きみが泣くのをやめるなら 後編

「レスターが『旦那さま』で、ヘルムートさまは『奥さま』なんてどう……」
「お前は馬鹿か?」
 言ったのは魔法使いではない。
 ヘルムートである。
 つい、素が出てしまった。
 エリスはびっくりした顔をして、次に泣きそうな顔になった。
「いや、あの、別にきみを悪く言うつもりは」
 珍しくしどろもどろになりながら、ヘルムートは弁解した。が、納得できない。なぜ自分たち二人が夫婦役なのだ。気持ち悪い。馬鹿か、と言いたくもなる。なるが、心にしまっておくべきだった。自分はこの子を泣かせたいわけではないのだから。困った。
「あー……、そうだ、ていうか、きみは?きみは何の役?」
 すっかりおままごとをすることになっているが、ひとまずそれは置いておこう。ヘルムートは微笑みながら、優しく彼女の頭を撫でて訊いた。
「わたしは、えっと、使用人の役がいいです……」
 涙目になっていたのを自分でごしごし拭って、エリスはにこ、と微笑んだ。
「…………きみホント変わってるよね」
 ふつうそんな役やりたがらない。いや、おままごとの「ふつう」なんて知らないのだが。
「おい、お姫。いい加減離せ」
 眉間にしわを寄せた魔法使いが、自分の服の裾を掴んでいるエリスに向かって言った。まだ離していなかったらしい。
「レスターも参加して?」
「お前なにげにしつこいな」
 めげない、とも言う。
 ヘルムートはつねづね不思議に思っていた。エリスはどちらかといえば気が弱いのに、どうしてかこの魔法使いに冷たくあしらわれても、堪える様子がない。いや、そのつど落ち込んではいるようだが、少ししたら、気を取り直して笑顔で話しかけるのである。誰に対してもそうなのかは分からない。
 でも、自分が同じように冷たくしたら、エリスはたぶん、そう簡単には声をかけてこない気がする。こちらから声をかけない限りは。
 その違いについて深く考えようとすると、またモヤモヤムカムカしそうだったので、ヘルムートは思考を中断して、こう言った。
「よし、じゃあこうしよう。僕が主で、エリスが侍女。―――お前はそうだな、年老いた飼い犬なんてどうだ」
「どうだ、じゃねぇよ。誰が飼い犬だ。つーか、そもそもいつ誰が参加するって言った」
 魔法使いはイライラしているようだった。
 なんだ犬はいやなのか、わがままだな、と思いながら、ヘルムートは提案を変更してやった。
「じゃ、年老いた飼い猫。お前、猫って感じじゃないけど」
「おい動物から離れろ」
「選り好みするなよ。人がせっかく考えてやってるのに。じゃあ、もうあれだ、年老いた執事なんてどうだ。人だぞ」
「アンタの頭はどうなってる。なんでぜんぶ年老いてんだ」
「エリスはどう思う」
 魔法使いの抗議は無視して、悪意のありまくる提案をしていたヘルムートは、まだ自分の腕の中に囲っているエリスに訊いた。なにかこう、この小さな生き物には手放しがたい何かがあって、あっさり離すのは惜しかった。
 エリスの方は今さら状況に気がついて恥ずかしくなったのか、ちょっと頬が赤かった。
「えっと、あの、い、いいと思います」
「――――お姫」
 魔法使いは低い声を発し、人でも殺しそうな視線でエリスを睨みつけた。ふざけんなてめぇ、という声なき言葉が聞こえてきそうだった。
 エリスが青ざめてぷるぷるした。
「あ、じゃ、じゃあ、若い執事さん」
 そういう問題じゃない。
「もういい。帰る。離せ」
「…………」
 本気で怒っていることを察したエリスは、しょぼんとしながら、魔法使いの服から手を離した。ちょっぴり伸びている。
「当分呼ぶな」
「えっ………」
 魔法使いの言葉に、エリスは並々ならぬ衝撃を受けたらしい。固まった。
 そんな彼女に構わず、魔法使いはテラスの方に向かった。なぜこいつはいつもテラスから出入りするんだ?とヘルムートはどうでもいいことを思う。
「ふ……っ」
 息をこらえるような声がしたので見下ろせば、エリスの大きな緑の瞳は大洪水のまぎわだった。
 なんでこの状態で放置できるのか、どんな神経だ、と心の中で立ち去った魔法使いを罵りながら、ヘルムートはエリスの頭をまた撫でた。
「泣かないで。あんな奴来なくたっていいじゃないか」
「で、でも」
 分かっている。会えないのはいやなんだろう。じゃなきゃ、泣く理由がない。
 ヘルムートは他に彼女の涙を止める方法を知らない。
 だから言った。仕方なく。
「あとで仲直りの手伝いしてあげるから」
「ほ、ほんとに……?」
「うん」
 本当はしたくないが。
「ありがとう……、ヘルムートさま」
 こちらを見上げて微笑む彼女の、その涙が止まるなら、仕方ないじゃないか。
「おままごとも、僕がいっしょにしてあげる。ただし」
 と、ヘルムートはとっさに思いついたことを言ってみることにした。
「僕が旦那さんで、きみが奥さんの役ね。それなら、やってもいいよ」
 口にしたら、それはけっこう、いやかなり良い配役のように思えた。
 ただ、なんだかまた胸が温かくなったので、これはやはり病気の一種かもしれないとヘルムートは思った。
 
 

おしまい  

 

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