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第十二章 天使の落下

 男は顔を真っ赤にさせ、「覚えていろ、ヘルムート・ラングレー!」と彼を睨みつけると、乱暴な足取りで部屋を出て行こうとしたのだが。
 エリスからそっと手を離し、立ちあがったヘルムートによって足をひっかけられ、派手に転倒した。
「きっ、貴様!!」
「あのさぁ、ただで帰れると思ってんの?人の妻を泣かせといて」
 ヘルムートは起き上がろうとした男の顔を、靴の裏で思いっきり踏みつけた。男はまた転倒し、頭を床に打ちつけて呻く。
「さて、どうしてやろうかな。二度とそのアホな口がきけないように唇を縫いつけようか、それとも二目(ふため)と見られない顔にしてやろうか……」
「ひっ……」 
 目が本気だった。
 男は恐れに身を震わせた。
 けれど。
「ヘルムートさま……も、いいです……」
 エリスは後ろから彼に抱きつくと、きゅっとその上着を握った。
「もう、いいんです……」
「エリス」
 本当のことがわかったから。
 あの結婚式の日の、本当のことが。
 彼は自分を貶める言葉に、同意したわけではなかったのだ。それがわかって胸のつかえがすべてとれた。
 だから、もうこの男のことはどうだってよかった。
「でもさ、――きみ一発殴っとく?」
「え、い、いいです……」
「そう?」
 ヘルムートはつまらなさそうに言って、ようやく足を男からどかした。
 そのとたん、男は逃げるように部屋から出て行った。
「で、本当に何もされなかったんだよね?」
「……あの、えと」
 涙を舐められたことを、エリスは恥ずかしそうに白状した。
「…………ああそうなんだ。わかった」
 かわいそうに、とまなじりに口づけられる。
 その目がやっぱり笑ってない。
「あいつの家潰しちゃおうかな」
「え」
「冗談だよ」
 あんまり冗談には聞こえなかった。
「他には何もされてない?」
「だいじょうぶです……ニコがきてくれて……あれ?」
 振り返って、ニコがいた場所を見てみたけれど、そこに少年の姿はなかった。
 いつのまに消えたのだろう。
「ニコって?」
「レスターのうちの子です。今度紹介しますね」
「いや別にいいけど……。あいつ今一人暮らしじゃなかったっけ?」
 ヘルムートは不思議そうな顔をした後、そういえば、と言った。
「エリス、王宮に来るなんて何か急用でもあった?」
「あ……えと」
 エリスは言葉につまった。
 いま「好き」だと、もう一度告げたら。
 彼はちゃんと信じてくれるだろうか。
「えっと、あの……」
「うん」
 エリスは勇気をふりしぼった。
「すきです……!」
「……うん、えーっと、ありがとう。僕も好きだよ」 
 ヘルムートはエリスの頭を撫でた。
「でも、今朝も言ったけど、無理して気を遣わなくていいよ」
「無理なんて……」
 やっぱり、なぜだかちゃんと伝わっていない。
 エリスは泣きたくなった。
 しょんぼり落ち込むエリスをそれ以上追求せず、ヘルムートはかわりにこんな提案をした。
「そうだ。せっかく王宮に来たんだから、僕と一緒にリカルドの婚約式に出てみる?」
 ――――こうして、エリスは初めて公の場に、ヘルムートと共に出ることになった。








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