あしたになったら

 ほんとうは、気づいていた。
 でも、気づかない振りをしていた。
「レスター、おたんじょうびおめでとう」
「……」
「あのね、おじいさまに聞いたの。きょう、おたんじょうびだって」
 レスターと出会って、数か月。
 祖父がふと「そういえば、あさっては小僧の誕生日だのう」と独り言のように呟いたのを聞いたエリスは、きのう急いでお祝いの贈り物を用意した。体調が良い日で本当によかった。エリスは祖父と共に町に出掛け、彼の好みそうなものを自ら選ぶことが出来た。
 そして今日は誕生日当日。エリスは侍女のメアリと護衛のヴァルに付き添われ、湖の向こうの小さな家を訪ねた。質素なつくりの木の家。遠くから屋根だけ見たことは何度もあったけれど、来たのは初めてだった。
 エリスの家とは比べものにならない、小さな家。曇ったガラス窓に、煤けた煙突。魔法使いの家らしく、見たこともない紋様が扉の真ん中に描かれていた。
 いいなぁ、とエリスは思った。
 でも何を良いと思ったのか、自分でも分からなかった。
 ただ、なにかぎゅっと、大事なものが詰め込まれている、おもちゃ箱みたいに感じた。
 ギィと音を立てて開けられた扉から、寝ぐせのついた黒髪のレスターが現れて、エリスはどきどきしながら贈り物を両手で差し出した。おめでとうを言って。
 でも、レスターはじっとその包装された箱を見下ろしたまま、なかなか受け取ろうとはしない。
 エリスがもう一度言葉を重ねようとしたとき、彼はようやく口を開いた。
「なんのつもりで?」
「え?」
 問われた意味がわからなかった。
 きょとんとすると、レスターは腕組をして開けたままの扉に寄りかかり、冷たい眼でエリスを見下ろした。
「俺は雇い主であるお前のじいさんから、ちゃんと給金をもらってる。いちいち理由付けてオヒメサマに施される謂れはない。とっとと帰れ、睡眠妨害だ」
「え、あ、……」
 バタン、と扉が閉まる。
 エリスの両手には、まだ贈り物の箱。
 朝早くだったから、睡眠妨害と言われるのは仕方がない。なにしろ日が昇ってすぐだ。早く喜ぶ顔が見たかったから。
 でも、レスターには迷惑以外の何物でもなかったのか。それに、施し、なんて、そんなつもりは一切なかったけど、彼がそう思うならそうなるのだろう。エリスは溢れそうになる涙を堪え、もう一度閉ざされた扉に向かって声をかけた。
「レスター、あの、ごめんね。わたし、考えなしで……。ごめんなさい……」
 返事はなかった。もう扉からは離れてしまったのだろうか。
 一生懸命えらんだ贈り物。戸口にそっと置いて帰りたかったけど、また怒られそうだから、エリスは涙を拭いて我慢する。
「今度からは、よけいなことしないって約束するから、だから、…………だから」
 少し離れたところにヴァルと共に控えているメアリが、「お嬢さま?どうなさいました?」と不審げに訊いてくるから、エリスは心配をかけないようにそちらに向かって首を横に振った。なんでもない、という意を込めて。
 そう、なんでもないのだ。
 気づいていたから。
 初めて会ったときから、気づいていた。
「だから……これ以上、きらわないで……」
 何が原因か、分からなくてずっと悩んでいた。気づかない振りをしながら、ずっと。
 レスターは自分を嫌っている。
 誰に対してもキツイ物言いだけれど、エリスに対してのそれにはいつも僅かな冷たさが含まれていて。
 のろまで、考えなしで、よく泣いて、わがままだから、嫌われるのかと考えたけれど、でも思い返せば初めて出会った時からそうだったのだ。出会う前から、あるいは出会った瞬間になにか気に障ることがあったとしか思えない。
「……も、行くね……」
 やはり返事はなかった。
 どうしたんです、と尋ねるメアリと気遣わしげな視線を送るヴァルと共に、エリスは帰路に着いた。
 ――――あしたになったら。
 エリスはぎゅっと贈り物を抱えたまま思った。
 あしたになったら、きょうより少しは好きになってもらえるように、がんばるんだ。
「メアリ、わたしいつかレスターのお誕生日、ちゃんと祝わせてもらえる子になる」
「なんとなく何があったか察しがつきますわ、お嬢さま。でもご安心くださいませ。次もお嬢さまの純粋以外の何物でもないお気持ちを拒否しやがったら、わたくしが鉄槌を下してやりますので。おホホホホ」
「え…、あ、うん……」
 なんだかコワイ約束をしてくれた侍女に頷き、エリスは木々の合間から見えるレスターの家を振り返った。
 煙突からは、細長い煙が立ち昇っている。
 二度寝せず、あのまま起きているのだ。だとしたら、さっきの謝罪はちゃんと聞いてもらえていたかもしれない。
 そうだったらいいな、とエリスは思った。  
 

おわり  


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