白いバラの日

「ヘルムート。今日が何の日か知っているのか?」
 王宮の一室で顔を合わせたとたん、リカルドはそう訊いてきた。
 ヘルムートはほんの幼い頃から、この同い年の第一王子のご学友を務めている。
 長い金髪を一つに結わえた青い瞳のリカルドは、秀麗な面立ちにちょっと愉快そうな表情を浮かべていた。
 どうせろくでもないことを考えているのだろう。
 ヘルムートはそう思ったが、平然とした態度のまま、「さあ」と答えた。
 しかし、ふとリカルドの手の中に白いバラがあることに気がつく。
 眉根を寄せて呟いた。
「――ああ。……分かった」
「お前にしてはうかつだったな」
「全くね。―――覚えていたら『白いバラの日』なんかに外出しなかったよ。……帰ろ」
 そう呟くと、ヘルムートは踵(きびす)を返した。
 今日は『好きな人にバラを贈る日』から一月後、『バラをもらった人が、お返しに贈り物をする日』、通称『白いバラの日』だったのだ。
 ヘルムートは自分がもらった大量のバラを思い出し、本気でうんざりとした。『バラの日』など、この世から消えてなくなればいい行事の筆頭である。
 背を向けて部屋を出て行こうとする彼に、リカルドの声がかかる。
「何だ。もう帰るのか?」
 ヘルムートは立ち止まって身体を半分向けた。
「うっかり送り主の誰かと遭遇して、お返しをねだられたら面倒だからね」
「園丁に言って用意させてもいいぞ」
 と言って、リカルドは自分が手にしている白いバラをひらひらと軽く振った。
 『バラの日』のお返しには、白いバラを贈るのが世間の恒例となっている。
「いいよ別に」
 全く思案することなく即答したヘルムートに、リカルドは笑った。「返す気は?」
「あるわけないだろ。どうして要らないものを勝手に送り付けてきた相手に、僕がわざわざ貴重な時間を割いてお返しをしてやる必要があるんだよ」
「世の娘に聞かせてやりたいな。天使の暴言」
「別に当人たちに直に言ってやってもいいけど」
「よせよせ。ショック死するぞ」
「させておけばいい。―――それより一週間ほど田舎の方に引っ込むことにしたから、用があっても呼ぶなよ」
 ヘルムートはきっぱりそう告げた。
「そこは普通、用があったら手紙でも送れとか、そう言うんじゃないのか?」
「言わないよ」
「言わないか?」
「ああ」
 リカルドはふぅん、と言って白いバラの匂いを嗅いだ。そのまま視線だけをあげて、彼は言った。
「最近、田舎の別邸によく行くな?何か面白いものでもあるのか?」
「別に」
 短く答え、ヘルムートは再び背を向けて歩き出した。
 その背にまた、声がかけられる。
 今度は少し、笑いを含んだ声音だった。
「小さいお姫さまによろしくな」
「…………」
 ヘルムートは振り返りもせずに肩をすくめると、無言のまま立ち去った。



 彼が去った後、入れ替わるようにリカルドの弟が部屋に入って来た。
「いまヘルムートと会ったけど、彼しばらく来ないんだって?」
「一週間ほどな。『バラの日』のお返しをするのが嫌なんだと」
「ああ、なるほどね…。それにしても、最近よく別邸の方に行くよね」
「可愛いお姫さまがいるからな」
 そう言うと、リカルドの弟は首をかしげた。
「それヘルムートが言ったの?」
「いや?」
「……にいさん、友達のこと調べるの、よくないよ。ただでさえ友達少ないのに。ていうか他の学友みんな逃げちゃって、ヘルムートしか残ってないんだからさ。もっと大事にしたら」
「別に気にしてなかったからいいんじゃないか。それにアイツ、自分のことは基本的に訊かれないと話さないし。だいたいお前、俺の学友が消えた原因の半分はアイツだぞ。今さら逃げ出すようなタマか」
「……まあそうだけど。ところで、お姫さまって何?」
 興味を引かれるのか、弟は呆れながらもそう訊いた。
 けれど、リカルドはただ愉快そうに微笑んで、「そのうち分かる」と答えたのだった。



「やあエリス」
 ヘルムートが伯爵家を訪れると、エリスはせっせと絵を描いていた。この間来た時は寝込んでいたので、起きている彼女を見るのは久しぶりのことだった。
「あ…、ヘルムートさま…っ」
 こちらを向いたエリスは、嬉しそうににっこり笑った。
「こんにちは…っ」
「うん。―――はい、これ」
 ヘルムートは、ピンク色のリボンがかけられた長方形の白い箱を手渡した。
「…?なあに?」
「開けてごらん」
 エリスはこくんと頷くと、丁寧にそのリボンをほどき、ぱこっと箱の蓋を開けた。
「わあ……」
「気に入った?」
 訊くまでもなく、エリスはそれを一目で気に入ったようだ。頬を染め、じっと箱の中を見つめている。
 ヘルムートが贈ったのは、一本の真新しい絵筆だった。
「あげる」
「でも……。あの、どうして?」
 ヘルムートはエリスの頭を撫でながら、当然のことのように言った。
「きみ、今日が何の日か知ってる?―――白いバラの代わりだよ」
と。 

 

おわり  


 

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