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第八章 ふたつの食卓

 * * *

 レスターから少し遅れて居間に行くと、ニコがぴょこぴょこもふもふ歩きながら、お皿やスプーンをテーブルに並べているところだった。
「あっ、エリス。もう起きてへいきか?」
「うん。――ニコ、わたしの代わりにあのシャツ洗ってくれたんだよね?ありがとう」
「そんなのおやすいごようだぞ。よごれ、ちゃんと落ちたから、あんしんしろ」
「うん」
 ちょうどそのとき、良い香りが漂ってきた。
 お腹がきゅう、と鳴く。
 エリスは真っ赤になった。掃除をして少し動いたからだろうか、珍しくお腹がぺこぺこだった。
「おなかへったら元気になったしょうこだ。よかったな、エリス。ほら、いすにすわって」
 ニコはほのぼの笑って、そう言ってくれた。
 テーブルの上には、朝と違ってちゃんとニコの分を含めた三人分の食器が用意されている。
 本当に何から何までしてもらってばかりだ。この家には使用人がいるわけではないのだから、本来自分のことはぜんぶ自分でしなければならないのに。
 エリスは自分ばかり楽をしていることが心苦しくなる。
「わたし、何にも手伝わないでごめんね……。あの、何かできることあったら……」
「そんなの気にしなくていい。エリスはやみ上がりなんだから。―――でも、どうしても気になるなら、おれおいしいスープつくったから、それ食べてかんそうくれるか?レスターはなに食べてもあんまりかんそう言ってくれないから」
 とても簡単なお願いに、エリスは一瞬きょとんとして、それから微笑んだ。
「うん」
 そこへ、台所のほうから鍋を抱えたレスターがやってきて、深めのお皿にスープを注ぎ分け始めた。もくもくと湯気が立ちのぼっている。
「レスター、髪飾り、ちゃんとしまっておいてくれてありがとう」
 そう話しかけたのに、やっぱりレスターはお礼を言われるのが嫌らしく、まったくの無反応だった。エリスは気にせずに、思いついたことを言う。
「あの、わたしも注ぐくらいならでき……」
「さっさと座れ」
 こちらを見もせずに、スパッと遮られてしまった。
 落ち込むエリスに、ニコが「気にするなエリス」と声をかけながら、ぽふんと手に触れて、台所のほうに歩いていく。
 ニコは本当に、とてもやさしい。
 エリスはその小さな背中を眺めつつ、言われたとおりに先に席に着いた。
 今日はもう必要以上に動き回らないとレスターと約束していたし、これ以上余計なことをしようとしたら、また怒られそうだったから。かわりに、明日の朝食のときに手伝おうと思った。やはり感想を言うだけなんて、申し訳なさ過ぎる。お皿を並べたり、注ぎ分けたりするくらいならできるはずだ。
 やがてレスターとニコとで食事の準備が整えられ、四つあるうちの三つの椅子が埋まった。もともと二人と一匹の暮らしだったのに、なぜ四つも椅子があるのかといえば、それは昔、ときどき訪ねていたエリスの分と猫のルイーゼの分を、レスターのおじいさまが用意してくれたからだった。
 ルイーゼは猫だけれど、ちょっと普通の猫とは違った。話しかけたら、いつも言葉が分かっているみたいな振る舞いをしたし、よく女王さまみたいに自分専用のちょっと高めに作られた椅子にふんぞり返りながら、にゃふにゃふと猫語で歌ったりしていた。
 そして、常にレスターのおじいさまと一緒だった。『ルイーゼ買い物に行くよ』とおじいさまが呼びかけたら、たたーっと傍に走り寄り、弾むような足取りで出かけていって、自分用のおやつや綺麗な敷物を買ってもらってご機嫌な様子で帰ってきていた。
 そのルイーゼ用の椅子だけが、今はぽっかりと空席だった。
 ニコはおじいさまが生きていた頃から動いていたようだから、きっとその頃からエリス用に余っていた椅子を使っていたのだろう。
 想像すると、なんだか可愛かった。魔法使いが二人に、猫とぬいぐるみが一緒のテーブルを囲んでいるなんて。
 でも、そんな光景はもう二度と見られないのだ。
 切なくなりながら、エリスはスープを口にした。
 じゃがいものスープはほんのり甘みがあって、朝食にレスターが作ってくれたとうもろこしのスープと同じくらい、とてもやさしい味だった。
「おいしい」
 思わず口元がほころんだエリスに、ニコがうれしそうに笑った。
「ニコもお料理上手なんだね」
「ん。レスターほどじゃないけどな。おじいちゃんがおしえてくれたんだ。ちなみに、そうじやせんたくは、レスターがおしえてくれたんだぞ」
 エリスはその話を興味深く聞いた。レスターは口が悪く素っ気ないが、基本的に面倒見が良いから、きっと他にも色々とニコに教えてあげたに違いない。微笑ましい気持ちになった。
 その当の本人は、聞いているのかいないのか、黙々とチーズときのこ入りオムレツを口に運んでいる。いつもどおりの素っ気ない態度だ。
 お喋りはニコとエリスばかりがしていた。
 でも、レスターもニコと二人きりのときは今みたいに聞き役に徹するのではなくて、ちゃんと会話しているんだろうなとエリスは思った。朝食のとき、自分とそうしてくれたように。
「エリス、なんだかたのしそうだ」
「え…そうかな」
 ――――そうかもしれない。
 朝食でレスターと二人のときもそうだったけれど、ニコがいるともっと楽しい。楽しくて、とても穏やかで、温かな食卓だ。
 昔、エリスはこの小さな家のことを、なにかぎゅっと大事なものが詰め込まれたおもちゃ箱みたいに感じていたけれど、おじいさまとルイーゼがいなくなってもそれは変わっていない。おもちゃ箱みたいな、宝箱みたいな、素敵な家のままだ。
 いいなぁ、とエリスは思う。
 公爵家での、静かな食卓が頭の中に蘇る。
 大きなテーブルと座り心地の良い椅子が置かれた、広くて快適な部屋。窓からは燦燦と光が降り注ぎ、毎朝摘みたての花が彩りを添えていた。並んだ食事は食べきれないくらい多くて、豪華で。給仕係がいて、壁際には侍女たちも控えていた。
 そして、同じテーブルにはヘルムートが座っていて。
 何ひとつ申し分のない食卓だった。 
 でも、それなのに、今この小さな部屋でレスターとニコの三人だけでいるよりも、ずっと寂しくて味気なかった。
(いつか……、ヘルムートさまとも)
 こんなふうに一緒に食事ができるだろうか。
 泣きたくなるほど幸せな、そんな食卓にできるだろうか。
 それは、今はとても難しく思える夢だ。
 でも、どうしても手に入れたい未来でもある。









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