係ないだろ。さっさと家に戻れ』と言われて。
 でも戻れなかった。レスターがこのまま真っ白な雪の中に飲み込まれて、消えてしまうのではないか、もう二度と会えなくなるのではないか、なぜだかそんな恐怖に襲われたから。

 おいていかないで。
 ひとりにならないで、レスター。
 
 後から知ったところによると、ただ買い物に行くだけだったらしいのだが―――――その時は行く先も告げぬ彼のことが心配で、エリスは必死にくっついていこうとして見事に転んだ。雪は足首が埋まるくらい積もっていて、当たり前だがとても冷たかった。おまけに顔面から転んだから痛かった。
 前を行くレスターを追いかけているうちに体力が尽きてしまっていて、起き上がる元気もなく泣いていると、しばらくして雪を踏む足音が近づいてきた。
 レスターが引き返してきてくれたのだと分かった。
 彼は何事かを呟いて、その後、意識を失ったエリスを背負って家まで送り届けてくれた。ちなみに、それから高熱を出して死にかけたという笑えないオチがつく。
 その出来事の中で、今でも気になることがある。
 レスターが苦々しそうに呟いた言葉だ。

『――――どうして……お前みたいなのが、俺の』

 それを耳にしたエリスは、夢でも現実でも同じことを思った。幻聴か、聞き違いなのだと。そこから続く言葉が、とてもおかしかったから。
 でも、それもまた真相を確かめたことはない。気軽に確かめられるようなことではなかったし、レスターに訊いても話してくれないだろうと感じたので、送ってくれたお礼を言って以来、その日のことについて語り合うことはなかった。
 なんとなく、触れてはいけないことだと思っていた。
 なのに、どうしてレスターが見せてくれた一連の夢の中に、あの日のことも混じっていたのだろう。
 それに、いちばん最初に見た夢も他のとは違う。ヘルムートとは関係のない、レスターとそのおじいさまとが話しているだけの場面、あれは本当に―――――自分が見てもいいものだったのだろうか。
「レスター、わたし……、レスターの夢も見たの。それって」
 思い切って告げてみると、彼はそこで初めて怪訝な顔をエリスに向けた。
「………俺の何を見たって?」
「あ…え、と……」
 そのわずかに鋭い声と反応に、レスターに関する夢は彼が意図して見せてくれたものではないのだと気づく。
(あの二つは、わたしが勝手に見た普通の夢だったのかな……)
 でも雪の日の夢はともかく、いちばん最初に見た方の夢は、他と同じように彼の魔法によるものとしか思えない内容だった。
 エリスは少しためらいながら答えた。
「いちばん初めに見たのは……、レスターとアレイスターおじいさまが、たぶん、わたしの相談役を引き受けるかどうかについて話しているところで……。窓際の机の前に座っていたおじいさまに、レスターがすごく怒った様子で話しかけてた。引き受けたくない、って。でもおじいさまが、わたしのおじいさまともう話がついているからって言って……またレスターが怒って、魔法使いの掟があるから断れない、っていうような話になって……」
 思い出しながら話していると、改めておかしな夢だとエリスは思った。
 レスターが見せてくれた夢ではないとするならば、どうして魔法使いの掟などという、まるで知りもしないことまで入っていたのだろう。それも妙に具体的に。
「……変な夢だよね?」
 でも、おじいさまが出て来たのは、どんな夢でもうれしかった。本当に目の前にいるみたいで、すごく懐かしかったのだ。
 もし自分に魔法が使えたら、きっとレスターに同じ夢を見せてあげられるのにと思いながら、エリスは目を閉じてさらにその夢の細かなところまで思い出そうとした。
「お部屋もね、ちゃんと昔のおじいさまのお部屋だったよ。そこの壁に、異国風のタペストリーがかけてあって、本や魔法の道具がたくさん置かれてて。レスター、おじいさまに『おじいちゃん』って呼びなさい、って言われてて………本当に、すごく現実味があったの。――――それから、いちばん最後に見たのもレスターの夢だった。あの、雪が降っていた日……」
 と、つい口が滑ってしまった。
 今までずっと触れなかった出来事だから、そちらは黙っていようと思ったのに。
 エリスがぱちりと目を開いて、そっとレスターに視線を戻すと、彼の眉間にはくっきりとシワが寄せられていた。
 厳しい視線にごくりと息を呑む。
 それは、見るからにとても不機嫌なときの顔だった。
 言葉が続かなくなったエリスに対し、レスターはたった一言こう促した。
「―――で?」
 その一言がこんなに恐ろしいと思ったことはない。
 やはり触れてはいけない話題だったのだ、とエリスは己の失言を後悔しながら、恐る恐る口にした。
「えっと……、レスターがお買い物に行こうとしてたのを、わたしが追いかけていって、倒れたときの夢だったんだけど……。あのとき、おぶって送ってくれたんだよね。後で侍女のメアリが教えてくれて……あの……その……」
 話しているうちに、どんどんレスターの眉間にシワが寄ってきて、エリスの声は尻すぼみに消えていく。
 一瞬静まり返った室内に、レスターの深いため息が落とされた。
「お前って、やっぱり……」
 そう呟いて、彼は珍しく言葉を濁した。続く言葉がなかなか出てこない。一度口が閉じて、また開かれる。
 彼がもう一度何かを言おうと、こちらを見たときだった。

「やっほー、エリス!ちょっとは元気になったー?」

 バァン、と何の前触れもなく部屋のドアがいきおいよく開いて、明るい笑顔を浮かべた一人の少女が姿を現した。
 エリスは驚きに目を丸くする。
「こ、コレット?」
 どうしてここに。
 ふとレスターのほうを見れば、彼は先ほどまでとは比べものにならないくらい不機嫌そうな顔をして、突然の来客であるコレットを睨みつけていた。










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