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第八章 ふたつの食卓

「え、え……?」 
 どうしてそんな訊き方をするのだろう。
 やはり、そうなのだろうか。コレットではないのなら、もうレスターしかいない。まさか自分より身体の小さなニコではないだろうし。
 エリスは初めてそう思ったとき同様、泣きたくなってきた。
(やっぱりレスターに見られたのかなぁ……)
 この貧相な、ヘルムートにも見られたことのない身体を。上から下まで。
 忘れようとしていた恥ずかしさが込み上げてきて、真っ赤になりながらグスンと鼻をすすると、とたんにコレットがぶっと噴出して「あはははは」と笑い出した。
「?……なんで笑うの?」
 涙声で訊いたら。
 コレットはなおも可笑しそうにしながら、
「だ、だって勘違いしてるでしょ」
 と言った。
「かんちがい……?」
「そうよ。あなた、彼が着替えさせてくれたんだって思ってたんでしょ?」
「ち、違うの?」
「そりゃ、いくらあなたにだけは甲斐甲斐しい一面があるといってもねぇ、さすがにそんなことまではできなかったんでしょうよ。下着持ってきた時に、『ついでにお姫を着替えさせて帰れ』って言われたわ。あ、お湯で身体拭いといたのもわたしだからね?いちおう毎日来て、着替えと身体拭くくらいはしてたんだけど、あなた意識が朦朧としてたみたいだから、覚えてないでしょ。ちなみに夕べは、ウサギからお風呂に入れるくらい回復したって連絡もらったから、会いに来るのは今日に変更したの」
「そうだったんだ……」
 言葉と共に、ほーっとエリスは安堵の息を吐いた。
「だけどエリス。仮に彼がしてくれていたとしても、そんなに恥ずかしがる必要ないと思うけど。自力で起き上がれないような病人だったんだし、誰に着替えさせてもらっていようが、仕方のないことじゃない」
「でも……レスターも、いちおう男の人だし」
「まぁ、一応っていうか、あれ、れっきとした男だけど。……ふぅん、あなたって彼のこと家族みたいな認識でいるみたいだったから、そういう風には考えないんだと思ってたわ」
 息苦しそうだったから、という理由から、豊穣祭の日に来ていたドレスの背中のボタンが、自分が来る前から半分外されていたことは言うべきか言うまいか、とコレットは考えたが、結局言わなかった。これ以上イジメたら、本泣きするかもしれない。
 そんなことは全く知らず、謎が解けたエリスは笑顔でコレットにお礼を言う。
「ほんとに、色々ありがとう」
「わたしは大したことしてないわ。熱だして寝込んでいるあなたを、朝から晩までせっせと面倒見ていたのは、この家の一人と一体のほうなんだから。そっちにお礼言いなさいな」
 さらりと言ったコレットは、なんだか素敵だった。
 それから、わずかに間を空けて彼女は言った。
「で、結局……肝心の話し合いは失敗しちゃったのね」
「……うん。ごめんね、コレット。せっかくヘルムートさまと一緒に、豊穣祭に行けるように取り計らってくれたのに。ぜんぜん機会を活かせなくて……それどころか、わたし、逃げちゃって……」
 後悔したって仕方ないと分かっているのに、自分が情けなくて仕方ない。
「でも、まだがんばるのよね?」 
「――――」 
 静かな問いかけに、エリスがいつの間にか落としていた視線を上げると、コレットはその両手をとって、ぐっと起き上がらせた。
「わ……」
 栗色の、ゆるやかに波打つ髪がもつれたようになってエリスの顔にかかる。
 それをそっとよけてくれた大好きな友達の顔は、いつものように輝く笑顔で。
 エリスも同じように笑おうと思った。
 そうしたら、彼女に負けないくらい輝ける気がしたから。
「うん」
 いつになくしっかりとした返事と共に、ふわりと微笑んだエリスを見て、コレットは満足げに言った。
「すごすご敵前逃亡したままなんて、悔しいものね。それでこそわたしの親友だわ」
「ヘルムートさまは敵じゃないよ……?」
「似たようなものよ。ていうか、あなたのこと泣かせたから、ぶん殴りたくてウズウズしてるんだけど。あなたと一緒に公爵家に行って、一発くらいお見舞いしようかしら」 
「だ、だめ!」
 慌てて止めると、コレットはその飴色の瞳にちょっと呆れをにじませた。
「そう言うと思った。あなた、あの憎たらしいくらいキレーな顔、すごく好きだものね。ほら、いつだったっけ。夜会で見かけたときもぼーっと見惚れてたし」
「す、好きだけど……顔だけ好きなわけじゃ。それに、顔じゃなくても殴るなんてしないで……」
 小さな声で言いながら、エリスは全身が火照ってくるのを感じた。
 たしかに、彼の天使のように柔らかな、それでいて芯の強そうな綺麗な顔も、吸い込まれそうなアメジストの瞳も、陽の光に当たると透き通るように輝く蜂蜜色の髪も大好きだ。
 穏やかに響く声も、豊穣祭でしっかりと握ってくれた大きな手も。昔よく見せてくれた、ほんの少し意地悪そうな微笑みも。思い出したらそれだけで、きゅう、と胸が締め付けられる。
 でも、愛しいと思うのは、どうしようもなく惹かれる理由はそれだけではないのだ。
 子供の頃、泣いたら頭をくしゃくしゃと撫でてあやしてくれたこと。そのときに、とても困った顔をしていたこと。昼下がり、絵を一緒に眺めながら、とても幸せだったこと。ほとんど寝ついている自分に、愛想を尽かさず何度も顔を見せに来てくれたこと。
 結婚してからも、自分が知らなかっただけで、ずっと見守ってくれていたこと。酷い態度しかとっていなかったのに、それでもちゃんと気にかけてくれていたこと。
 そのぜんぶが愛しくて、大事で。
 エリスの必死な眼差しに、コレットはくすりと笑った。
「そうね、とっても殴ってやりたいけど、今回は我慢しておく。それであなたを泣かせたら本末転倒だもの。――――だけど、本当に不思議だわ」
「?」
「だって、きっとあなたくらいよ。彼に引き寄せられる女性たちの中で、あのキラキラな容姿だけじゃなく、難ありの中身にも本気で惚れちゃってるのは」









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