つやつやと赤く輝く、宝石のような苺たちには、魔法でもかかっていたのかもしれない。
*
「おや、おいしそうだね」
台所に顔をのぞかせた祖父は、にこりと笑った。
レスターはテーブルの上に置いている苺のタルトを見下ろしながら、無表情に答える。
「お姫が作ったんだと」
「上手にできているじゃないか」
「見た目はな」
問題は中身である。
レスターは慎重な手つきで、タルトにナイフを入れた。例のごとく、人間が食べられないものや、食べられても組み合わせ的におかしなものが入っていたら、あのわたあめの頭の中身をどうにかして詰めかえてやろう。そんなことを考えながら、レスターは一人分を切り分けた。
それを皿に乗せ、手に取り、じっくりと断面を確認していると、祖父が呆れたような声で言った。
「そこまでせんでも」
「じいさん、お姫の作るものはな、危険物とほとんど同レベルだ」
「それでも受け取っているじゃないか」
レスターは匂いをかいだ。
苺とクリームの、たまらなく良い匂いがした。
「食べられるものだったら食べてやってもいいから、一応持って帰った」
「そうかね」
なぜこの孫は素直に『食べたかったからもらった』と言えないのだろうか。おじいさんはヤレヤレと思った。
「検査が終わったら、私の分も切り分けておくれ。――ああ、ルイーゼは散歩に出ているから、後でいいだろう」
「わかった。―――よし、大丈夫そうだ」
真剣な顔でひとつ頷き、レスターは残るタルトを三等分する。
「一人分が少し大きいね」
「食べられるだろ、これくらい」
レスターはフォークの準備を、祖父は三人分のお茶の準備をして、居間のほうに向かった。
暖炉前では、薄いピンクの物体が転がっている。
「おいウサギ。起きろ」
「レスターや。名前で呼んであげなさい」
やなこった、と思いながら、レスターは奇妙すぎる生き物を足の先でつついた。もふっとした毛の中に、つま先が沈む。
「…………」
「これ。レスター。やめなさい」
思いのほか、もふっ、もふっ、と沈むのが気持ちよかったので、三回ほどつついたら祖父に叱られた。
「ぷにゃ」
変な声を上げて、うさぎは丸い手で目をこすりながら起きあがった。
「おはよ〜レスタ〜。もう朝か?」
「なに寝ぼけてんだ。いまは午後だ」
「あれ……?………あっ、それなんだ!?あまいにおいがするぞ!」
タルトを見たことがなかった人形は、興奮してぴょこぴょこ飛び跳ねた。
「さわぐな。跳ねるな。座れ」
「うん」
うさぎは素直にその場に座った。
「ニコはおりこうだね」
「えへへ」
祖父は本当に甘い。実の孫にはわりと小うるさいくせに。うさぎは嬉しそうに笑っている。その能天気な顔が、どこかの誰かをほうふつとさせて、一瞬イラッとした。
祖父の前に一番大きなケーキを置く。次に大きいケーキは、散歩に出ている猫のルイーゼのために取っておいた。
それから少し意地悪な気分になって、残る二切れのうち、小さいほうのケーキをうさぎの前に置こうとした。
けれど、皿を置こうとするレスターに、うさぎはキラキラ期待に満ちた目を向けてくる。本当に、本当に嬉しそうに。
「…………」
人形のくせに、と思いながら、レスターはうさぎの前に皿を置いた。
残るひと皿は、自分の前に。
祖父が順番にお茶を淹れていく。
「わぁ…、わぁ…」
うさぎは感動しているのか、しきりにそう呟いて、つやつやと輝く宝石のような苺たちを見つめていた。
その指のない丸い手には、いったいどういう仕組みかは謎だが、フォークが握り締められている。祖父の『いただきます』の合図がないと食べられないから、ちゃんと待っているのだ。
「あれ……レスター」
「なんだよ」
ふと気づいたように、うさぎはレスターの皿の上を見ながら言った。
「そっちのほうが小さいぞ。おれのほうが大きい。かえっこしよう。おれ、小さいほうでいいぞ」
うさぎは、あれだけ目をキラキラさせていたくせにそう言った。
お茶を淹れ終わった祖父が、それを聞いて微笑むのが視界の端にうつり、レスターはしかめ面になる。なんだじじい、その生温かい視線は。
「いいんだよ、俺はこっちで」
「そうなのか?」
うさぎは首をかしげた。
「レスター、あまいの好きだろう?」
「いいから食え」
しつこいうさぎだ。素直に喜んで食べればいいものを。
「レスターがそう言うのだから、そちらはニコがお食べ」
祖父が言って、ようやくうさぎは頷いた。
でも、まだレスターをちらちら見ていた。
「ではいただこうか」
祖父の言葉で、レスターはタルトに口をつけた。かなり甘すぎるが、悪くない味だった。わたあめ様の作ったものにしては、まぁまぁの出来である。
無言でもぐもぐと食べるレスターと違って、祖父は「おいしいね」と言いながら満足げに食べている。
「レスター」
呼びかけに、視線を下にやる。
すると、うさぎは自分のフォークにさした苺をひとつ、ころん、とレスターの皿に移した。
「……?」
意味が分からず、苺が嫌いなのかと思って訝しげに見たが、うさぎは「えへへ」とはにかんで、自分のタルトの上の苺を食べた。それから、頬がふくれるほどクリームのついたタルト生地を口に入れ、ほにゃりと笑った。
「おいしいなあ、レスター、おじいちゃん。おれ、これだいすき」
「それはよかったね、ニコ」
「うん!」
レスターはその会話を聞きながら、自分の皿の上に転がる苺を見る。
「………」
このうさぎがいなければ、祖父とルイーゼとで三等分して、これより大きな一切れを食べることができた。動いて話して何でも食べるうさぎの人形が来てからは、三等分ではなく、四等分になってしまって。
甘党のレスターは、そうできないことにわずかばかり不満を抱いていた。
しかし、けれど。
もっぎゅ、もっぎゅと口を動かすうさぎを見た。
「おい」
「?」
うさぎは丸い目をレスターに向けた。
「ついてるぞ」
口の横にクリームをくっつけた人形など、きっとコイツくらいだろう、と思いながら、レスターは手元にあった真っ白なふきんで、それをぐいぐいと拭いとった。
うさぎはきょとんとしていたが、しばらくして満面の笑顔になった。
「はひはとー、へふはー」
「物を飲み込んでから言えよ」
レスターは視界の端に、祖父の笑顔を発見した。
おいやめろじじい、そのニマニマ。
「みんなで食べるとおいしいね」
祖父は言った。
別にいつもと一緒だろ、とレスターは思ったが、「うん、おいしいな」とうさぎは同意した。
「な、レスター。おいしいな」
「ふつう。」
「そうかなぁ」
また口の端にクリームがついている。汚い。きっとベタベタする。拭うより、洗濯、いや、風呂にいれたほうがいいかもしれない。
レスターは始終嬉しそうな顔のうさぎを見ながら思った。
不思議なことに、いつのまにか、四等分についての不満は消え去っていた。
おしまい