「くっきー持ってきたぞ」
二人の傍まで来て立ち止まったその子は、以前エリスがレスターにあげたぬいぐるみのニコと似ていた。というよりそのものに見えた。その子の頭部には人間の顔など見えていない。ぬいぐるみのままの顔しかなかった。
「ニコ?」
「なんだ?えりす」
話しかけたら、こてっと首を(首がないから頭を)傾けてふつうに答えてくれた。ぬいぐるみなのに口が動いている。笑いかけられて、エリスもふにゃりと笑う。やっぱりニコだ。可愛い可愛い、とニコの頭を撫でる。
「わぁ〜えりす、くすぐったい」
「だってすごく可愛いよ!」
えへへと頬ずりもする。
うさぎの小さなぬいぐるみは身をよじって照れていた。
「ニコ、お茶が来ない」
レスターが冷静な声で割って入った。
ニコがクッキーの袋片手にきょろきょろと辺りを見る。
「おれ、さがしてくる」
言うが早いか、ニコはクッキーをレスターに渡してさっと走りだしていた。その小さな後ろ姿は花畑の中に消えていく。
「……お姫。じつはな」
と、レスターは突然言った。
深刻そうな声だった。
「――――あいつ、ぬいぐるみなんだ」
「……あ、うん……」
それは見ればわかる。
エリスはそう思ったけれど、口に出さなかった。とりあえず続きを聞こう。
レスターは重い口調で続けた。
「俺とあいつ、ほんとうは兄弟じゃないかもしれない」
「う、うん……」
エリスもそう思う。
「毛の色も違うだろ」
「うん……ちがうね」
エリスは神妙に頷いた。
レスターがため息を吐く。
「ぴょんって言わないし、ぜったいにほんとうの弟じゃないぜ」
「……あの……レスターも言ってないよ」
「俺が言うわけないだろ」
「え、あ、そうだね……?」
なんだかレスターが色々おかしなことを言っている。こんなのいつものレスターじゃない。
エリスは本気で心配になって来た。
もしかしたらどこかで頭をぶつけたのかもしれない。それか、魔法で失敗。考え始めたら不安が大きくなってきて、エリスの緑の瞳には涙がにじむ。
「れ、れすたー!!」
「なんだ」
突然の大声に、レスターは目を丸くした。
「おじいさま………ううん、おいしゃさまに診てもらいに行こう!?」
「なに変なこと言ってんだ」
「変なのはれすたーだもん〜!」
うええーんっ、とエリスは大声で泣いた。
うさぎの着ぐるみレスターは、珍しくおろおろと困った様子だった。
* * *
「エリス」
「お姫」
口々に自分を呼ぶ声がして、エリスはふっと目を覚ました。
見慣れた天井が見える。
「大丈夫?エリス」
案じるような声に首だけを動かせば、ベッドの右側にヘルムートが立っていた。いつもと同じ、貴族の子弟らしい上品ないでたちだ。
「ごめんね起こして。でもひどくうなされてたよ」
「あ…はい」
答えたのと同時、頬の辺りが冷たいことに気がついた。涙だ。
ベッドの左側に腰掛けたレスターが、無言でぐいぐいと頬とまなじりを自分の袖で拭ってくれた。いつもどおり簡素な服装だ。
「ありがとー…れすたー」
寝ぼけ声のエリスは、彼の方を向いてお礼を言った。そのとたんにふいっと顔を背けられてしまう。
その背中を見ていて思い出した。エリスはぽや〜とした状態のまま、こう言った。
「れすたー…、ぴょんって言わなくても、ニコはちゃんと弟だとおもうよ。それに二人でぴょんって言うれんしゅうすればいいよ」
「……………」
「……………」
二人の少年は沈黙しながらエリスを見下ろした。
しばらくして、ヘルムートがレスターに訊ねる。
「お前ぴょんとか言うのか」
「言うわけねけぇだろ。ついでに俺には弟もいねぇ」
愉快そうな視線と、凍えるような冷たい視線とが宙で交差した。
睨みあっていると、またエリスが言った。
「へるむーとさま……、どうして怒ったら『にゃ』って言うんだろ……」
「…………………………」
「…………………………」
二人は先ほどより長く沈黙した。
しばらくしてレスターが口の端を馬鹿にしたように上げて言う。
「そりゃとんだ癖だな」
「そんなわけあるか!!エリス、ちょ、なに寝てんの!僕そんなこと言ったことないだろ!」
「安心しな、黙っといてやる。公爵家の跡取りが猫もどきだってことは」
親切ぶった口調でレスターが言い、ヘルムートは屈辱に震える。
言葉づかいががらりと変わった。
「―――てめぇふざけんなよ。自分は『ぴょん』のくせに。表へ出ろ」
「誰が『ぴょん』だ。お姫のおかしな寝言を真に受けてんじゃねぇ」
「その言葉そっくりそのまま返してやる、クソ魔法使い」
そして二人はバチバチと睨みあったままテラスから庭へ出て、伯爵家の使用人たちが止めに入るまで派手に殴り合いを続けたのだが。
すやすやと寝入ってしまったお姫さまは、一人のんきに夢の中。
平和な昼下がりのことである。
おしまいだぴょん。