十五歳の読書録@

「やっほーエリス。元気?」
「コレット!」
 何の前触れもなく部屋の扉が開いて、女の子で唯一の友達であるコレットが入ってきた。エリスは少し微熱があるので、今日は大人しくベッドの上にいる。といっても、退屈して起き上がった状態で本を読んでいたのだが。
「いらっしゃい……!うれしい。いまね、すごく退屈で、コレット来てくれないかなって思ってたの」
 エリスは友達が少ない。外に出て人と交流する自体がないから、仕方のないことかもしれないが、とにかく少ない。レスターと、コレットと、あと。
(ヘルムートさまも、お友達に入るのかなぁ……)
 自分はそう思いたいけれど、彼は単にエリスの絵に興味があって、それで遊びに来てくれているだけだから、知人程度にしか思われていない気がする。それはちょっと、いや、かなり淋しいのだけど、もともと傍に近寄ることも躊躇われるような綺麗な人だから、一緒にいられるだけでも貴重なのかもしれない。友達認定してほしいとか、贅沢は言うまい。
 というか、それを言ったらレスターだって、一番付き合いが長いのに未だに友達扱いしてくれない。エリスの祖父との契約があるから、会っているだけだと。
 だから、実のところコレットだけが相思相愛の友達なのだった。
 彼女はベッド脇の椅子に座ると、にっこり笑った。その笑顔は明るくて、ひまわりのようだ。
「あたしも久しぶりにエリスとおしゃべりしたくて来たのよ。りんご食べられる?お土産に持って来たの」
「うん。ありがとう」
 コレットは持参したバスケットの中から真っ赤なりんごを取り出して、エリスの部屋にあった果物ナイフで器用に皮を剥き始めた。それをすごいなぁと感心しながら見つめ、ふとエリスは今さらなことに気がついた。
「あれ…?コレット、一人でここに来たけど、誰も案内してくれなかったの……?」
 数分前を思い返せば、部屋の扉を開けたコレットの後ろには誰も見えなかった。客人が一人で部屋に来ることなんて、普通はないのに。エリスは首を傾げた。
ヘルムートが来るときは、いつも使用人の誰かが案内して来る。例外的なレスターの場合は、一度も正面玄関から来たことがないので、みんな案内の仕様がないとぶうぶう言っていた。―――――いや、でも一度だけ、確認したことはないけど、レスターも普通に玄関から入ってきたことがあったのかもしれない。初めて会った日、祖父がエリスにレスターを紹介した日に。
 コレットはそんなレスターとは違い、ちゃんと玄関から来る。
 けれども、そういえばいつも一人で部屋まで来ている気がする。たいてい寝込んでいる上にぽやぽやしているエリスは、今までそのことに気がつかなかったのだ。
「ごめんね、こんどから、ちゃんと案内してもらうね」
 そう謝ると、コレットは林檎を手の中で切り分けながら、「べつにいいわよ。勝手知ったるエリスの家だし。それに私が案内無視してずかずか入り込んでるだけだから」と事もなげに言った。
「はい、あーん」
「ん」
 はむ、と口にする。普段しないお行儀の悪い行為も、コレットと一緒だとなんだか平気でしてしまえるから不思議だ。乳母が見たら絶対に叱るに違いない。
 林檎は甘酸っぱくて、爽やかな香りでおいしかった。一口目だけ食べさせてもらって、あとは自分で手づかみで食べた。むろん、いつもはフォークを使って食べている。
「おいしい」
「うん、甘い。よかった」
 と、コレットは自分でも齧りながら満足そうに言った。
「それはそうと、何の本を読んでたの?エリス」
「あ、これ……?えっとね、『元気になる十二の秘訣(ひけつ)決定版 これであなたも健康体!』だよ。おとうさまが買ってきてくれたの」
「…………。」
「さっきまではね、『なぜあなたは弱いのか。強靭な肉体を手に入れるための五つのアイテム』を読んでたの。その前は『かんたん便利な家庭で作る魔法薬の本。みんなで元気になろう』。レスターみたいにね、何か作ってみようと思ったの。今度元気なときに作るんだ。あ、あのね。朝露とざくろと魔女が月光の元で育てたハーブとね、採れたてのレモンを混ぜたものに三年に一度咲く薔薇の花びらを浮かべて飲むといいんだって」
「………つっ込みどころが多すぎて思わず固まっちゃったじゃないの。なにその年寄りみたいな本の選択。ていうか最後のは特に何。魔女が育てたハーブ?魔女の知り合いがいなきゃ話にならないでしょ。おまけにすっぱいだけのような気がするわ。だいたい何よ三年に一度咲く薔薇って。何の効果を発揮するのよそんなもんが。それに元気なときに作っても意味ないでしょう。――――人のシュミにケチ付ける気はないけど、もっとマシな本を読むべきよエリス。時間は有効活用しなくちゃ」
「え……これ、だめ……?」
 エリスはがっかりしながら『元気になる十二の秘訣決定版』を控えめに掲げたが、それはぺいっ、とコレットに投げ捨てられた。
「ああ……っ」
「ちょうどよかった。私いま、王立図書館からかっぱらっ……いや借りてきた本を持ってるの。当分返す予定じゃないから、あなたにも貸してあげる。わたしは後でいいから」
 と、コレットはエリスが未練たらたらで床の上の健康本を見ているのを無視し、バスケットの中から王立図書館のラベルつきの本を取り出した。
「なんの本……?」
 受け取った青い装丁の本は、それほど分厚くはない。膝の上に乗せて読んでも疲れなさそうだ(非力なエリスには肝心なポイント)。表紙には見つめ合う男女の絵姿が描いてある。
「大人のための恋愛小説。エリスはちょっとそういうのを見て勉強した方がいいわ。ここの家の人間はどうもあなたを甘やかして箱入りの箱入りに仕立て上げようとしているから」
「箱入りの箱入りってどんなの?」
「おそろしく世間知らずになるってことよ」
「そんなのやだ。わたし、しっかりした女性になるのが夢なの。あと、健康な人」
 ささやかすぎる夢に、コレットは「うん、そうでしょうとも」と涙を拭うマネをしながら言った。ささやかだが、きっとどちらの道のりも果てしなく遠いに違いない。
「そういえば、最近レスター・オルスコットはどうなの?来てるの?」
「レスター?三週間くらい前に来てくれたよ」
「何しに?」
「えっとね、喉の痛みをとる飲み薬を調合してくれて、それを届けてくれたの。あまくてシロップみたいで、飲みやすいんだよ」
「彼なにげにあなたのこと甘やかしてるわよね」
「レスターは厳しいよ?」
 エリスはそう言ったが、コレットは「いーえ、ぜったい甘やかしてる」と断言した。
「そうかなぁ……。レスター、親切で優しいけど……でもやっぱり甘くはないと思う」
「しんせつで、やさしい」
 なぜか奇妙な単語を聞いたとばかりに、コレットは感情のこもらない口調で繰り返した。
「うん……?レスターは厳しいけど、とっても優しくて面倒見がいいよ?」
「めんどうみがいい……?」
 またコレットは心底疑わしげな表情をした。
 はて、コレットとレスターは何度か会っているはずなのに、なぜそれが分からないのだろう。
 エリスが不思議に思っていると、コレットは引きつった笑いを浮かべて「へえ、そう」とだけ言った。
 それからしばらく別の話題で盛り上がり、空が茜色に染まる頃、コレットは椅子を立った。
「じゃあ、来週また来るから、感想聞かせてね」
「うん、またねコレット」
 来週も来てくれるんだ、とエリスは嬉しく思いながらにっこり微笑んだ。
(でも、実はあんまり恋愛小説には興味はないんだけどなぁ……)
 だけど、せっかくの機会だから読んでみよう。
 エリスはコレットの去った部屋で、ひとり表紙をめくった。

Aにつづく  

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