きみが泣くのをやめるなら 前編

「まぁ、いらっしゃいませ。ちょうど良いところへ」
 ある日、ヘルムートがエリスのところへ遊びに行くと、出迎えた彼女の侍女が―――たしか名前はメリーだかメアリ―――が、開口一番にそう言った。ニヤーっと笑いながら。
 客人を迎える爽やかな笑顔とは程遠いそれに、ヘルムートは「なんだその意味深な笑いは」と思いながら訊く。 
「……エリスは?」
「今日はお身体の調子が良くて、元気に遊んでおられますよ。さ、お部屋へどうぞ」
 ニヤニヤしながら言われたが、この侍女の挙動不審は今に始まったことではないし、自分のところの使用人たちもたいがい変わっている人間ばかりなので、ヘルムートはあまり気にしなかった。
「ごゆっくり。あとでお茶をお持ちいたします」
 ヘルムートがエリスの部屋に入る間際、侍女はそう言いながら、やはりなにやら楽しそうにニマニマ笑っていた。客人に対してその態度はなんだと思わないでもなかったが、しかし自分のところの使用人たちを思いだすと、まぁ許容範囲内だった。

   * * *

「ヘルムートさま」
 いつものように自分の姿を見たとたん、嬉しそうに顔をほころばせた女の子に、ヘルムートの胸はほわほわ温かくなった。これは謎の現象だ。この部屋が暑いのかもしれない、と思うが、窓を開けているので風通しは良く、温かいのは胸だけだ。おかしい。
 先日、そのことを自分のところの使用人レティーに話したら、妙な顔をされた。彼女は『実は鈍いのですか』とか失礼なことを言った。意味がわからなかった。同じ話を執事のセドリックに話したら、『それは誠に良い症状です』と言ったので、悪い病気というわけではないことだけは確かだ。
 それはともかく。
「やあ、エリス。今日は顔色がいいね。―――で、なんでまたお前がいるんだ」
「この我がままなオヒメサマに呼ばれたからに決まってるだろ」
「わがままじゃないもん……」
 ぷく、と頬を膨らませるエリス―――というのは珍しくて、ヘルムートは瞬きした。
 かわいい、すごくかわいい。だが、自分には見せない顔である。なんだか今度は胸がムカムカした。これまたエリスのところに来ると時どき起こる症状で、自分はやはり調子が悪いのかもしれないとヘルムートは真面目に思った。今度、父さんに言って医者に診てもらおう。
 それにしても、この魔法使いとの遭遇率はどうしたことか。視界に入るだけで不愉快になる。エリスとセットになっていると、なおさらだ。妹(とも違うような気はするが)みたいに思っている子が、ヘンなのと一緒にいるのが気に食わないのかもしれない。
 だいたい、呼ばれたからといって、素直にのこのこ来るような性格はしていないくせに。結局、なんだかんだ言って、このムカつく魔法使いはエリスに甘いのだ。
 ヘルムートはそう考えながら、エリスと向かい合って座っている、黒髪の魔法使いを睨んだ。
「で?なにしてるの」
 ヘルムートは気を取り直して、なるべく優しい声でエリスに訊いた。
 二人は椅子ではなく、なぜか絨毯の上に座り込んでいた。その周りには、木製の食器がいくつか置かれていて、中身はどれも空だった。何かを食べたり飲んだりした跡は見受けられない。
 何をやっているのかまったく見当がつかずにいると、エリスはほにゃ、と笑いながら衝撃の答えを口にした。
「おままごとです」
「………………」
「………………」
 ヘルムートはその場に立ったままで、座っている魔法使いを無言で見下ろした。
 魔法使いもまた、無言だった。
 が、一拍置いて、エリスのおでこを指先ではじいた。コン、という音がした。
「い、いたい」
 おでこを押さえたエリスに、魔法使いは言った。
「誰が、いつ、お前と、そんな遊びをしてた」
「いま……」
「俺はお前がここに座れって言うから座っただけだろうが」
「これから始めるところだったの」
 魔法使いが無言でもう一度手を上げかけたので、ヘルムートはその手からエリスを守るため、しゃがみこんで彼女の小さな身体を自分のほうへ抱きよせた。微かに甘い花のような香りがした。
「ままごとくらい、やってやればいいだろう」
 ヘルムート自身はそんな遊びしたこともないし、頼まれてもしないが、どういうものかくらいは知っている。王宮で女の子たちがしているのを見たことがあるからだ。
 ただそれと、この無表情な魔法使いとが結びつかなかったので、伯爵家では使われない木製の食器を見てもピンとこなかったのである。おそらくこれらは、遊びのために作られたものだろう。エリスがこのようなものを持っていたとは知らなかった。人形を山ほど持っていることは知っていたが。
 魔法使いは、ヘルムートにジロリと視線を向けた。
「アンタがやれ。俺は帰る」
 そう言って本当に立ち上がろうとしたので、エリスがヘルムートの身体越しにその服の裾をつかんだ。
「レスター、いっしょに遊ぼ?」
「なんで俺がそんな馬鹿げた遊びしなきゃならねぇんだ。ふざけんな。俺は暇じゃねぇって言ってんだろうが。能天気わたあめ」
 魔法使いは品のない言葉づかいをして、エリスを睨みつけた。
 ヘルムートは「わたあめ」が何かを知らなかったが、侮辱には違いないようなので、本人に代わって言い返そうとしたのだが。
 エリスはそれより先に言った。
「でも、だって、せっかくアレイスターおじいさまがくださったのに……」
「…………なにを」
 魔法使いは信じられない言葉を聞いた、というような顔になった。ヘルムートはとりあえずエリスを抱っこしたまま成り行きを眺める。
「あのね、おままごと道具。このあいだ、お誕生日に下さったの。おじいさまの手作りだよ」
「ああ道理で見覚えがあると思ったぜ。あのクソじじい、余計なもんを」
 ちなみにヘルムートは知らないことだが、レスターの家の食器はすべて彼の祖父が作ったもので、これらと同じ木製のものをふつうに使っている。
「少しくらい一緒に遊んであげればいいだろう。僕としては、お前が視界にいないほうがいいが」
 ヘルムートが口を挟むと、魔法使いは不機嫌極まりない表情で言った。
「だからアンタが遊んでやれって言ってんだろうが。俺はお望み通り帰る」
「じゃ、えっと、ヘルムートさまとレスターと、三人で遊ぼ?」
 にこにこにこ。
 エリスは実に嬉しそうな顔で提案した。
 少年二人はしばし押し黙ったあと、同時に口を開いた。
「おい、鳥頭。おまえ人の話聞いてんのか。誰がやるって」
「あのさ、エリス?僕そういう子供じみた遊びってしたくな」
「レスターが『旦那さま』で、えっと、ヘルムートさまが『旦那さまのお友だち』役でいいですか?」
「「………………」」
 抗議していた二人は、そろって沈黙した。
「ちょっと待って、エリス。なんで僕がそんな端役で、こいつが主要人物なの」
「アンタ突っ込むべきところが間違ってるぜ」
 レスターは冷静に言った。
 配役を発表したエリスは、一瞬きょとんとしたあと、「じゃあ……」と言い直す。

後編につづくよ  


 

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