お出かけと白クマ 前編

 エリスは、白クマのぬいぐるみをじっと見つめた。
 白クマのぬいぐるみも、エリスをじっと見つめていた。
 小さな子供ほどの大きさのそれは、椅子の上にちょこんと座っている。微笑んでいるような口元に、つぶらな瞳。フカフカの首には水玉のリボンを巻いていて、とても可愛い。
(ニコとおんなじくらいの大きさかなぁ。かわいい……お部屋にいたらいいな……)
 長椅子かベッドの上に座らせて、時々ぎゅっと抱きしめたい。頬ずりしたら、きっと気持ちがいいだろう。
 エリスはしばし自分の部屋にいる白クマを想像し、それから名残り惜しげに白い毛に触れ、椅子の前から離れた。
 人で賑わう広い店内を、きょろきょろと見回す。
(ヘルムートさま、まだ奥のほうにいるのかな)
 今日は二人でお出かけの日。
 一番初めに行ったのは画廊で、素敵な絵をたくさん眺めた。次に少し休憩して、お茶を楽しんだ。甘くておいしいケーキつき。
 それから、ヘルムートはエリスをこの店に連れてきてくれた。女の子が好むような可愛らしいものや、綺麗なものばかりを揃えた店に。
 彼はしばらく一緒に商品を眺めていたが、途中で「奥のほうにいるね」と言って離れた。ずっと手を繋いでくれていたのが、それでいっとき離れてしまって、エリスはさみしかった。
 でも、えんえんと手を繋いでいたい、なんてワガママは言えなかった。一緒にいたいから、わたしも奥のほうに行きます、とも。一人でゆっくり眺めたいと彼が思っているのなら、迷惑になるから。
 そうしてエリスは、慣れない外出で心細いのを我慢して、ひとり白クマを眺めていたのだけれど。
 もうそろそろいいかなぁ、とエリスは旦那さまを捜すことにした。
 女性客で賑わう店内を、奥の方に進んでいく。みんな友達同士で来ているようで、楽しげに会話していた。男性客は一人も見当たらない。
(あ、あれ……?)
 エリスは足を止めて、またきょろきょろと店内を見回した。
 店の奥まで行ったのに、そこに彼はいなかった。
 広い場所だし、人も多いから、すれ違っても気づかなかったのだろうか。
 少し不安になりながら、エリスはあちこち動き回ってみた。
 でも、いるのは見知らぬ女性たちばかりで。
(……ヘルムートさま、いない……)
 どこに行ったのだろう。
 先に店の外に出てしまったのだろうか。
 エリスは慌てて出入り口を目指した。
 ところが。
「……」
 外に出てみても、捜していた人の姿はどこにもなくて、ついでに乗って来た馬車も消えていた。
 置いてきぼり、という言葉が頭の中に浮かんだ。
(ヘルムートさま……、わたしのこと、忘れて帰っちゃった……?)
 一緒に出かけるなんて珍しいことだから、ありえなくはない。一人で商品を見ているうちに、大人しい妻のことなどポッカリ頭から消えてしまったのだろう……。
 エリスは激しく落ち込んで、涙目になった。
 なんだか、とても恥ずかしくて情けない。夫に忘れられる妻っていったい。自分はそんなに影が薄いのだろうか。
 ぐすん、と鼻をすする。
 そうして、しばらくその場に突っ立っていたが、いつまでもそうしていたって仕方ないので、エリスはぼやける視界を何とかしようと手の甲で目をこすった。小さな子供みたいに泣くのは、もうやめなくては。
 しっかりしよう。
(家に帰るくらい、一人でだって大丈夫)
 大丈夫、のはずだ。
 家までは、けっこうな距離があるけれど。
 体力なしのエリスは一抹の不安を覚えながらも、足を踏み出した。
 そのときだ。
「――こら、どこ行くの」
 エリスは後ろに腕を引かれた。
 それは聞きなれた大好きな人の声だった。
 エリスはびっくりしながら振り返り、自分の腕を軽く掴んでいる人を見上げた。
「へ、ヘルムートさま……」
「ん?」
 どうしたの、と彼はやさしく言った。
「店の中にいるの、飽きちゃった?」
「ち、ちが……」
 飽きてなどいなくて。そうじゃなくて。
 あなたがどこにもいないから、置いていかれたんだと思って。
 エリスはそう言おうとしたのだけれど、うまく喋れなかった。
 この人の顔を見たら、ほっとして。
 エリスは思わず両手を伸ばした。
「エリス」
「ふ、ふぇ……」
 よかった。置いていかれたんじゃなかった。
 エリスはヘルムートの胸元にくっついて、彼の服をきゅっと握った。普段はしない甘えた行動に、彼がびっくりしているのが顔を見なくても伝わって。恥ずかしい、と思ったけれど、それよりもっと安心したくて。
「もしかして僕が見つからないから、不安だったの?」
 ヘルムートはエリスの小さな身体を抱きしめて、あやすように頭を撫でながら訊いた。
 温かい胸の中、エリスはこくりと頷く。
「さ、さきに帰っちゃったのかと思って……」
 それを聞いたヘルムートは、可笑しそうに言った。
「ずいぶんあり得ないことを想像するね」
「だ、だって、ヘルムートさま、どこにもいなかった……」
「店の奥にいるからねって、離れる前に言って……あ」
 ヘルムートは何かに気づいたように、エリスの頭を撫でている手を止めた。
「そうか。分からなかったんだね。店の奥にもう一つ部屋があるんだよ。扉があっただろう?」
 そう言われて、エリスは涙で潤んだままの瞳で、彼を見上げた。

後編につづく


 

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