ヘルムートが伯爵家を訪ねると、その日は忌々しいことこの上ない先客がいた。
「ヘルムートさま……!こんにちは…!」
今日も可愛いエリスのほんわかした笑顔にヘルムートは微笑み返し、「こんにちは、エリス」とあいさつした。そこまではいい。
問題はヘルムートよりも先に彼女の部屋を訪れて、仲良くトランプなんぞをしていた同い年の人間である。
「やあ…、オルスコット、だったっけ。この間、一度会ったね」
「ああ」
一応、礼儀としてあいさつしたら、先客はこちらを何とも思っていない様子で、手の内にあるカードに視線を戻した。そういうところが、何となく、癪に障る。
このレスター・オルスコットという黒髪の魔法使いは、病弱で気弱なエリスのために、彼女の祖父が相談役としてどこからともなくスカウトしてきたのだという。
住まいはこの伯爵家のすぐ近く、湖を挟んだ向かいにあり、同じく魔法使いである祖父と猫一匹でつつましく暮らしているらしい。
この隣人のことをエリスは非常に信頼しているようで、――――ヘルムートはなぜかそれが、気に食わない。
だいたい、なぜ男なのだ。
エリスは女の子で、しかも伯爵令嬢なのだから、ふつう相談相手には同性の身元確かな人間を据えるものではないのか。
そもそも魔法使いでなければならない理由が分からない。
「いまお茶を用意してもらってますから」
「うん」
ヘルムートはそうエリスに返事をして、円形テーブルの一席につく。
と、入れ替わるようにレスターが立ち上がった。
「レスター?」
「俺はもう帰る。ちょうど勝負はついていたしな」
「え…」
ああ、帰れ帰れ、とヘルムートは運ばれてきたお茶に口をつけながら思った。
自分でも明確な理由がわからずに不思議なのだが、レスター・オルスコットとは、存在自体に文句をつけたくなる人間だった。
無言で見守っていると、エリスが心底がっかりした顔で「もう帰るの?」と言った。その小さな白い手は、引きとめるようにレスターの袖を掴んでいる。
ヘルムートはぴくりとカップを傾ける手を止めた。
なんだ、その手は。
しかも上目づかいで(立っている人間を座っている人間が見上げるのだから当然そうなるのは分かってはいるが)、『帰らないで』とばかりにじぃっと見つめている。
「俺は忙しい。いつも言ってるだろ。――――それに、代わりが来たじゃねえか。よかったな、相手してもらえ」
(……代わりだって?)
冗談ではない。
「僕はお前の代理になった覚えはないけど」
ヘルムートは不快を押し隠しもせずに言った。
ああ、不快だった。
今度は理由がわかっている。
エリスが、自分には決してしたことのない親しげな仕草で、かわいくわがままな態度をとったからだ。
(僕にはいつも遠慮しかしないくせに)
「座れよオルスコット。遠慮することはない。やましいことがないなら、いつものようにエリスの傍にいればいい」
「……」
挑発するように言ってやったら、相手は無表情にこちらを見下ろし―――やがてふっと笑った。どこか皮肉げな笑みだった。
「ずいぶん見当違いな嫉妬を向けてくれる。……まあ、いてやってもいいぜ、お姫。善人面がいつお前を害するともわからない」
誰が善人面だ。
ヘルムートは素知らぬ様子で立っている魔法使いを睨んだ。
それに、エリスを害するとはどういう意味だ。こんなちいさな子を本気でいじめるほど自分は鬼畜ではない(……場合と相手によってはそういうこともするかもしれないが。今のところはそんな予定はない)し、エリスのことはそれなりに大事な知人だと認識している。害することなどあるわけがない。
(どちらが見当違いだ)
ヘルムートはカップを置いた。
その向かい側ではエリスが嬉しそうに顔を輝かせる。
そんなにレスターがいると嬉しいのか。
「よくわからないけど、ホント?まだ一緒に遊んでくれる?」
「ああ」
と笑う小賢しい顔を、ヘルムートはエリスの前だろうが何だろうがニ度と見られない顔にしてやりたい衝動に駆られた。
(そうだ、こいつの顔も嫌いだ)
ヘルムートは、こういう精悍な顔立ちを持って生まれたかった。つねづねそう思っていた。こんな、女に間違われることもあるような天使面ではなく。
まあこれはこれで利用できるが、理想はこの魔法使いのような顔だった。
しかし、それを認めるのも腹立たしい。
「三人いるから、ばばぬきしよう?」
「そうだな」
「……は?」
さも当然、といったようにエリスが言い、レスターが頷き、そしてヘルムートが怪訝に思って訊き返した。
「ばばぬき?ていうか、なんでこのメンツでトランプ続行しようとするわけ」
「え…ヘルムートさま、トランプお嫌いですか…?」
お嫌いではない。
嫌なのはその喋り方だ。出会った当初はあどけない口調だったのに、少し成長してからというもの、エリスは身分とか目上だとかいう問題を考慮して、非常によそよそしい喋り方をするようになった。注意すれば前のように話すが、いつの間にかまた戻っているというありさま。
しかしそれを、この魔法使いの前で注意するのは嫌だった。
自分よりもうんと彼女と親しい人間の前では――――。
「……まあ、いいよ。ばばぬきで。」
「うれしいです。二人だとつまらなかったから」
(僕はトランプ要員か?)
まったく面白くない。
もたもたと、不器用にエリスがカードをきっている。
「……エリス、貸してごらん。僕がきる」
「あ、はい」
ちいさくて細い指が触れた。
近づいた拍子にふわっと香った良い匂い。社交場でヘルムートに近づく少女たちのきつい香水とは違い、それは自然な香りだった。
ヘルムートは、思わず栗色の頭を撫でた。
抗えない誘惑だ。この緩やかに波打つ髪は本当に気持ちがいい。
「ヘルムートさま…??」
「ん、なんでもない」
ちょっと撫でたくなっただけ。
それを向かい側に座るレスターが愉快そうに見ていることには気づいていたが、彼は無視した。
「じゃあ配るよ」
「はい」
均等にカードを分けて、さあゲームを始めよう。
つづく