だから君には敵わない

 エリスの家で、ヘルムートが自分以外の少年を見るのはそれが初めてだった。
 一目見ただけでも油断ならない人間であることが分かるような、年に似合わぬ鋭く深い眼をしている。見知らぬ顔ながら、どこかで会ったことがあるような気がした。
(僕と同い年くらいか……。貴族……じゃないな、この格好は。どこで見た顔だ?)
 ヘルムートは考えるが、すぐには思い出せない。記憶力には自信があるのだが。
 少年は、自分とは系統の異なる整った顔立ちに黒髪をしていた。瞳の色は、紫ほどではないが、あまり見ない琥珀色。同じように、じっとヘルムートを観察してくる。
 互いの視線は、エリスが言葉を発するのと同時にすっと外れた。
「ヘルムートさま、こんにちは」
「やあ…、小さい画家さん。今日は元気みたいだね」
「うんっ、すごく気分が良いの」
 ほわ〜とした笑顔を浮かべて、いつになく元気でご機嫌なエリスはとても愛らしかった。おまけに言葉遣いが昔仕様。撫で回して瓶にでも詰めて持って帰りたくなる。
 それに自然と微笑み返したヘルムートは、「で」とさりげない調子で切り出した。
「彼は?」
 どこのどいつだ、と言いたかったが一応こらえた。初対面の人間に礼を欠くような教育は受けていない。まあ、態度には出ていたかもしれないが。
 ヘルムートがエリスの部屋に入ったら、その見知らぬ少年とエリスとはテラスから続く庭にいて、まるでピクニックのように敷物を敷いて仲良くお菓子を頬張っていた。そんな楽しそうなこと、いや、ピクニックは別にどうでもいいが、病弱なエリスと外で一緒に過ごすなんてこと、自分はしたことがなかったのに。妙に悔しい。
 エリスはそんなヘルムートの心中には気づかず(うそ笑顔には敏感だが、基本的にエリスは鈍い。最近わかった)、「あっ、紹介します。レスターです」とにこにこしながら言った。なんでそこで敬語に戻ってしまうのだろう。可愛くない。いや、可愛いけど。
「レスター、こちらは」
「知ってる。ヘルムート・ラングレーだろ?」
 少年は、外見に見合った落ち着いた口調でそう言った。
 同じ年頃で、これほど余裕ある態度の人間を、ヘルムートは学友の王子以外に知らない。いったい何者だ、やはり会ったことがあるのか?と脳内を検索して、―――――ようやく思い出した。
 以前、エリスが絵に描いていた人間だ。エリスが手作りケーキをあげたという相手でもある。名前と似顔絵しか知らなかったのだ、すぐに思い出せなくても無理からぬことだった。
「………………ああ、思い出した。無事でヨカッタネ」
 確かケーキの一件でエリスを泣かせたから、素敵な贈り物をしたはずだったが。魔法使いだとか言っていたから、どうやってか材料に勘付いたらしい。もしも食せば小さな生き物ならコロッといき、人間なら何らかの後遺症が残ったはずだが、目の前の人間はピンピンしている。
(ちっ)
 ヘルムートは心の中で忌々しげに舌打ちした。
「無事って……何のお話?」
 不思議そうなエリスに「なんでもないよ」と答え、相手を見やれば。
「次はもうちょっと匂いを抑えたほうがいいぜ。あれじゃ誰だって気づく」
 全く動じぬ平然とした言葉をかけてくる。
 これはどういう人間だ?
 ヘルムートはこれまで魔法使いに会ったことなどなかったから、彼らの気質や能力についてさほど多くを知らない。この国にはあまり魔法使いがいないのだ。噂に聞いたことのある隣国の魔法使いは、腕は一流だが性格はわがままで傍若無人でどうにも扱いづらいという。
(こいつもそんな感じだな)
 見かけと雰囲気でそう判断したヘルムートだが、それはあながち間違ってはいなかった。
 後に知ることだが、レスター・オルスコットという人間はわがままではないし、傍若無人というわけでもなかったが、とにかくヘルムートにとっては扱いづらい人種だったのだ。いや、扱えぬ人種だった。何を考えているのか、次にどんな行動に出るのか、全く読めないから。
「あっ、そっか……」
 と、ひとり会話に置いてきぼりにされていたエリスが、はっとしたように呟く。
「ヘルムートさま、前にレスターにクッキー贈ってくれたんだ……」
 だからすぐに仲良くお話してるんだぁ……とぽわぽわ微笑んでこちらを見つめてくるエリスは、ときどき思うが視点が人とはズレている気がする。どこをどう見ても、自分たちは睨み合っていただけではないか。
「ヘルムートさまも、座ってください。おままごとしてたの」
「……おままごと?」
 滅多にないことながら、ヘルムートは少し動揺した。ちらりと見れば、黒髪の魔法使いはとたんに不機嫌そうな顔になっている。そうか、つき合わされていたのか。協調性などなさそうな雰囲気なのに、意外と面倒見がいいのか?
 ちょっとだけ感心したのは、自分ならそんなものには絶対に付き合わないからだ。
「いや、エリス。僕はいいよ。そういうの嫌いだから」
 と言ったら、エリスは見るからに落胆し、しょんぼりした。
(うっ)
 またやってしまったのか。
 ヘルムートは言葉がきつい。普段から誰にでもそうだから、優しくしようと心がけていても、うっかりエリスを傷つけてしまうことがある。そもそもどこらへんでエリスが傷つくのかも把握できていない。
 考え込んでいると、エリスがおろおろと言う。
「あの、じゃ、えっと、……えっと。あっ、お人形遊びは」
「同じだろ」
 すかさず突っ込んだのは、魔法使いだった。
「じゃ、――――か、駆けっこ!」
「ぶっ倒れたいのかお前は。年がら年中寝込んでるくせに。足折れても俺は治さねぇからな」
「お、折れないもん……っ」
「小枝みたいな足してよく言う」
 ふん、と鼻で笑って、魔法使いは座っているエリスの片足を軽く叩いた。膝丈のドレスから覗く足は靴下に覆われていたが、ふつう兄弟ですら触らない場所だ。
「小枝じゃないもん……!レスターのばかぁ…っ」
 真っ赤な顔で涙ぐんで、それでも言い返すエリス―――――などというものを見たことがなかったヘルムートは、突っ立ったまま、あ然として固まった。これまで生きてきた中で、一番の衝撃と言っても過言ではない。
「馬鹿はお前だ鳥頭。誰と誰がままごとしてたんだ。敷物の上で菓子食ってただけだろうが」
「わ、わたしちゃんと、レスターは旦那さま役だよって初めに言ったのに」
「俺がお前の話をいちいち聞いてるわけねぇだろ」
 さらりと酷いことを言うと、魔法使いはお茶を飲み干して立ち上がった。
「じゃあな」
 と泣きべそをかいているエリスを放置して、そのまま庭から去って行く。
(なんだ、あれ……)
 信じられない。あんな人間がいるのか。 
 泣かせた女の子を放置……は、ヘルムートも平気でするが、相手による。それがエリスなら、自分は必ず謝って頭を撫で、それでも駄目なら抱きしめて背中をぽんぽんと叩いてやる。とにかく幼子のようにあやさなければいけない、そんな気にさせるのだ。エリスは。
(普通そうだろう)
 こんなにか弱くて、気も弱くて、でも穏やかで優しい子を相手にすれば誰だって。「お前が天使なのは見かけだけ」と友人に言われるヘルムートとてそうなのだから。
 しかし、あの魔法使いは違うらしい。
(じゃあ、なにか?中身はまるっきり悪魔(リカルド談)な僕の上を行く非道なのか、あれは。なんでそんな人間がエリスの友達なんだ……?)
 いや、あれはそもそも友達なのか。あんなの友達の言うことか?
「エリス、ちょっと聞くけどさ……」
 考え事をしていたヘルムートは、エリスがいつのまにかえぐえぐと本格的に泣いていたことに今さら気がついた。
(わお……)
 大洪水だ。頭が痛くなる。なんで自分があやすことになるのだ。この子はなかなか泣き止まないのに。
(僕は兄か父親か……?)
 と、ふと先ほどエリスが言っていたことを思い出す。
『レスターは旦那さま役だよって初めに言ったのに』
 怒るエリスというのを見た衝撃で薄れていたが、そっちも何やら気になる言葉だった。ムカムカするというか、苛々するというか。
 理由は分からないが、―――――腹立たしい。
「エリス、泣くのを止めないと僕も帰るからね」
「ぇっ……、や、やだ……」
 いつもならば優しく慰めるところだが、降下した気分のまま意地悪く言えば。
 エリスはふるふる首を振って、慌てたように涙を拭う。何も自分の袖口でそうしなくても、とヘルムートはしゃがみ込み、自分のハンカチで彼女の眦をそっと押さえた。
「あいつって、本当にきみの友達?」
 涙を拭いてあげながら訊くと、エリスはぐずぐずと鼻をすすりながらも迷わず頷く。なんでだ。
「あんなに酷い態度なのに?」
「れ、れすたー、は、でも、優しいの……」
「……フーン……」
 しゃくり上げるエリスの頭を習慣的に撫でて、ヘルムートは彼女の真横に座った。
「………僕とどっちが好き?」
 なぜかそう訊いていた。
 エリスは一瞬きょとんと動きを止めたが、小さな声で「どっちも」と答えにならない答えを返す。
「……あ、そう」
 面白くない。ヘルムートはふてくされる。こんな自分を見たら、あの友人の王子は爆笑するに違いない。
 手にカップが当たった。魔法使いが使っていた空のそれに、ポットからお茶を注ぐ。「ほら、飲んで。落ち着くから」
 熱いから気をつけるんだよ、と言って渡せば、エリスは嬉しそうに微笑んだ。………こういうのを何というんだったか。異国の本で読んだことがある。泣いたカラスがどうとか。
 手持ち無沙汰になって、何となくポットの中身を覗き込んでいたヘルムートに、両手でカップを持ったエリスは恥ずかしそうに言った。
「ヘルムートさまも、やさしくって、大好き……」
「………………」
 今日はいつにないことが起こる。
 手にしていたポットの蓋が、するりと落ちていった。
「これだから、きみは……」
 その先に続く言葉はまだ見つからなくて、ヘルムートはそっぽを向いたまま黙った。
 涼しい風が、頬の熱を冷ましてくれるまで。


 

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