二人でお茶を

 それは、ちょうど午後のお茶の時間。
「お帰りなさい……!ヘルムートさま」
 王宮から早めに帰宅したヘルムートを出迎えてくれたのは、エリスのほわんとした笑顔だった。
(かわいいなぁ……)
 ヘルムートは幸せを感じながら、自分も微笑んだ。
「ただいま、エリス」
 ちゅっ、と彼女のやわらかな頬にキスを落とす。
「へ、ヘルムートさま……っ、恥ずかしいから、人前は……」
 エリスは真っ赤になって俯くと、小さな声でそう言った。
 ヘルムートは別に誰がいようと構わないのだが、エリスは使用人の目が気になるらしい。彼らは主がいちゃついている間、そっと視線を逸らした上で、まるで空気のように振る舞ってくれているのだが。
 ヘルムートはちょっと考えてから、こう言った。
「じゃあ、人目のないところに行こうか」
 それで、思う存分キスしよう。
 にっこり笑いながら誘うと、エリスは一瞬固まり、次に困り顔でそろそろと後ずさりした。おや。
「え、えと、あの、でも」
「うん?」
 ほぼ周知の事実だが、ヘルムートは性格が悪い。
 自分の妻が恥ずかしがって困っていることを知りながら、その様子を見守ってみるあたり、本当に性格が悪い。
「あ、あの……っ」
「うん。言ってみて?」
 さて、何を言って切り抜けようとするだろう。
 ヘルムートはにこにこしながら促した。
 エリスは意地悪な彼を涙目で見上げながら、必死な口調でこう言った。
「お、おなか減ってませんか……っ?」
 と。
 ヘルムートは突然の質問にきょとんとした。
 話を逸らす作戦だろうか。
 わずかに首を傾げ、「うん、減ってるには減ってるけど」と答えてみる。
(ていうか、食事より先にきみを構い倒したいんだけどなぁ)
 という本心は、とりあえず心の中にしまっておいた。
 その答えを聞いたエリスはほっとしたように息をついて、「じゃ、あの、わたし用意してきます」と、彼女にしてはすばやい動きで部屋を出て行った。
(ちっ、逃げられた)
 ヘルムートはがっかりしたが、とりあえずソファに座って、何だかよく分からないがエリスが戻って来るのを大人しく待った。
 しかし、彼女は自分で『用意してくる』と言ったが、なぜ使用人に命じないのだろう。
 ヘルムートは不思議に思ったが、まぁ、あの子はときどき変わった言動をすることがあるからなぁ、とそれ以上深く考えることはやめた。
 しばらく待っていると、エリスはティーセットの乗ったワゴンを自分の手で押して戻って来た。後ろに心配顔の女中が一人付き従っている。
(さて、一体何の真似だろう)
 ヘルムートが面白がってエリスの動きを眺めていると、彼女はのたのたと慣れない手つきでお茶の用意をし始めた。
 せいぜいワゴンを押してきて、お菓子の乗った皿を運ぶ程度だと思っていただけに、エリスが熱湯の入ったポットを手にした瞬間、ヘルムートはぎょっとして腰を浮かせた。
「エリス!なにしてるの」
「えっ?」
 突然の大声にびっくりしたらしく、エリスはポットを手にしたまま動きを止めた。
 筆より重いものを持ったことがない彼女に、熱湯入りのポットなど持たせて、もし引っくり返して火傷でもしたらどうするのだ。
 ヘルムートは恐ろしい想像にぞっとしながら部屋を横切ると、エリスの小さな手から慎重にポットを取り上げた。
「ヘルムートさま、あの、」
 エリスは何か言いたそうにしたが、ヘルムートはそれを無視して手際よくお茶を淹れた。
 無謀が彼女の欠点であったというのに、少しばかり油断してしまっていた自分にため息をつく。
「お茶なら使用人に任せればいいんだから、きみが手を出す必要はないよ。今度からはちゃんと――――――」
 と、お説教じみたことを言いながらエリスに視線を戻したところで、ようやくヘルムートは己の妻が大きな目いっぱいに涙を溜めて俯いていることに気がついた。
「エリス」
 ヘルムートはうろたえた。傍目にはそう見えないかもしれないが、かなり動揺している。
(そんなに自分でお茶を入れたかったのか?)
 わからない。泣くようなこととも、正直思えない。
 ヘルムートはティーポットを置いて、そろりとエリスの頭を自分の胸に引き寄せると、あやすように優しく撫でた。
「どうして泣くの――――エリス?」
「だ、って……、余計なこと、しちゃったから……ヘルムートさま、おこ、怒って……」
 泣き声で言うエリスに、ヘルムートはああ、と呻いた。
 どうやら自分は、またやってしまったらしい。
 このきつい物言いが、ときどき彼女を知らぬ間に傷つけている。
 ヘルムートはエリスの額に口づけて、ゆるく波打つ栗色の髪をゆっくりと梳いた。
「怒っているわけじゃない。ただ、きみが心配なだけだ。火傷でもしたら大変だろう?」
 そう言うと、腕の中に閉じ込めていたエリスがおずおずと顔を上げた。
 涙に濡れた緑の瞳に、ヘルムートの顔が映る。
「ヘルムートさま……ほんとに、怒ってない……?」
「僕が信用できないの?」
 ちょっと意地の悪い笑みを浮かべて訊き返すと、エリスはようやく小さな笑みをこぼした。
「信じています」
「じゃあ、仲直りしようね」
 喧嘩したわけではないが、ヘルムートはそう言ってエリスの唇にキスをした。
「!へ、ヘルムートさまぁ……!」
「さあ、お茶にしよう」
 エリスの可愛い抗議は聞かなかったことにして、ヘルムートはその手を引いて一緒にソファに座った。
 すると、出来た使用人たちがてきぱきとカップや皿をテーブルに並べていく。
「それにしても、今日はどうして使用人の真似ごとなんてしようと思ったの?」
 紅茶の香りを楽しみながら訊くと、エリスはとたんにそわそわと落ち着かない様子になった。
「え、あの、」
「うん」
 ヘルムートは答えを待つ間にお茶を飲み、綺麗にカットされたケーキを一口食べる。黄色のケーキは、かぼちゃ味だった。しっとりとしていて、甘さは控えめだ。
 美味しいが、コックが作ったにしては味も見た目も素朴である。
 不思議に思いながら咀嚼していると、ふとエリスの言葉がとぎれていることに気がついた。視線をやると、彼女はじぃっとこちらを見つめている。
「どうしたの?エリス。返事はもういいから、きみも食べなよ」
 使用人の真似ごとをなぜしたのか、その答えに詰まっているのだと思い、ヘルムートはそう言った。
 何を思ってやったのかは気になるが、エリスは時おり変な自立心を発揮して、何でもやりたがることがあるから、おそらく今回もそんなところなのだろう。
「はい……」
 エリスは、なぜだかしょぼんと落ち込んだ様子で返事をした。
「?」
 はて、今度は何が問題なのだ。
 ホントに取扱いの難しい子だなぁと思いながら、ヘルムートがもぐもぐとかぼちゃケーキを食べていると、傍に控えていた侍女の一人が、そっと彼に耳打ちをした。
「旦那さま、感想を」
「は?」
「ケーキの感想をおっしゃって下さいませ」
 意味が分からない。
 なぜそんなことを侍女に促されなければならないのか。
 訝しげにその侍女の方を見たら、壁際に控えている他の使用人たちも一様に「感想を!」と口の動きだけで伝えてくるではないか。
 なんなのだ、一体。
「ヘルムートさま」
「ん?」
 振り返ると、エリスが元気のない声で訊いて来た。
「お、おいしくないですか……?」
「………」
 ヘルムートは、そこでやっとすべてを理解した。
 頭の回転は速い方なのに、エリスのこととなるとなぜ鈍くなってしまうのか自分でも分からない。
 そんな自分に内心で呆れながら、にっこりとエリスに微笑みかける。
「いや、すごく美味しいよ」
 本心からそう言ったら、エリスの表情がぱぁっ、と明るくなった。
「ほ、ほんとに?」
「うん。本当に」
「よかった……」 
 エリスははにかむように微笑んで、ようやくフォークを手に取った。
「きみが作ったんだね」
 そう優しく確認すると、エリスは頬を赤くして、こくんと頷いた。
 本当に、変わった子だ。
 絵を描くのもそうだが、お菓子作りも、公爵夫人のすることではない。
 だけど、そこがこの子の良いところだ。
 ヘルムートはそう思いながら、仲良くエリスとお茶の時間を楽しんだ。

 

おわり  


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