つかのま

 どうせ、関わるのは長い人生のうちの束の間のことだ。



「あのね、お砂糖瓶のふたが開かないの」
 と言ったその小動物を、レスターは冷ややかに見下ろした。
「で?」
「え、えっと、魔法でね、開けてくれないかなって思って」
「…………」
「…………つまらない理由で呼び出してごめんなさい……」
 レスターの無言の圧力に屈したエリスが、しょんぼりとうな垂れて謝った。
(この鳥頭)
 レスターの眉間には自然と皺が寄る。あれほど何度も「しょうもないことで呼ぶな」と言っているにも関わらず、そして呼びつけられる度に叱っているにも関わらず、これだ。
 その栗色のふわふわした頭の中には、見かけ同様わたあめでも詰まっているのではないか。
 さすがに気が弱く打たれ弱く、おまけに身体も弱い人間にそこまで言う気はないが、それにしてもいい加減にしていただきたいものだ。
 このお嬢様は、レスターが自分と同じような暇人だと勘違いしているとしか思えない。実際は魔法使いである祖父の仕事の手伝いに家事、自分の魔法の勉強など、色々やることが山積しているというのに。
「お前、いい加減にしねぇと契約打ち切るからな」
「えっ」
 ―――――本気ではなかった。魔法使いが一度交わした契約を破ることは容易ではないし、そもそもエリス自身と交わしているものでもない。彼女の祖父と交わしたものだ。レスターの独断で打ち切れば、魔法使いとしての信用がなくなる。
 それに、一流の魔法使いになるためにはこのくらいの仕事、完遂できて然るべきなのだ。途中投げになどするつもりは微塵もない。たとえ、対象者がどんなにウザかろうと。
 だから、これはただの脅しだった。
 少し反省して、ここぞという時以外は呼びつけられないようにするための。
 しかし、その一言はレスターの予想以上に威力を発揮した。
「うっ、ふぇっ、ええーんっ」
「……おい」
 それはそれは盛大な泣きっぷりだった。
「何事ですお嬢さま!!」
 バァンッ、とエリスの部屋の扉がいきおいよく開き、急いで駆けつけたらしい使用人たちが息を切らしながら、なだれ込んでくる。
 それにはレスターも驚いた。………なんで執事や侍女はともかく、料理人までお玉片手に立っているんだ?
「うっ、っく、えっく」
「気分が悪いんですか吐きそうなんですか熱が出たんですか、はっ、それともまさかお怪我をされたんですか!?」
 とエリスの父親とそう変わらない年の執事が言い、
「医者を拉致してまいります」
 と伯爵家のお抱え騎士が無表情で恐ろしいことを宣言し、駆け足で去っていく。
 さらに、
「さあ横になってくださいまし、まあまあお可哀相に。よほど苦しいのですね?」
 と恰幅の良い乳母が言ったかと思えば、その横からエリス付きの口うるさい侍女が、
「その前にお怪我かどうか確かめなければ!」
  と女ばかりで取り囲んで身体検査を始める。
「…………」
 これらの一連の過保護行為を、レスターは壁際に追いやられながら半ば呆然と見つめていた。
 これか、とレスターは思った。
 これが、エリスをここまで甘えたな、自分で何ひとつできない深窓のお姫さまに仕立て上げた原因の一つか。
「お姫」
 まだ泣きじゃくっているエリスを呼べば、緑の潤んだ瞳がこちらを見る。
「れ、れすたー、ごめ、…なさい。も…、わがまま、言わな、い、から」
 だから契約切らないで、と彼女は必死に言った。
「……言わねぇから、とりあえず鼻水と涙を拭け。汚い。あとこの連中を収めろ。そしてこの現状に疑問を抱け。駄目な大人になるぞ」
 レスターがそう言うと、周りにいた大人たちがいっせいにこちらに振り向き、信じられない未知の生命体を見るかのような眼差しで凝視してくる。
「なんだよ」
「お前、お嬢さまになんて口の利きかたを!」
 若い従僕が言い、
「こんなにか弱く可愛いお嬢さまが泣いていらっしゃるというのに、気遣いも見せられんのか!」
 と庭師のジイさんが叱り飛ばしてくる。
 ―――――勘弁してくれ。
 レスターは深いため息を吐いた。
 そして力を込めて言い放つ。
「お姫!」
「は、はいっ!―――え、えっとみんな、何でもないの、あの、ごめんなさい。もう戻って……?」
 エリスはレスターの意を汲んで、慣れない仕草で涙と鼻水をハンカチでごしごし拭い(まさかとは思うがいつも拭いてもらっているのか…?とレスターは思った)、真っ赤に頬を染めたまま、その場の全員に命じた。
「―――よし」
 レスターはベッド脇の椅子に座った。
「でもお嬢さま」
 と、なおも言い募る使用人の一人を、エリスの侍女が押し出してくれた。
 しかし口うるさい彼女は自分が出て行くまぎわ、「今度泣かせてごらん?―――ちょんぎるわよ」とドスのきいた声音で下町の汚い言葉を使った。
 ぱたん、と扉が何事もなかったかのように閉められる。
 部屋の中はまるで嵐が通り過ぎた後のように、急激に静まり返った。
「………お前はもっと威厳をもて」
「いげん……?」
「えらそうにしてろ、ってことだよ。それに、されるがまま、言われるがままになるな。人形みたいにただ世話を焼かれるな。自分でできることは自分でやれ。どうしてもできない時だけ俺や、あの連中を頼るようにしろ」
「……」
 さて、ふわふわの頭のなかに詰まっているものは、砂糖菓子だろうか。
 それとも――――。
「うん……。わたし、まだよく分からないけど、あのね、ちゃんと、分かるまで考えてみるね。だから、これからもお友達でいてね」
 涙で濡れたばかりの瞳は、朝露に濡れた葉のように美しい。
 レスターはこの甘ったれの世間知らずが好きではない。
 だけど、その瞳の色だけは気に入っていた。思わず魅入っていたレスターだが、ふと気がつく。
「……ちょっと待て。お前、いま何て言った」
「?分かるまで考えてみる…?」
「その後だ」
「これからもお友達でいてね?」
「――――誰が誰の友達だ。ふざけんな」
 これは仕事だ。
 自分たちの関係は、それ以上のものでもそれ以下のものでもない。そこのところをしっかり理解させておかなければ、また調子に乗ってくだらない用件で呼びつけられる可能性がある。
 だからきつい口調でそう言ったのだが、このわたあめ様はまたしても「ふぇぇぇぇんっ」と大泣きを始めたのである。
 そして聞こえてく大勢の足音。
 レスターは無言でテラスから部屋を出て、家に帰った。
 付き合いきれない。

   * * *

 それから呼び出しのない穏やかな日々が、まる一月経った頃。
「お嬢さまはね、あんたのことを友達だと思っているのよ」
「本人から聞いた。びっくり仰天の事実だ。で?」
「で、じゃないでしょう。で、じゃ」
 自宅まで押しかけてきて何用かと思えば、エリス付きの侍女は芝居がかった仕草で嘆息した。
「分からないの?お嬢さまは、だからあんたをしょっちゅうお呼びになるのよ。遊んで欲しいから」
「遊び相手欲しさに呼んでることは知ってる。だから?」
「もーっ、そうじゃないでしょうが!」
 侍女は伯爵家令嬢に仕えている割に、地団駄を踏むという品のない行動にでた。
「つまり、契約うんぬん関係なく、あんたに普通に遊びにきてもらいたいと思ってらっしゃるのよ。普通に、ただの友達として付き合いたいと思ってらっしゃるの!でもあんたが仕事でしか来ないから、仕方なく用事をつくって呼んでたのよ!」
「………あのな、契約がなけりゃ、俺はたとえこんなに近くに住んでいても、伯爵令嬢なんかに会いに行ったりはしない。本来、俺とあれとじゃ住む世界が違うからな。ようするに契約ありきの関係にしかなれねぇってことだ」
「頑固で可愛げのないガキ!」
 ふんっ、と侍女は鼻息荒く去っていった。
 変な女だ、と思いながら、レスターはしばらくその後姿を眺め、やがて静かに粗末な戸を閉めた。

   * * *

 真夜中だった。
 なんとなく、明るい昼間に来たくはなかった。いっそうこの場所が華やかに、まばゆく見えるせいかもしれない。
 ここは自分には不釣合いな場所だ。
 本来なら、踏み入ることのない世界だ。
 この――――守ると契約した、小さなお姫さまさえいなければ。
「ん……、レスター……?」
 真っ赤な顔で苦しそうに眠っていたエリスが、ふと目を覚まして、ベッドに腰かけるこちらに気がついた。
 か細く掠れた声が、荒い呼吸の合間に言う。
「レスター…、ゆるしてくれたの……?」
「許すも何も、怒ってねえよ」
「ほんと……?」
 返事の代わりに、初めてその髪に触れた。
 よく手入れされているのだろう、触り心地がいい。
 それから、熱い額に手を置いた。
 医者でも手に負えない下がらぬ熱を、己の手のひらに移していく。燃えるように熱くなったのは一瞬だった。
 薄闇でぼんやり輝いたレスターの手は、何事もなかったかのようにエリスから離れた。
「……レスター」
「なんだよ」
「会いに来てくれて、ありがと……」
 馬鹿な奴、とレスターは思った。
 とろとろと閉じられていく瞼と、安らかになった呼吸を確認し、ベッドが揺れないようにそっと立ち上がる。
 考えろと言ったのに、やっぱり考えていない。
 肝心な時には呼びつけないなんて。
「変なところで遠慮してんじゃねえよ」
 呟いて、彼はいつものようにテラスから外に出た。
 月明かりの中を静かにやって来た魔法使いは、一度だけ屋敷を振り返ると、行きと同じく静かに帰って行った。

 

おわり  


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