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第八章 ふたつの食卓

 ちょうどそのとき、少し離れたところでお別れのあいさつが済むのを待っていてくれたレスターに、声をかけられた。
「おい、お姫。いつまで話してんだ。そろそろ出すぞ。乗れ」
 乗れと言われても、いったい何に?と思いながらエリスが振り返ると、いつのまにか、レスターの後ろに立派な馬車が停まっていた。
 ついさっき、玄関から出てきたときにはなかったのに。
 それは公爵家の馬車と同じくらい立派なつくりで、エリスはびっくりして瞬きした。
「この馬車どうしたの?」
「どうって……お前、俺がこんなもんに普段から乗っているように見えるか?このあいだと同じで、置物に魔法をかけただけだ」
「今日のはガラスの馬じゃないんだね」
 ちょっとだけホッとしながらエリスは言った。
 正直、空を翔けるのは怖かったし、このひ弱な身体には刺激が強すぎるから。
「レスター、あの、これは空飛ばないよね……?」
 そう確認すると、彼はその琥珀の瞳に意地悪な光を宿して言う。
「飛びたきゃ飛んでやるぜ」
「う、ううん、いいの。わたし普通の道のほうが好き」
「そりゃ残念」
 いじわる、とエリスはふくれる。
 ――――でも、彼もまたヘルムートと同じで、意地悪なところはあるけれど、やはりそれ以上に優しいのだ。
 レスターが無表情に差し伸べてくれた手を見て、エリスはそう思う。
 なんでも器用に作れる大きな手に、そっと白い手を重ねた。
 そうして馬車に乗り込ませてくれながら、彼は言った。
「……ところで、お前ら、よくあんなこっ恥ずかしいことを本気で言い合えるな」
「え?」
「さっき、ニコとふたりで話してただろう。人のことを、勝手に推測してべらべらと」
「き、聞こえてたの……?」
 いったいどこから?
 なんだか悪さを見咎められたみたいにドキッとしたエリスを、レスターは非常に冷めた眼で見つめ、「聞こえた」とさらりと答えた。
 この無表情は、はたして怒っているのだろうか。
「あ、あの、ごめんね、勝手に色々と……」
 そう謝ったら、彼は淡々と言った。
「“大好き”かどうかはともかく―――、あれが俺の家族である点だけは、間違ってない。じいさんもルイーゼも、そう言っていたしな」
「レスター……」
 エリスはまるで自分が認められたみたいに嬉しくなった。
 それゆえ、レスターの言い回しが一部おかしかったことには気づかなかった。
「あっ、あのね、ニコにも言ってあげて!に……」
 呼ぼうとしたのに、エリスは馬車の中にぎゅむっと押し込まれた。
「よ・け・いなことを言うな」
「だって……」
 じろりと睨まれ、エリスはしゅんとした。
 でも、すぐに笑った。
「レスター、照れてる」
 ついそう口にしてしまってから、ハッとする。
 魔法使いさんは今度こそお怒りになった。
「お姫……、この俺に二度も同じことを言わせるとは、ずいぶんいい度胸だな」
 エリスはあわあわしながら急いで言った。
「え、えっと……、も、もう余計なことは言いません」
「それでいい」
 レスターはフン、と言って馬車の扉を閉じかけて――――ふと手を止めた。
「しかしお前……、結局」
「?」
「男の趣味の悪さは変わらなかったな」
 まるでさっきの仕返しのように、ニヤリと馬鹿にしたように笑われて。 
 反論しようと思ったのに、レスターはそれより早く扉を閉め、御者台に向かった。一拍遅れてエリスは言う。
「わ、わるくなんてないもん……!」
 聞こえたかどうかは定かではない。
 でも、どうしてコレットもレスターもヘルムートのことをそんな風に言うのだろう。難があるとか、なんとか。思えばレスターは昔から悪く言っていた。そんなことないのに。
 それは、確かにちょっぴり意地悪なところはあるし、少し気むずかしいところもあるけれど。
「エリス、がんばれよー」
 ふかふかの手を振って、ニコは動き出した馬車を見送ってくれた。
 エリスは窓からちょっとだけ顔を出して、同じように手を振り返した。
 こうして、エリスはレスターの家を後にしたのだった。


 * * *
 

 自分が一緒に行くとまたややこしいことになるからと、レスターは公爵家のすぐ近くで馬車を停め、エリスを降ろしてくれた。
 間に短い休憩はとっていたものの、セロンからここまではかなりの距離だったので、長距離移動に慣れないエリスは少しだけ疲れてしまっていた。
 でも、この程度のことで弱音を吐いている場合ではない。
 屋敷は目の前に見えていた。
 エリスの軟弱な足でも、すぐに辿り着ける距離だ。
(ヘルムートさま……)
 彼はお昼前に出かけることが多いから、今ならまだ家の中にいるはずだ。レスターもそれを考慮して、朝早くの出発にしてくれたのだ。
「じゃあ……、あの……レスター、ほんとに色々」
「いいから行け。……今度は言いたいこと呑み込むなよ」
 レスターはエリスを見下ろすと、ぱちんと指を鳴らした。
 すると驚くことに、エリスは公爵家の玄関扉の前に立っていた。それも、ちゃんと足元にはトランクつきで。
 そういえば昔、近い距離だったら人をパッと消して移動させる魔法があると、レスターのおじいさまから聞いたことを思い出した。
 でもあの頃レスターは、まだその魔法が使えなかったのだ。豊穣祭のときにエリスを風に乗せて移動させたように、色々工夫しているところしか見たことがなかったので驚いた。
 エリスは馬車を停めた方角を振り返った。
 けれど、もうそこには風に揺れる樹木と、やってきた長い道が続くだけで、馬車もレスターの姿も見当たらなかった。
「……またね、レスター」
 また今度。そのときに、移動の魔法が使えるようになってすごいね、と言おう。
 そして改めてお礼を言って、結果を報告しよう。
 それが良い報告になるように、これからがんばるのだ。
 エリスは扉に向き直った。
 心臓が破裂しそうだった。
 豊穣祭の前の晩、ヘルムートの部屋を訪ねたとき以上の緊張だ。
 けれども、勇気を掴むようにぎゅっと胸元で手を握り締める。もう片方の手を、重厚な玄関扉のノッカーに伸ばしながら。
 初めに出て来るのは、執事のセドリックだろうか。それとも他の使用人だろうか。主である彼本人ということはないだろうけれど。
 泣き出したいほど怖い。
 でも、もう逃げないと決めた。
 エリスはしっかり前を見据えて扉を叩こうとした。
 ところが―――――。
 両開きの扉の片側が、エリスが叩く前に、勝手に内側から開き始めた。
「え……?」
 思わず声を上げていた。
 呆然としていると、玄関の中に立つ相手のほうが、先に口を開いた。
 よく通る綺麗な声が、小さな唇から発せられる。
「―――あら……こんにちは。うちに何か御用?」
 それは、自分と同い年くらいの、見知らぬ美少女だった。









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