トランプ 後編

 さて、なぜか妙なメンバーでトランプをすることになったわけだが。
 ヘルムートは、エリスが小さな両手で広げ持つカードから一枚引こうとした瞬間、無言のまま手を止めた。
「……。」 
 勝負事に強いようにも見えないが、まさかここまでとは想像もしなかった。
 大きな緑の瞳が、ヘルムートが選ぼうとしているカードを一心に見つめている。どきどき、という彼女の心音まで聞こえてきそうだった。
 エリスの素直な性格は、その表情にも見事にあらわれるらしい。
 ヘルムートは内心で苦笑しながら、そのカードを取ってやった。案の定ババである。
 するとエリスは、これまた分かりやすくにこっと笑った。
(……かわいい)
 妹がいたら、こんな感じなのだろうか。
 ふとそんなことを思ったが、しかし彼女が自分の妹として生きている様子を想像できない。
(妹って感じでもないか…。なんか違うな……)
 ならば、イトコとか、そういう感じかもしれない。
 時々しか会わないあたり、そういう存在に近い気がした。
 ヘルムートはくだらないことを考えながら、ん、とカードをレスターに向けた。
 ちょっと引っかけてやろうと思い、レスターの手が普通のカードに伸びた瞬間、にやりと意味ありげに笑ってやったが、その指はまったくピクリとも動揺しなかった。そのままあっさりと引き抜く。
 微塵もババであるとは疑わなかったらしい。
 ヘルムートはちっとエリスに聞こえないように舌打ちした。
 この魔法使いはエリスと違い、まったくの無表情である。完全なポーカーフェイスといっていい。
 しかもカードを選ぶのにためらいがない。まるで手の内が見えているかのようだ。
 ――――後に知ったのだが、魔法使いは一般的に常人よりも直感に優れているという。そんな奴がカード遊びになんか参加するな、と後のヘルムートは悪態をつくが、それはまた別のお話。
 そのレスターから、今度はエリスが一枚引く。
 それから、ヘルムートが再び彼女から引き、レスターに引かせる。その繰り返しを何度か行った後、レスターが一番に上がった。
 残るエリスは、ヘルムートの手からまたしてもババを引く。がーん、という心中が駄々漏れになっていた。
 この調子では、レスターと二人で対戦していた時も負け続けていたのではないだろうか。
 エリスがあまりにも弱くてかわいそうなので、ヘルムートはまたわざとババを引いてやり、その結果負けた。
「うれしい…!わたしあんまり勝ったことなくて」
「そう、よかったね」
 無邪気に喜ぶエリスの隣で、レスターが小馬鹿にしたような笑いを浮かべたが、彼女は気づいていなかった。
 本当に、なぜエリスの祖父はこんな性格の悪い(人のことは言えない)奴を彼女のお守役に選んだのか。ぜんぜんエリスにやさしくないではないか。
 しかもエリスが話すには、彼女がたまに勝てる相手というのは侍女たちであって、レスターにはただの一度も勝てたことがないという。
「一度も?」
「うん…」
 こくりと頷くエリスは、「わたし弱くて」と恥ずかしそうに言ったが、そんなことは分かりきっている。
 問題はこのしらっとしたムカつく顔つきの魔法使いだ。
「……もう一戦しようか」
 試しにそう言ってみたら、エリスは嬉しそうにいそいそとカードを切り始めた。が、やはり下手だった。
「貸せ」
 と、今度はヘルムートよりも先にレスターが手を出し、彼女からカードを取った。
 素早く切ると、均等に配る。
「順番変えよう」
 とヘルムートが提案したのに対し、
「うん」
 とエリスが返答した。
 楽しくなってきたのか、その口調が自然に親しげなものに戻っていて、ヘルムートは自分でも不思議なほど嬉しかった。いつもこんな調子ならいいのだが。
 そう思いながら、レスターから一枚引く。ヘルムートの元にはババはないから、残る二人が持っているのだが、さて――――。
(またエリスか…)
 ヘルムートのもとから一枚引いたエリスは、レスターに向けてカードを差し出したのだが、その表情がまた緊張しまくったものだから、丸わかりだった。
 じっと観察していたら、レスターはこれまた何のためらいもなく一枚を引き抜いた。がっかりするエリス。
 ヘルムートはそのレスターから再び引きながら、睨みつける。
 小声で、エリスに聞こえないように言った。
「お前…少しは負けてやれ」
 こいつはこの調子で今までも容赦なくエリスに勝ち続けていたのだ。
 なんという鬼畜だ。自分より小さな女の子相手に。それも、こんなに可愛くて病弱な子に。
 ヘルムートとてエリス以外の女の子に優しくしたことなどなかったが、その点はまったく問題に思わなかった。
 というより気がつかなかった。 
 そんなヘルムートに対し、黒髪の魔法使いはいっさい表情を変えずに、きっぱりと言い切った。
「アホか。この程度のことでいちいち甘やかしてどうすんだ。それに俺は負けるのは嫌いだ」
「そうかよく分かった。――――僕はお前が嫌いだ」
「―――ああ奇遇だな、俺もアンタが気に食わない」
 二人はしばし無言で睨みあった。
(何だコイツ)
 公爵家の跡取りであるヘルムートに、真っ向から喧嘩をふっかけてくる人間自体めずらしかったが、こんな風に睨み合ってまるで引かない相手に会うのはニ度目だった。ちなみに一度目の相手は、王宮に住んでいる金髪に青い目の少年である。
「どうしたの…?」
 エリスの不思議そうな声に、二人はようやく視線を外した。
「何でもないよ」
 ヘルムートはそう言って微笑んで見せた。が、内心は腹立たしさで一杯だった。これほど気に入らない人間には初めてお目にかかる。あの学友の王子でさえ、こうまで自分をムカつかせたことはない。
 ヘルムートはさっさとレスターの手元からカードを引き抜いた。
 その後、エリスがヘルムートから引き、レスターがエリスから引く。――――ババではないカードを。
 それから再びレスターのカードをヘルムートが引こうとした時だった。魔法使いは声をひそめてこう言った。
「――――お姫に負けてやってもいいぜ」
 気が変わったのか何のか、と訝しむヘルムートに、さらに言う。
「ただし、文句言うなよ」
「……どういう意味だ?」
 そう訊いたが、相手は答えなかった。
 そしてゲームの終わり間近。ヘルムートがいち早く上がり――――。
 エリスは「あっ」と声を上げた。
「レスター…」
「ババだな」
 意図して引いたくせにしれっとそう言って、レスターは両手を上げて降参のポーズをつくった。
「お姫の勝ちだ」
「うそ…」
 しんじられない、といった顔の後、じわじわ広がるのは満面の笑み。
 そんなに喜ばなくても、と冷静に見ていたヘルムートだったが、次の瞬間レスターを力の限り蹴飛ばしたくなった。
「うれしい……っ」
 きゃあ、っと小さく歓声をあげたエリスは、信じがたいことに、よほど嬉しかったらしくレスターに飛びついたのである。
 そんなにはしゃぐエリスを見るのも初めてだったが、彼女が自ら誰かに抱きつくところも初めて見た。それも、男に。
 きっと…、とヘルムートは平静を保つ努力をしながら思った。
 すごい勢いで頭に血がのぼって行ったのは、きっと見慣れないものを見たせいだ。
「……はしたないから、離れたら。エリス」
 きゅうっとレスターにくっついていたエリスは、その意地悪なヘルムートの言葉に我に返り、慌てて離れた。
「あっ、…あの、ごめんねレスター」
「俺はべつにいい」
 『は』、って何だ。
「僕も別に気にしてない」
 張り合ってそう言えば、腹立たしい魔法使いはふっと馬鹿にした笑みを浮かべていた。



 その日の別れ際、ヘルムートはレスターに言った。
「今日は楽しかった。帰り道、気をつけて帰れよ」
「目と鼻の先で襲う気ならやめといた方がいいぜ。伯爵家(ここ)の人間に確実に目撃されるからな」
 ヘルムートは微笑んだ。ただし、目は笑っていない。
「僕が証拠を残すような間抜けな人間を雇うわけないだろう」
「あるいは返り討ちにあうような間抜けかもしれねえけどな」
 ムカつく。
 玄関先で睨みあう二人に、見送りに出ていたエリスが困惑したように声をかけた。
「どうしてケンカしてるの……?」
と。

 

おわり  



 

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