お風呂とペンギン

 レスターが夕食を作っていると、風呂場の方から大きな魔法が使われた気配がした。
「……おい、なにしてんだ」
 訝しく思って風呂場を覗き込むと、素っ裸の男が困ったように頭をかいていた。たまにふらりと遊びに来る、昔の知人だ。魔法使いのくせに絵描きの真似ごともしている、変わり者である。
 その男のくすんだ金髪から、水滴が滴り落ちた。
「いや、おまえんちの風呂狭いから、ちょっと広げてやろうと思ったんだが。そしたら、ほら、失敗した」
 レスターは無言で男の膝に蹴りを入れた。
「って!」
「人の家の風呂場を勝手に改造するな」
 顔をしかめながら、レスターは痛がる男を無視して、風呂場を見渡した。もはや風呂場と呼べる規模ではない。床ははるか彼方まで続き、壁は―――。
「壁はどこにいった」
「さ、さあ」
 レスターはその返事にもう一度足を上げたが、男がさっと避けたので残念ながら今度は当たらなかった。
「悪かったよ。まさか失敗するなんて思わなくてさ」
 言い訳する男と共に、真上を見上げる。そこにあるはずの天井がない。果ての見えない白い空間が広がっているだけだ。
「直せ」
「えー……もういいじゃねぇか。広い方が気持ちいいし」
 男はそう言って、木の浴槽の中に入った。ぽちゃん、と水音が聞こえた。あー、気持ちいい、とのんきな声で言う男に腹が立ったレスターは、その湯を魔法で水に変えてやろうかと思ったのだが、そのときふと視界を何かがかすめていった。
「………………」
 いつも冷静なレスターも、これにはあ然とした。
 なんだあれは。
「おい」
「んー?お前も入るか?」
「アホか。あれを見ろ」
「あれって?」
 浴槽のふちに手を置いて、その上に顎を乗せた男は、レスターの視線の先を追い―――― 一瞬、言葉を失った。
「うわ。すげぇ。ペンギンだ」
「…………………なんだって?」
「ペンギンだよ。この国にはいないんだっけ。カワイイなぁ〜」
 白い空間のどこからともなく現われて、ペタペタと通り過ぎていくその集団を、男はにこにこと眺めた。
「空間歪んじまったのかな。まぁ、通り過ぎてるだけだし、気にすんなよ」
 まったく悪びれないその言葉に、レスターの機嫌は急降下する。
「ふざけんな。ここを出るまでに元に戻せ。戻せない場合はアンタを浴槽ごと凍らせる」
「えっ本気で?」
 男はその面倒さに不満げな声を上げたが、レスターは無視して風呂場から出ていった。
 しかし結局、レスターの祖父や猫のルイーゼがその奇妙な風呂場を気に入ってしまい、今日に至るまで元の姿に戻されることはなかった。

 
 *


「れ、れすた〜?お風呂、広いね……?」
「広い方が気持ちいいからな」
 数年後、レスターがエリスにさらりと告げた言葉が本心かどうかは、誰も知らない。



 

おしまい


 

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