十五歳の読書録C

「十六歳以下の子にこういうものが普及しているのはどうかと思う」
「………なんだ急に」
 ベッドの上で三人の少女とたのしく遊んでいた王子さまは、突然部屋に入ってきたヘルムートに呆れた声を出し、投げ寄越された青い装丁の本に目をやった。その間にあられもない姿の少女たちは、衣服をかき集めて真っ赤になりながら一目散に逃げていく。
「誰も見やしないのに。そんなもの」
「乱入してきた挙句に失礼な奴だな。……やれやれ、これから楽しくなるところだったのに」
 リカルドはごろんと横たわって肘つきをし、そこに頭を乗せた。
「で、これが何だって?」
 と、真横にある青い本を顎で示す。
 ヘルムートは静かになった部屋を横切ると、ベッドに腰かけて足を組み、口を開いた。
「僕のエリスがさ」
「いつお前のになったんだ?ティアーズ伯爵令嬢は」
「うるさいな。細かいことを気にするな。妹も同然の子だから、僕のでいいんだよ」
「お前じつは鈍いのかヘルムート」
「僕の剣の腕前を知っていてよく言う」
「そっちの鈍いじゃない……。なんでそれだけ独占欲全開で自覚がないんだ……?まあ、今はもういい。で?」
 いっこうに話が進まないからか、リカルドは話題を戻した。
「そう、僕のエリスがそれを読んでたんだ」
「………で?」
「それだけ」
「お前は馬鹿か?」
 ヘルムートは生まれて初めてその言葉を使われた。
 あまりの新鮮さに瞬きする。
「まさかそう言われる日が来るとは思わなかったよ」
「そうだろうな。俺もお前に言う日が来るとは思わなかった」
 リカルドはどうやらちょっと機嫌が悪いらしい。いつもご機嫌なこの王子さまにしては、珍しいことである。それは遊び相手の少女たちを逃したからではなく、別の相手が理由だろう。
「また振られたのか」
「また言うな」
 図星だったようだ。
 金髪に青い瞳の、整った顔立ちの第一王子には、昔から好きな女の子がいる。しかし相手は、難攻不落の要塞のように彼を拒み続けていた。
 昔、白いバラの日に、うまいこと彼女を騙してせしめたバラを、枯れてなお部屋に飾っていたことを思い出す。意外にロマンチストで、可愛げのあることをするのだ、このはた迷惑であくどい性格の友人は。
「俺のことよりお前の話だ、ヘルムート。それで、何でその本が問題なんだ」
「だから、エリスにはまだ読ませたくないんだよ。こういういかがわしいものはさ」
「いかが……。お前、そこそこ遊んでるくせによくそういう台詞を真顔で吐けるな。だいたいそれはただの恋愛小説だ。世間一般の娘はみんな読んでる。むしろ流行に敏感でいいじゃないか。田舎に引っ込んで一日寝込んでいる娘にしては上出来だ」
 よく分からない賛辞である。
 ヘルムートは眉間に皺を寄せた。
「分かってないな、リカルド。エリスは世間一般の子とは違う。箱入りの箱に入った箱入り娘なんだ。薄汚れた妄想小説なんか読ませて箱が崩壊したらどうするんだ」
「いや、どうするんだと言われてもな……。すまん、俺にはお前の言うことが理解できん。こんなことは初めてだ」
「友情の終わりだな、リカルド」
「お前が俺に友情を感じていたこと自体いま初めて知ったが」
「ともかくちょっと規制かけてくれ。十六歳以下、閲覧禁止、で」
 ヘルムートはそう言うと立ち上がった。
「まあ、確かにな……」
 と、寝転がったままリカルドは表紙をめくる。「こっけいな創り話ではある」
「笑い転げてたくらいだから、そうだろうね」
「しかし、いかがわしいというほどの描写が出てきた覚えは…………」
 言いかけて、リカルドのページをめくる手が止まった。
「おいヘルムート、まさかとは思うがコレか」
 彼が掲げたページを確かめ、ヘルムートは「あ、それそれ」と頷く。
 そこには抱き合ってキスする恋人たちの挿絵があった。本文にも、そういう描写がきちんと出て来る。乙女思考全開の恋愛小説なのだから、仕方がない。
 昨日エリスがしおりを挟んでいたのは中盤にさしかかったところだったので、まだ終盤のそこまでは目を通していないはずだ。それに彼女は、よほど気になる挿絵でなければ、ヘルムートがあげた童話のように、本文も読まずに先に挿絵だけ見たりはしない。この恋愛小説の挿絵はあまり彼女の趣味ではないし、おそらくまだ見ていないはずだ。
「ヘルムート……お前、自分が異常に過保護で溺愛している自覚がほんとうにないのか?」
「あるよ。かわいがってる自覚くらい。当然だろう。じゃなきゃ何度もこの僕が会いに行ったりはしないさ」
「自覚するポイントがずれてるとは思わんのか……」
「どこもずれてないさ」
「……もういい」
 リカルドは疲れたように突っ伏して、出て行け、と言わんばかりに片手を振った。

   * * *

「あ、あのね、コレット。この間の本ね、あの、知り合いの人が、代わりに図書館に返しておくからって言って、持って行っちゃったの。ご、ごめんね……?」
「え!?私まだ読んでないのにっ!どこの馬鹿よそいつはっ」
 なに人の本勝手に返してくれてんの!?と憤慨するコレットを前に、エリスはおろおろした。思わずくすんと涙ぐむ。
 自分に怒っているのではなく、「知り合いの人」に怒っているのだとしても、怒れるコレットの迫力は圧倒的だ。びくびく身を竦ませる。
 前々からヘルムートのことをコレットに紹介したいと思って機会を窺っていたのに、これでは言うに言えない。ちなみに彼の方は、コレットの存在を知っているのだけど。
 エリスは「と、年上の、おとうさまのお友達の子……」とだけ言って口をつぐんだ。
(ヘルムートさまのばか……)
 でも代わりに持ってきてくれた童話は、本当に嬉しかった。正直、コレットの貸してくれた大人の恋愛小説は、大人すぎてよく分からなかった。感情移入ができなかったのだ。
「ごめんね、コレット」
 謝りながら、でも、とふと思う。
(どうしてヘルムートさまは、とつぜん本を貸してくれたんだろう?)



おわり

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