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第十章 世界で一番の贈りもの

「――さあ、あたしたちが一緒に来られるのはここまでよ。この先が出口」
 そこは、ちょうど花畑とむき出しの地面との境目だった。地面の一部には、白い石が敷き詰められた舗道があって、それがえんえんと地平の彼方まで続いている。
 立ち止まったルイーゼは、振り向きながら言った。
「この先は、彼が案内してくれるわ」
 いつ現れたのだろう。
 紹介されたのは、アレイスターおじいさまと同じくらいの身長の、二本足で立つ細身のクマだった。でも、本物のクマではない。絵本でしかクマを知らないエリスでもわかった。
 だって、頭と胴体の間から肌色の首が見えていたし、身体のところどころに縫い目があった。
「にんげん……?」
 尋ねたら、にっこり顔のクマは言った。
「失礼なこと言ってんじゃねぇぞ、どう見てもクマだろうが」
 ドスの利いた声に、エリスはおののいた。
 思わずアレイスターおじいさまの服の袖をつかむ。
「お、おじいさま」
「大丈夫だよ。彼はこう見えて真面目で仕事熱心なクマだから。ちゃんとおひいさまを元の世界に戻してくれるよ」
 保障されても、にっこり笑顔のまま表情の変わらないクマは、可愛いぶん不気味だった。
「ちょっとクマ、しっかり送っていくのよ」
 ルイーゼは、中身の怖いクマにも臆せず、ばしんとその茶色の背中を叩いた。
「いてぇな。うっかり魔法使い」
「誰がうっかり魔法使いよ!猫にするわよ!」
「ここで魔法が使えるもんなら使ってみろ、若作りばばあ」
「なんですってぇ!?」
 クマとルイーゼは激しく睨み合った。といっても、一方は作り物のクマの頭を被っているので、本当の表情は分からないのだけれど。
「ホラホラ、何をやっているんだね。急がなければならないというのに」
 アレイスターおじいさまの言葉で、二人はハッとしたように空を見た。
 山のような大きなひと滴は風でかすかに震えていて、すぐにも落ちてきそうだった。
「ああ、そうだったわ。――それじゃあ、お嬢ちゃん、元気でね」
「うん……」
 頷いたけれど、エリスは一歩を踏み出すことができなかった。
 クマが苛々した調子で言った。
「オイ嬢ちゃん、なにやってんだ。行くぞ」
「……」
 どうしてだろう。
 どうして、戻ることが怖いのだろう。
 エリスの目に涙が溜まる。
「な、なに泣いてんだ」
 クマがうろたえた。
 そして何を思ったか、ニコのようにふかふかした手でエリスの頭を軽く叩く。ぽっふ、ぽっふ、と何度も。
「なに叩いてるのよ」
 ルイーゼの言葉に、クマは「あやしてんだろ」と言い返した。
 訳も言わず、ただハラハラと涙をこぼすエリスの前に、アレイスターおじいさまがしゃがみ込んだ。今のレスターと同じか、それより少し年上の姿のおじいさま。見慣れぬ姿だけれど、その灰色がかった青い瞳は、懐かしい輝きを宿していた。
「おひいさま、帰りたくないのかね?会いたい人はいない?」
「会いたい人……」
 呟いたら、ただ一人の姿が頭に浮かんだ。
 ああ、そうだ。
 唐突に、思い出してしまった。
 ――――つらい。
 とても、悲しいことがあったのだ。
「ふ……っ、え」
 ぼろぼろと、エリスの両目から涙がこぼれた。空の涙より先に、こちらが大洪水を起こしてしまった。
「うぇぇぇ……ん」
 エリスは声を上げて泣いた。
 たくさん泣いた。
 こんな風に大きな声で泣くのは、子供のとき以来だった。
 恥ずかしいとか、みっともないとか、そういうことは考えられなかった。ただ思いのままに泣いた。
 そのうちに、ルイーゼがぎゅっと抱きしめてくれたので、しがみついてまた泣いた。そうこうしていると、今度はアレイスターおじいさまにルイーゼごと抱きしめられて、とうとう終いには、クマの青年が三人を抱きしめた。
「なんだこれ」
「あはは」
 クマは自分の行動に呆れ、ルイーゼはその呟きに笑った。
 アレイスターおじいさまもクスクス笑った。
 エリスは涙を流しながら、目を閉じて、心地良い笑い声に耳をすませた。
 誰かに背中をよしよしと撫でられた。
 小さな子供になったみたいだった。
 やがて身体を離して、ルイーゼが言った。
「お嬢ちゃん。あの空の涙はね、いま一番あなたに会いたいと思っている人のものでもあるのよ」
「…………」
「あなたもその人に会いたいでしょう?」
 本当に、泣いてくれているのだろうか。
 彼が、自分なんかのために。
「ヘルムートさま……、でも、怒って」
「そりゃもう怒ってるわ、自分にね」
 ルイーゼが口の端を上げて笑う。
「……じぶんに?」
「どうしてかは、帰ってから自分で確かめなさいな」
 そう言われても、ためらいが胸の内にあって、エリスはなかなか頷けなかった。
 ルイーゼはそんなエリスを見て、言葉を続けた。
「お願いよ、お嬢ちゃん。――――レスターのためにも、戻ってあげて」
「レスター……?」
 エリスは不思議に思って、彼女を見上げた。
「あたしたちは、あの子が心配なの」
「だから、ずっと同じ場所で下を眺めていたんだよ」
 アレイスターおじいさまが、ルイーゼの言葉の先を続けた。
「あの子には、きみが必要だ」
 それは本人からの言葉でなくても、嬉しいものだった。
 エリスは涙で滲んだ目を細めて微笑んだ。
「……そう思ってくれてるといいな……。わたしにとって、レスターは大事な友達だから」
 ルイーゼがやさしい口調で言う。
「レスターも、きっとあなたを大事だと思っているわ。――――だから、どうかあの子と同じ世界にいてちょうだい。それだけでいいの」
 あたしたちにできないことをしてあげて、と囁くような声でルイーゼは言った。
「……はい」
 エリスはこくりと頷いて、それから、自分の背後を見た。
 彼方へと続く白い道。
 見上げた空には、大きな雫。
 自分の身を案じてくれている人の涙。
 クマが、エリスに向かって手を差し出してくれた。
 エリスは一度ぎゅっと目をつむってから、その茶色の手をとった。
「それにしても……運がいいわね、お嬢ちゃん」
 白い石の舗道に片足を乗せようとしたところで、ルイーゼが思い出したように言った。
 でも、エリスは何のことを言われているのか分からなくて、振り返って首をかしげる。
「ほら、あなた、あたしがレスターに遺していたお守りに触ったでしょう。これと同じ球のことよ」
 そう言って、ルイーゼが見せてくれたのは、彼女の手首で揺れるブレスレットだった。鎖の先で、青みがかった透明な球が光る。
「こっちはただの飾りだけど、アレイスターの部屋に遺しておいた方はね、触れると守護の魔法が一回だけ発動するようになっていたの。だから、心はどういうわけかこんなところに間違って来ているけど、あなたの身体はちゃんと無事だから、安心なさいな。頭打ったのに、おっきなコブひとつないはずよ」

 









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