chocolate(3)

 そういうわけでチョコレートを買って伯爵家を訪れたヘルムートだが、そこで少々意外なことが判明した。
 てっきりエリスはヴァレンタインを知らないと思っていたのに、彼女はその意味を訊き返さなかったのだ。
 つまり、ちゃんと知っている、と。
(知っていたけど、僕にくれる気はなかった、と)
 フゥン、とヘルムートは椅子に肘つきをしながら思った。
 なんだこれ。おもしろくない。
 まぁ別に、チョコレートくらいいいけど。
 そんなに好きじゃないし。
 ヴァレンタインの存在を教えたら、来年からは贈ってくれるんじゃないかとちょっぴりほんの微かに微塵ほど期待して自分から贈ってみたわけだが。無駄だったわけだ。別にいいけど。なければないで。別に。
 そう思っていると、先ほど部屋を出て行ったエリスが戻って来た。
「ごめんなさい、お待たせしました」
「別にいいよ」
 チョコレートがないことに比べたら、そんな瑣末なことは。
 ヘルムートはにっこり微笑んだ。
 ところがその偽笑顔は、すぐに崩れ去ることになる。
「あの、これ」
 と、エリスが差し出したものを見て。
 ヘルムートは動きを止めた。
「チョコレートケーキ、ヘルムートさま嫌いじゃなかったら」
 恥じらいながらお手製ケーキの乗った皿を持っているエリスは、じつに愛らしかった。
「嫌い……?」
 いつまでも黙ってケーキを見下ろしていると、エリスが不安そうな声を出したので、ヘルムートは我に返って彼女の小さな手ごと皿を受け取った。
「いや?大好き」
 いつもわざとらしく浮かべる笑顔が、今日はやけに自然に出て来た。
 その自分の表情に嬉しそうに、ほっと笑うエリスがまた可愛くて。
 二人はしばらくほのぼのと微笑み合っていた。

   * * *

「はい、レスター」
 チョコレートケーキだよ、と言って差し出したお皿を、レスターは無言かつ無表情に見下ろした。
 そのまま細いフォークでもふっと中心辺りを突き刺して、次に三分割する。まるで実験でもしているかのように慎重に断面を覗き込み、最後に匂いを嗅いだ。
 少しして片眉を上げたレスターは、ひとかけらをゆっくりと口にいれてモグモグと食べた。
 食べてはくれたけど、しかし。
 エリスはがーん、とショックを受けた。


 ――――まだ疑われている。


 例のねずみさん用チーズ入りケーキ事件以来、レスターはエリスの作ったものはこんなふうにして食べるのだ。もう何年も経ったのに。ひどい。………いや、さいしょにひどいことをしたのは自分だけれど。
「お、おいしい……?」
 でも食べてくれるんだから、レスターはやさしい。決して甘い物好きだからというわけではない、と思う。
「まぁまぁ」
 レスターはおいしそうでもまずそうでもなく、本当にまぁまぁだと思っているようだった。よかった、とエリスは胸をなでおろす。おいしいと言ってもらいたいけれど、レスターの場合「まぁまぁ」が最上級の褒め言葉だから。
 そうエリスは思っていた。
 料理長のジョセフさんから、今日のおやつを出されるまでは。

   * * *

「うまい」
 レスターは、ジョセフさんの作ったチョコレートババロアを一口食べて、はっきりそう言った。
 滅多にない(というか初めて聞く)レスターの言葉に、ジョセフさんは機嫌よく調理場へ戻って行き、あとにはショックでぷるぷる震えるエリスと黙々とババロアを食べるレスターが残された。
「お姫」
「……なぁに……?」
「いらないなら俺にくれ」
「えっ」
 まさかのおかわり!?
 エリスは二重のショックを受けた。今まで一度だって、自分の作ったものはおかわりしてくれたことなんてないのに。
 というか。
「だ、だめぇ!」
 エリスはレスターの手から自分のおやつを守った。
「わたしのだもん……!」
「…………お前がそんなにババロア好きだとは知らなかった」
 レスターはちょっと残念そうに言ったが、それはこちらのセリフである。
 エリスはぷん、とそっぽを向いてババロアをスプーンですくい、ひと口食べた。

 …………自分の家の料理長は、とても良い仕事をする。

 当たり前だが比べ物にならない腕前だ。
「お姫、具合が悪くなったらよこせよ」
「ならないもん……!!」
 エリスはいつかレスターに「うまい」と言わせようと固く胸に誓った。



 

おまけもあるよ。


 

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