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第十一章 天使の落下

 * * *

「うわぁ、なにこれ」
 公爵家の馬車でジーナとエリスが王城に着くと、その門前には多くの馬車が停まっていた。順番に通行許可をもらって中に入っているので、なかなか前に進まない。
「今日なんかあったっけな」
 ジーナは首を傾げた。
 彼女はまっすぐな金髪をふたつの三つ編みにして、簡素なドレスの上からフードつきの暗い色の外套を纏っている。
 一方、物珍しさに目を輝かせながら馬車の窓から外を眺めているエリスは、珍しく髪を結い上げ、うすく化粧をほどこし、きれいな淡い黄色のドレスに身を包んでいる。王宮に行くと言ったら、侍女たちがはりきって支度を整えてくれたのだ。
 身じろぎすると、栗色の髪に差した髪飾りが軽やかに揺れた。花と小鳥を模した可憐な髪飾りには、ヘルムートがエリスの瞳とおそろいで可愛いと言ってくれた翡翠がはめ込まれている。
「きれいだね、その髪飾り」
 ジーナがほめてくれた。
 うれしくて、エリスははにかみながら言う。
「ヘルムートさまが選んで買ってくれたんです……」
「あのひと性格はアレだけど、センスはあるからねぇ」
「?」
 性格がアレとはどういうことだろう。
 エリスが首をかしげていると、ようやく馬車が門番の立っているところまで進んだ。
 すると、ジーナは窓から顔を出した。
「ただいまー。お客さん連れてきたんだけど、入っていいよね?」
「これはこれは、魔法使いどの。お早いお帰りで。みな泣いて喜びましょうぞ」
「?泣いて?なんで」
 門番をしている中年の騎士はそれにはとりあわず、厳めしい顔をエリスのほうに向けた。
 片眉を上げて言う。
「あなたに同性の御友人がいたとは驚きですな」
「いいでしょ。可愛いでしょ。なんとあのヘルムートの奥さんです」
「…………下手なご冗談を」
「わたし冗談はもっとうまく言うけど」
「…………」
 エリスは暗にヘルムートに見合っていない娘だと思われている気がして、俯きかけたのだが。
 騎士は驚愕したように呟いた。
「まさかそんな馬鹿な。こんな可憐な娘があの悪魔っ子の――」
 そのむかし、さんざん第一王子とその学友にいたずらをしかけられた騎士は、「信じられない」と頭を横に振った。
「うん、気持ちは分かるけど、後ろつかえてるからもう通るね」
「ああはいはいどうぞ。いやぁ驚いた」
 そうしてエリスとジーナの乗った馬車は、ごとごと王城の中へと進んだのだった。


 王城のエントランスは、きれいに着飾った人々でごったがえしていた。
「うへ、舞踏会でもあるのかな。予定表見なきゃわかんないや」
 ジーナはにぎやかさが嫌なのか、ため息を吐く。
 こうした場に慣れないエリスはといえば、めまいを起こしそうになっていた。荘厳な城の内装も、洗練された身なりの人々も、キラキラと輝いてまばゆく見える。
「だいじょうぶ?」
「は、はい……」
 ほぼ屋敷にひきこもり状態だったエリスは、なんだか自分が場違いに思えてならなかった。衣装も化粧も侍女たちが気合をいれて支度してくれたから、おかしくはないはずだけれど、どうしたって気おくれしてしまう。
「わ、わたし変じゃないですか……?」
 思わず訊くと、ジーナは歩き出しながら言った。
「うん?普通にかわいいと思うけど。――ヘルムート仕事場にいるかな。こう人が多いと、移動してたら面倒だなー」
 そのとき、ふとエリスは誰かの視線を感じて後ろを振り返った。
 けれど、それらしき人はいなくて、気のせいだと思って慌ててジーナについていく。
 この広大な王宮内ではぐれたら、確実に迷子になる自信があった。
 しばらく歩くと、ようやく人の少ない通路に出た。歩いているのは数人だけで、皆お城のお仕着せを着ていた。そのうちの一人、すれ違おうとした恰幅の良い女性が、突然「あっ」と叫んだ。
 その視線は驚いたようにジーナに注がれている。
「じ、ジーナ様!お戻りになられたのですね!よかった!!」
「は?」
 きょとんとするジーナに対し、その人は涙ぐみながら言った。
「もう戻られなかったらどうしようかと……こんな準備までしてご当人がいらっしゃらなかったら、いくら殿下でもお気の毒ですし」
「えーと、なんの話?」
「なにって、今日はリカルド殿下とジーナ様の婚約式ではありませんか」
「…………ナンダソレ」
 なぜかジーナ本人も驚いているが、エリスもおおいに驚いた。
「ジーナさま、王子さまとご婚約なさるんですか……?」
「しないよ!もうなに言ってんだあの馬鹿!信じられない人の留守中に!どうりで今朝ヘルムートが『急な仕事が入ってるから今日は必ず城にもどれ』とか言ったはずだよ!嘘つき!」
 ぷりぷりと怒りながら、ジーナは王子とヘルムートに対する罵詈雑言を吐いた。 
 あまりの怒りっぷりにエリスはただぽかんとするしかない。
 同じく茫然としていた女性のほうは、我に返ると深々とため息を吐いた。
「まぁ、殿下ったら。また強引な手をお使いになって……」
「結婚なんかしないって何度言ったらわかるんだか!ひとのこと未来の花嫁扱いしつづけて、ほんとにもう!」
 地団駄まで踏んでから、ジーナはエリスを見た。
「ごめん悪いけど、わたしアホ――リカルドのところに行かなきゃいけなくなったから、マリエに案内してもらってくれる?マリエ、こちらヘルムートの奥さん。仕事場まで連れてったげて」
 言うなり、ジーナは駆け出した。
 あっというまに見えなくなる。








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