chocolate(1)

「お嬢さまご存知ですか?遠い異国では、明日は『ばれんたいん』という行事の日なんですよ。好きな人に贈りものをするんですって」
 侍女のメアリはそう話しながら、エリスの栗色の髪を淡い緑のリボンで飾った。
「はいできあがり。良くお似合いですわ。わたくしのお嬢さまはホントに可愛い」
 ウフフと満足げに笑い、メアリは出かける支度をするためにいったん部屋を出て行った。
 残されたエリスは鏡に映る自分をじっと眺める。
 淡い緑色のリボンは、自分の髪の色にも瞳の色にも確かによく合っているけれど。容姿はべつに可愛いとは思えなかった。
 なぜって、部屋にこもることが多いから肌は白すぎるし、やせっぽちだし、十五になったというのに胸のふくらみもさっぱりだし、改めて自分自身を眺めてみると、良くない点の方が多い気がするのだ。
 そして何より、エリスは本当にきれいな人を知っているから、比べると完全に見劣り……というか足元にも及ばないという結論に至ってしまう。
「わたしもヘルムートさまみたいな美人さんだったら良かったのになぁ」
 そうしたら、褒められるたびに実際との違いに恥ずかしさを感じずに済むだろうに。
 今まではあまり気にして来なかったことだけれど、エリスは最近少しだけ自分の容姿のことが気になり始めていた。
 でもクヨクヨ悩んでいても仕方ない。いつか健康になったら、きっと少しはマシになるはずだ。
 エリスは気を取り直して、鏡台の前の椅子から立ち上がった。
 さあ楽しいことを考えよう。今日は久しぶりのお出かけなのだから。
「お嬢さま、馬車の準備ができましたよ」
 呼びに来てくれたメアリに付き添われ、エリスは町の中心部へと出かけて行った。

   * * *

 エリスとメアリは、まず最初に洋服店を訪れた。
 店内には淡い色やさわやかな色の、可愛らしい服が飾られている。
「いらっしゃいませ。―――あら、エリスお嬢さま。今日はとってもお顔色のよろしいこと。暖かくなってきたら、きっともっと良くなりますよ」
 店主の老婦人は、たまにしか現われないエリスのことをちゃんと覚えていてくれて、疲れないようにと椅子を勧めてくれた。
「今日は何をお求めですか?」
「えと、ねま……」
 寝間着、と言いかけたところを、傍に立っているメアリが「春のお出かけドレスを!」と遮った。ふつうは主の言葉を遮ったりしないものだけれど、このメアリはちょっとふつうと違う。まるで姉のように、たいてい言いたいことは遠慮なくズバズバと言うのだ。少しコレットとタイプが似ている。
 そんなメアリに老婦人はわずかに面食らったようだったが、すぐに笑顔を取り戻して「春のドレスね」とおすすめの生地を選び始めた。店内には完成品も売っているが、エリスはいつも一から作ってもらうことにしている。完成品だと少し年下の子が着るようなものしかサイズが合わないのだ。
 つまり、ふつうより小さくて痩せているのである。
 エリスはちょっとしょぼくれながら、色とりどりの生地をメアリと共に眺めた。春用のものだから、淡い色や花柄が多い。
「どれも可愛いですわね。奥さまからは二着注文するように言われていますけど、どれとどれになさいます?気に入ったものは?」
 メアリに機嫌よく訊かれたエリスは、「うーん……」と視線を巡らせる。どれも素敵だと思うけれど、これといって欲しいものはない。
 というのも、エリスは身体が弱くほぼ家にこもっているので、お出かけ用のドレスなど買っても(それも二着も)必要になる機会が少ないからだ。ないといっても過言ではない。
「お悩みならわたくしが」
 そう言って、メアリはさっと手に取った生地をエリスに合わせてみる。
 小花模様の淡い黄色の生地だった。
「ひとつはこちらを」
 一度で決めて、老婦人に言う。
「もうひとつは……そうですわね。こちらを」
「あら、良いお見立てだこと」
 老婦人がにっこり笑顔になったのは、やさしい桜貝色の生地だった。
 それから採寸をしてもらい、二人は店を出た。出来上がるのはまだ先のお楽しみだ。
 通りに停めた馬車のそばでは、護衛のヴァルが無表情のままハトにパンくずをやっていた。
「パン、どうしたの?」
 エリスがハトを驚かせないようにそっと近づいて訊くと、ヴァルは通りの向かいに建つパン屋を見て、「店員に」と短く答えた。
 メアリが笑う。
「ははーん、あそこの店員、あんたに気があるんだ」
「十代前半の娘だったが」
「恋に年齢は関係ないでしょ。だいたい十くらいしか違わないじゃないの」
「こどもに興味はない」
 ヴァルはそう言って、パンの残りをメアリに渡した。
「どうしろと」
「食えばいいだろう」
「いらないわよ」
「俺もいらん」
 おいこらと言うメアリの文句は無視して、ヴァルはエリスをひょいと抱えて馬車に乗せた。自分も向かいの席に座る。
 メアリはエリスの母親に頼まれた化粧品を、数歩先のお店で買わなければならないので、いったん別行動することになった。
 御者の青年が、「しゅっぱつー」というのんきな掛け声と共に馬車を動かし始める。エリスは窓からメアリに手を振った。

   * * *

 次に訪れたのは古い小さな画廊だった。
 つい最近この町にやってきた旅の画家が、個展を開いているのだ。
「わぁー……すてき……」
 エリスは夢中で絵を眺めながら、ヴァルと共にゆっくり見て回った。見たこともない異国の風景ばかりが壁にずらりと並び、画廊の奥の方まで行くと一人の若い男が立っていた。
 男はくすんだ金髪を無造作に後ろで束ね、くしゃくしゃの白いシャツを着ていた。
 エリスと目が合った彼は、片方の眉を上げてこう言った。
「今日はずいぶんかわいらしいお客さんが来てくれたもんだ。若いお嬢さんは俺の絵なんかに興味はないはずなんだがな」
 それは独り言のようでもあったし、エリスに話しかけているようでもあった。
 エリスはこの人が描いたんだ、と少し意外に思った。とても繊細でうつくしい絵だから、もっと洗練された服装の、穏やかな男を想像していたのだ。
「あの、こんにちは」
 思い切って挨拶したら、男は愛想の欠片もない表情で「こんにちは」と返した。
「すてきな絵ですね……、感動しました」
「そいつはどうも」
「本当にそう思いました」
「そりゃありがとよ」
 どうも本気で受け取ってもらえていない気がした。誰かに似ている。誰だっけ、とエリスは考える。
「あ」
 そうだ、レスターに似ている。この愛想のなさ。そっけなさ。エリスの言葉をさらりと受け流す感じも。
「どうしました」
 ヴァルがやや屈みこんで訊くのに対し、エリスは小声で返した。
「あのね、このひとレスターに似てると思って」
「……そうですか?」
 ヴァルは不思議そうに男を見た。
 男の方は、エリスをじっと見下ろしていた。
 何かを探るような視線だった。
「……あの?」
「いや。べつに。――――ああ、そうだ。いるか知らんが、よかったらやるよ」
「え」
 男に差し出され、反射的に受け取ったそれを見て、エリスは思わず満面の笑顔になった。
 それは葉書サイズの用紙に描かれた、花畑で眠る白い猫の絵だった。
「わぁ……!ありがとうございます……!うれしいです……っ」
「……そうか」
 わぁー、と何度も言いながら眺めていると、男はちょっと笑った。今度は本心からの言葉だと信じてくれたのかもしれなかった。
「さようなら」
 去り際、そう告げると男は片手を軽く上げて「さようなら」と返してくれた。

   * * *

 メアリを乗せるために化粧品屋まで向かう道すがら、エリスは馬車の窓から不思議な光景を見た。
「ヴァル?」
「はい」
「あれって、何のお店?女の子がいっぱいいる」
「……さて」
 外を覗いたヴァルは、「ああ」と呟いた。
「菓子屋です。明日はヴァレンタインとかいう異国の行事があるので、そのせいでしょう。都の方で流行っていたのですが、今年はこの町にも広まったようですね」
 珍しくヴァルが一度にいっぱい喋ってくれた。
 そういえば、メアリも同じようなことを言っていたと思いだす。ばれんたいん、と。どちらの発音が正しいのだろう。
「好きな人に贈り物をする日なんだよね?メアリが言ってた」
「チョコレートです」
「チョコ………」
 変わった行事だなぁと思いながら、エリスは馬車の中から菓子屋を眺めた。

 

2につづくよ。  


 

next / top


 
inserted by FC2 system