お出かけと白クマ 後編

「扉……」
「そう、赤い扉」
「あった……」
「うん、あったでしょ」
 よしよし、とヘルムートはエリスの後ろ頭をまた撫でた。
「あの、えと」
「うん?」
「ご、ごめんなさい……早とちり、しました」
「そうだねぇ」
 ヘルムートはのんびり言いながら、頭を撫で続けた。
 エリスは自分の幼い行動が急に恥ずかしくなってきて、真っ赤になりながら彼から離れようとしたのだけれど。
「あ、あれ……?」
 腕がはずれない。
「あの、ヘルムートさま……、も、落ち着いたので……」
「そうなの?」
「そ、そうです」
「フーン……残念。きみから抱きついてきてくれるなんて貴重だったから、もっと余韻を味わいたかったのに」
 彼は冗談だか本気だか分からない口調で言いながら、エリスを離した。
 でも、そのかわり、するりと片手を奪っていく。
「まだ見る?」
 店のほうを指差しながら訊いてくれた彼に、エリスは首を横に振った。
 もうじゅうぶん眺めて楽しんだし、また離れるのは嫌だから。
 エリスは、再びちゃんと繋がった二つの手を見下ろした。
 彼が自然にそうしてくれたのが嬉しくて、それでもう胸がいっぱいになってしまった。きっと今は、何を見ても上の空になってしまうだろう。
「欲しいものなかったの?」
「あ、はい……ないです」
「ホントに?」
 エリスは頷いた。
 一瞬、白いフカフカのクマを思い出したけれど、めいっぱい眺めたし、触れたし、それでよかった。
「フゥン……じゃあ、帰ろっか」
「はい」
 微笑んで返事をしたエリスに、ヘルムートはちょっと物言いたげな顔をしたけれど、何も言わなかった。


 * * *


 馬車はまもなく店の前に戻って来た。
 店の前に停めると通行人の邪魔になるので、広い道に移動していたそうだ。
 エリスはヘルムートに手を貸してもらい、馬車の中に乗り込んだ。
 その直後、彼は店から出て来た人に声をかけられて、二言三言を交わした。何を言っているのかは、エリスには聞こえなかった。
「お待たせ」
 やがて自分も馬車に乗ったヘルムートは、まだ外に立っている誰かから、大きな包みを受け取った。
「またのお越しをお待ちしております」
 誰か、は店の人だったようだ。
 お辞儀をして、馬車のドアを閉めてくれた。
「ヘルムートさま、何を買ったんですか……?」
 とても大きな包みだ。抱えている彼の顔が隠れている。
「なんだと思う?」
「え?えーと……」
 なんだろう、とエリスは考える。
 あの店に彼の、というか男性の買うような商品があっただろうか。自分の見た限りでは、女性向けのものしかなかったけれど。
「あ……クッション?」
 それなら男性でも使えそうなものがあった。
 エリスは自信をもって答えたのだけれど。
「はずれ」
 楽しげな口調で、ヘルムートはこう続けた。
「そうだなぁ……もし答えを当てることができたら、これ、きみにあげてもいいよ」
「え、でも……ヘルムートさまが欲しくて買ったのに」
「当てる自信あるんだ?」
「あ、ないです、けど……」
 万が一当たっても彼に返そうと思いながら、エリスはじっと大きな包みを見つめた。柔らかそうな布包み。中身もなにか柔らなものが入っているみたいだ。でも、クッションではないもの。
「んと……」
「ヒントをあげようか。――きみが欲しいと思ったものを言ってごらん」
「え?」
 エリスは驚く。
 白いフカフカが、また頭の中に浮かんだ。
 でも、あれはぬいぐるみだ。彼が興味を持って買うとは思えない。それに、そもそも自分が欲しいと思ったことを、彼は知らないはずだ。
 だから、きっと別の何か。
「ほら、正直に」
 ヘルムートは、まるですべてお見通しのように答えを催促した。
「……」
 エリスは口を開いては、また閉じる。
 欲しいものはなかったと一度言ってしまった手前、本当の気持ちを口にするのはためらわれて。
 ――――でも。
 でも、言ってみるだけ。
 当たっているはずもないから。
「クマ……」
 小さな声で、エリスはぽつりと言った。
 本当はすごく気になっていたけれど、自分でお金を持っていないから、どうしようもなかったのだ。
「きみは嘘つきだね。欲しいものは何もないって言ったのに」
 ヘルムートがため息を吐いた。
「ごめんなさい……」
 嘘つき、と言われて、エリスはしょんぼりとうつむいた。
 呆れられただろうか。
「あの、ヘルムートさま……」
 もう一度謝ろうとしたけれど、それより先に彼が言った。
「欲しいものがあるときは、僕におねだりすればいいんだよ」
 ハイ、と大きな包みを手渡される。
 エリスはぽかんとした。
 ちょうど小さな子供くらいの大きさ。ニコと同じくらいの大きさ。布包み越しにも分かる、フカフカ。
「当てたからね、ごほうび。でも、今度からはおねだりしないとあげないよ」
 そう言った旦那さまは、にっこり笑っていた。
 エリスはきゅっと大きな包みを抱きしめる。
「クマ……?」
「そう、きみが熱心に見てた白クマ。といっても、リボンが色違いのやつだけど」
 椅子の上に座っていた白クマは、赤い水玉のリボンを首に巻いていた。とても派手な、ちょっと目に痛い色。
「開けて見てごらん」
 うながされ、エリスは大きな包みをもたもたと開いた。
 出てきたのは間違いなくあのフカフカの白クマで、首には淡いオレンジの水玉リボンを巻いていた。元気になれそうな、でもとても優しい色だった。
「店の奥の部屋でね、選んでたんだ。たくさん色違いがあったんだけど、それでよかった?気に入らないなら、店に引き返して替えてもらうけど」
 エリスはふるふると首を横に振った。
「これがいいです……ありがとうございます、ヘルムートさま」
 嬉しくて嬉しくて、エリスはぎゅっと白クマに抱きついた。
 欲しかった白クマを手に入れられたこともそうだけれど、彼が自分の気持ちに気づいてくれていて、好きな色までちゃんと知ってくれていたことが、何より嬉しかった。 
「ヘルムートさま、大好き……」
 いつもは恥ずかしくてなかなか言えない言葉が、今は自然に出てきて。
 一拍遅れて、エリスの頬は真っ赤に染まった。
 そうして白クマを抱えたまま、恥ずかしさでうつむいていたのだけれど、彼は何も言ってくれなかった。
(と、突然すぎて驚かれちゃったのかな……)
 沈黙されてしまうと、よけいに恥ずかしい。
 エリスはおそるおそる顔を上げて、彼を見た。
 すると――――。
「…………きみってさ、なんでそう時どき不意打ち食らわせるわけ」
 旦那さまは、顔を片手で覆っていた。
(ヘルムートさま、照れてる……)
 珍しく顔を赤くしている旦那さまに、エリスはつい微笑んでしまった。

おまけもあります


 

next


 
inserted by FC2 system