手のひらのきみ

「――お前、エリスに変な魔法かけたって?」
 ヘルムートが睨みつけながら訊くと、黒髪の魔法使いは無表情にこう返してきた。
「かけたんじゃねぇよ。大マヌケなお姫がうちに来たときに魔法薬入りの瓶を割って、匂いを嗅いだせいで効果があらわれただけだ」
「何が『だけ』だ。お前がその瓶をエリスの手の届かないところに置いておけばよかったんだろう。ていうか、なんでお前のうちにエリスがいたんだ」
 苛々しながら言ったヘルムートに対し、魔法使いは粗末な家の戸口に寄りかかって、いかにもこちらを蔑んでいるような視線を向けてくる。 
「たとえお姫がそれで死にかけようが、あんたにとやかく言われる筋合いはないね。だいたい俺は初めからお姫の手の届くところに危険物なんか置いたりしてねぇんだよ。あいつが一人勝手によろけて棚にぶつかった拍子に、中にあった瓶が落ちて割れたんだ。俺は単なる被害者だ。それとな、ラングレー。俺は一度たりともお姫をここに招いたことはない。勝手にやって来て勝手にじいさんとルイーゼと戯れて帰ってんだ。目障りだから来るなって何度言ってもしつこくしつこく」
 魔法使いは珍しく饒舌(じょうぜつ)だった。その魔法薬が台なしになったことで、かなり腹を立てているらしい。
 しかし、ヘルムートもまた腹を立てながら言葉を返す。
「エリスがよろけるのもボンヤリしているのもトロくさいのも今に始まったことじゃないだろ。お前がそこまで予測して棚を固定していたら、こんなことにはならなかったんだ。今すぐ責任取ってエリスを元に戻せ」
「どうこうする必要がねぇから放置してんだろうが。時間が経ったら効果が消えて元に戻る。――それにその大きさと毛皮なら、いくらふらついて棚にぶつかろうが棚はびくともしないだろういし、ボケッとして何もないところで躓こうがおまえ自身も怪我なんかしないだろうから、よかったじゃねぇか」
 魔法使いは言葉の後半で、ヘルムートの両手にしょんぼりと収まっている生き物を意地の悪い眼で見下ろした。
「きゅう」
 憐れな鳴き声が発せられる。
 ヘルムートはその薄茶色の毛皮をもつ小動物をなぐさめるように、片方の親指でちょんちょん顔を撫でてやった。
 それはねずみに似ていた。しかし、ねずみよりは体つきが小さく、まるっとしていて、顔立ちは愛くるしい。
 ヘルムートは真剣な口調で魔法使いに言った。
「何が『よかったな』だ。どうするんだ、ただでさえ可愛かったのに、こんなにちまっとしたら」
「したら?」
「ますます可愛いじゃないか」
「……」
 魔法使いは無言のまま、半眼でヘルムートを見た。
「だけど、エリスは何の動物になってるんだ?」
 ヘルムートは、己の両手の中で相変わらずしょんぼりしている小さな生き物を眺めた。こんなに可愛い生き物は見たことがない。
「ねずみーにょ」
「は?」
「だから、ねずみーにょだ」
「……冗談か?」
「あんた俺が冗談言うところを見たことあるのか」
「……ないが、冗談みたいな名称だな」
「冗談に決まってるだろ」
 魔法使いは始終、無表情だった。
 真に受けかけたヘルムートは額に青筋を浮かべる。
「お前こんなときにふざけんな」
「意外とのんきに動物名を訊いてくるような奴に言われたかねぇよ」
 二人はいつものように激しく睨み合ったが、そのとき置いてきぼりになっていた『ねずみーにょ(仮)』が、「きゅう……」とまた悲しげに鳴いた。
「ああごめん、エリス。早く元に戻りたいよね。今すぐこのクソ魔法使いに戻させるから、安心して」
「だからそのうち薬の効果が切れるって言っただろうが」
「いつだそれ」
「明日の夜」
「今日の朝から明日の夜までこの状態じゃかわいそうだろ。さっさと戻せ。それともまさか自力では戻せないのか。戻せないならそう言え、ひよっこ魔法使い。お前のじいさんに頼む」
 この言葉に、魔法使いの眉がぴくりと上がった。
「誰がひよっこだ。自分の作ったものの始末くらいつけられる」
「ならやれ」
「あんたに言われる筋合いはないとも言ったはずだぜ。お姫には反省が必要だ。言葉の解せない生き物になって状況もわからないまま、せいぜい落ち込ませておけ」
「鬼かお前は。見ろ、このエリスのしょんぼり具合を。人間の言葉がわからないせいで、自分が元に戻れるかもわからず心細い思いをしているんだぞ。かわいそうだと思わないのか?――――ああほら泣いた。大丈夫だよ、エリス。僕がついてるからね」
 ヘルムートはぽろぽろと涙をこぼし始めた『ねずみーにょ(仮)』の頬を撫でた。
 すると、くりっとした緑の瞳を不安に揺らしながら見上げてくるので、悶絶しそうになった。なんという愛らしさ。これがエリスでさえなかったら、即刻家に持ち帰って飼うところだ。今はもう動物が苦手な母親もいないし。というか、エリスだからここまで愛らしいのか。本物の『ねずみーにょ(仮)』を見たことがないので、ヘルムートには比べようがない。
「オルスコット」
「……なんだよ」
 熱い視線で『ねずみーにょ(仮)』もとい、エリスを見つめながら、ヘルムートは魔法使いに言った。
「エリスを元に戻して、別のねずみーにょを僕によこせ」
「……は?」
「だから、エリスはこのままだとかわいそうだし、人間のほうがいいに決まってるんだから、別のねずみーにょを用意してくれ。礼なら出す」
「……意外だな、あんたこういうのが好きなのか」
「可愛いだろ」
 真顔で言い切ったヘルムートに、魔法使いはやや引き気味に言う。
「欲しけりゃ自分でとってこい。一番近いところだと、国境沿いの森に埋まってるはずだ」
「『埋まってる』?」
「ニンジンやカブみたいにな」
「なんで」
「そういう生き物だ。穴を掘って、頭だけ出して埋まる。正式名称は『首だけ土ねずみ』」
「なんだその可愛くない名前は」
「俺がつけたんじゃねぇよ」
 言い合っていると、またしてもエリスがきゅうきゅう鳴く。
「ごめんごめん、エリス。ほらクソ魔法使い、元に戻せ」
「……今戻したら、素っ裸になるぜ」
「誰が」
「お姫が」
「…………」
「葛藤するなよ」
「しないやつは男じゃない。……そうか、まぁ、それなら仕方ない。服をとりに伯爵家に戻らないと」
「いっそ元に戻るまであんたが面倒見てやれ。俺は忙しいんだよ。あんたとそのねずみーにょにこれ以上関わっている暇はない」
「元はといえばお前がおかしな魔法薬を作ったせいだろ。責任逃れする気か?しかもエリスの世話係のくせになんて薄情な」
「おい待て。責任逃れしてるわけじゃねぇよ。放っておいても元に戻るって言っただろうが。あんた人の話聞いてんのか?それに俺は世話係でも子守役でもねぇ。ただの相談役だ」
「似たようなものだろ」
「ぜんぜん違う!」
 魔法使いがキレたそのとき、ヘルムートの両手の中のエリスが、ぐすんぐすんと鼻をすすった。
「ほらエリスが怯えた」
「さっきから泣いてただろうが!」
 魔法使いは舌打ちして言う。
「いいか。俺はもうこれ以上あんたと話す気はねぇ。さっさと帰れ。うっとうしい」
 魔法使いはヘルムートの返事も聞かず、扉を開けて自宅の中に消えていった。
「きゅ、きゅうぅぅ」
 エリスがこれまでで一番悲しげな鳴き声を発する。
 バタン、と閉まった扉に、エリスは絶望を感じたのかもしれない。人語を解せないので、きっと魔法使いに見捨てられた、とでも思ったのだろう。
「仕方ない。エリス、明日の夜まで我慢してね。それと移動中は危ないから、また胸ポケットに入ってくれる?――そんなに不安そうにしなくても大丈夫だよ。食事とかは……そうだな、きみのおままごと道具の小さな食器とかを使えばいいし、ベッドは籠か何かで作ればいい。なんとかきみがそのままでも快適に過ごせるように、きっと伯爵家の人たちも工夫してくれるよ。僕も協力するから」
 ヘルムートは内心ちょっと楽しくなりながら優しく微笑みかけると、魔法使いの家の前に待機させていた馬車に乗り込んだ。
 一方、エリスはわけがわからぬまま、不安げな面持ちでヘルムートの胸ポケットの淵にちんまりとした手を添え、すがりついて鳴いた。
「きゅぅ……」
(わたしどうなるんだろう……)
 残念なことに、その問いに答えてくれる人は誰もいなかった。



 

おしまい


 

back


 
inserted by FC2 system