エリスとレスターのたのしいお遊び

 それはレスターが遅めの昼食を終えた頃に、じたばたと動き始めた。
「……」
 床の上を行ったり来たりしたかと思えば、時どき駄々をこねるように短い手足をばたつかせ。
 困り顔をしたピンクのうさぎのぬいぐるみは、必死にレスターに用件があることを伝えてくる。
 うっとおしい。
 気づかなかったふりをして、レスターは椅子に座って本を読み始めた。
 が、うさぎはめげなかった。
 ぎこちない動きで立ち上がると、ぽふぽふ歩いてきて、彼のズボンをくいくいと引っ張りながら口を開く。 
「えりすがおよびだぞ、はやく行ってあげろよ」
「しゃべるな。お前は人形だ。人形のふりができねえなら沼に捨てるぞ」
「なんだよ、すてるなよ。こんなにかわいいおれをすてるなんて、おまえどんなしんけいだ」
「……」
「わーっ、よせよ、つまむなよーっ」
 レスターはうさぎの首根っこから手を離すと、ため息を吐きながら立ち上がった。
「やれやれ、やっと行く気になったか。ちゃんとえりすのおねがいを聞いてあげるんだぞ」
「帰ってきたらまずお前の綿を引きずり出してやるからイイ子で待ってるんだな」
 わーん、れすたーがいじめるぅぅ、と叫びながら、うさぎはもふもふと別室へ逃げて行った。ぬいぐるみのくせに騒がしい奴である。
 うさぎは、エリスとの連絡手段として、レスターが彼女の持つぬいぐるみの中からニ体を選び、魔法をかけたうちの一体だ。エリスが彼女のもとにいる白いうさぎに話しかけたら、その声はあのピンクのうさぎに届くようになっている。
 しかしレスターは、ピンクのうさぎがあまりにも多弁でうるさいので、連絡があったら動作で伝えろと言いつけていたのだった。
 いっそエリスの白いうさぎと交換したい。あれは喋ったりせず、通信機になっている以外は普通のぬいぐるみと何ら変わらないからだ。
 人格を持って会話したりうろついたりするのは、ピンクのうさぎだけ。そんな魔法をかけた覚えはないのだが、気づかぬうちに別の魔法が混じったのかもしれない。なにしろレスターは、室内で魔法の練習や実験をしている。そういうことがあってもおかしくはない。
 ようするに偶然の産物だ、とこの時レスターはそう思ったのだが、それが間違いであったことを、彼は後に知ることになる。

   * * *

 エリスの部屋は、伯爵家の一階の庭に面した場所にある。
 だからレスターは正面玄関からではなく、庭を通り抜けてテラスから彼女の部屋を訪れることが多い。その方がわざわざ玄関に行くよりも、彼の自宅からは近いからである。
 さて、いつものようにテラスの硝子窓を開けて室内に入ると、彼女はベッドの上に起き上がってホットミルクを飲んでいた。ふうふうと冷ましながら、両手でカップを握っている。
 侍女は一人もいなかった。下がらせているのだろう。エリスはひ弱なくせして何かと自力でやりたがり、こと細かに世話をされるのを嫌がるから。
 レスターはそれを悪いことだとは思わない。むしろ、この箱入り娘が自立できて良いと思う。
 こん、と窓枠を軽く小突いた。
 その音で、ようやくエリスはこちらに気づく。
 このお嬢様は少々鈍い、とレスターは常々思っていたが、窓を開ける音にも足音にも気づかないとは。防犯意識が欠如しているのではあるまいか。
「レスター…!来てくれてありがとう」
 エリスは嬉しそうに微笑むと、カップをサイドテーブルに戻そうとし――――、半分以上残っていたミルクを自分とベッドと床にぶちまけた。
「きゃ…っ」
「……。」
 どんくさい。
 レスターはため息と共にさっと手を振った。
 すると床に転がっていたカップが、誰も触れないのに宙に浮きあがり、あっという間に零れたはずのミルクを吸い込んでいった。床の絨毯にも、ベッドのシーツにも、染み一つ残さずに。
 それからカップはふわりと宙を滑り、静かにテーブルの上に乗る。 
 その間に、レスターはベッドに近づいてエリスの手をとった。
「やけどは?」
「ううん…。だいじょうぶだよ。少し雫がかかっただけだから」
 本人はそう言ったが、レスターは一応その手に魔法を使った。ちょっとした怪我ややけどなら、手で触れて力を注ぐだけで治せる。
「ありがとう、レスター」
 また礼を言う。
 ふわふわほわほわした笑顔と声で。
 レスターは何となく、ほんの少しだけそれが苦手だった。なんだかむず痒いような、居心地の悪い思いになるから。
「……で、なんの用だ?」
 そっけなく問うと、エリスはちょっと傷ついたような顔になったが、気を取り直したように「あのね」と話し始める。出会って半年経ち、レスターの物言いに慣れてきたらしい。―――それはいいが。
「あそぼ…?」
 と一言告げてくる年下の娘を、ベッドに腰掛けたままレスターは無表情に見下ろした。
「……俺の聞き間違いだろうな、お姫。用件もなしにわざわざ俺を呼びつけたわけじゃねえよな?」
「え…、えと、いっしょに遊んで…?」
 不安げな表情をしたエリスに、レスターはふっと笑いかけると、容赦なく頬をひっぱった。
「ひひゃ…っ、れふはー…っ」
 やだやだ、と小さな手をばたつかせるエリスに、彼はきっぱりと言う。
「くだらねえことで俺を呼びつけるなっつってんだろうが。何があそぼ、だ。俺はどこかの裕福なお嬢様と違ってじじいと二人暮しなんだ、家事やら仕事の手伝いやら色々やることがあるんだよ。お前みたいな病人とのんきに遊ぶ暇なんかあるか」
 と指を離すと、エリスは涙目で頬をさすった。
 大きな緑の瞳にじわーと浮きあがっている透明な雫にも、レスターは一切動じない。用件は終わったとばかりに、彼は立ちあがってテラスの方に向かった。
 背後で、ひっくひっくと泣き声が聞こえてくる。
 が、レスターは無視してテラスの硝子窓を開けた。
 ふぇぇ、と憐れな声で小動物が泣きじゃくっている。
「………」
 レスターは舌打ちした。
 エリスの祖父に子守を頼まれてさえいなければ、かまわず帰るところなのに。
 彼は窓を閉めた。
 室内を無言で横切って、どすんとエリスのベッドに腰を戻す。
 するとはずみで、彼女の軽い身体が大きく揺れた。
「…っ、れすたー…」
 森の緑に雫が溜まった様は、宝石のように美しかった。
 レスターは、今度は頬をつねるためではなく、その飽きもせず零れ落ちる涙を拭うために手を伸ばした。
「いつまでも湿気(しけ)たツラしてると今度こそ帰るぞ」
 雫がひとつ、彼の指先に移る。
 効果は抜群だった。
 エリスはすぐさま涙を飲み込み、あふれ出そうになるそれを必死にこらえ、ごしごしと自分の袖で目元をぬぐった。
 彼女がそうして俯いている間に、レスターは自分の指先についた雫を眺めた。
 ぺろりと舐めると、しょっぱかった。
「で、なにして遊ぶんだ」
 訊くと、エリスは嬉しそうに――こういうのを、泣いたカラスがなんとかと言うのだろう――微笑んで答えた。
「あのね、お人形遊びしたいの」
「じゃあなお姫。お大事に」
「えっ、どうして…?帰っちゃやだ……っ」
 力のない手で上着の裾を掴んでくるエリスを、心底いやそうに見やり、レスターは無言で部屋の隅にあるおもちゃ箱を魔法で引き寄せた。
「おまえ…こんなこと二度とないと思え」
「うん…っ、ありがとうレスター…!」
 にこにこ、ほわほわ。
 数ある人形の中からドレスを着た女の子を選んだエリスに。
 レスターはクマのぬいぐるみ片手に嘆息した。

 

おわり  


 

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