それを人は初恋とは呼ばない


 淡い色合いの花々が、窓の外で揺れていた。
 季節は春、暖かな陽光の差し込む王宮の一室でのことだった。
 ひよこみたいな色の髪だな、とリカルドは無表情に相手を観察しながら思った。
 年老いた前任の魔法使いに代わって、王宮で働くことになったという新しい魔法使いに抱いた感想は、たったそれだけ。
 その新任の魔法使いは、平凡な榛色の瞳で王子であるリカルドをじっと見上げて言った。
「……はじめまして。わたしはジーナ・シュロー」
 彼女はにこりともしなかった。
(言葉づかいがなっていないな。というか、普通、愛想笑いくらいするだろう)
 王子である自分に、こんな仏頂面を向けてくる人間はそうそういない。
 それに、なぜこの娘は王族の前で頭を下げることもなく、棒立ちで真っすぐに見つめ返してくるのだ。
 リカルドは訝しく思ったが、とりあえずは無礼を咎めることはせず、「殿下の中身をよく存じ上げていても、うっかり本当は心優しい方なのだと誤解しそうになる自分自身に恐怖を感じます」と側仕えの人間から言われる、優しく華やかな笑顔をつくって言った。
「初めまして。ひよこ頭の魔法使い殿」
「……それわたしのこと?」
「この王宮に、お前以外の魔法使いはいない。それに鏡を見たことがないのか?」
「……」
 笑顔で毒を吐けば、相手は沈黙した。
 さて、この相手は自分の侮辱にどのくらい耐えられるだろうか。
 リカルドは意地の悪いことを思った。
 今まで自分の攻撃に冷静に切り返してきたのは、同い年の学友ただひとりである。あとは皆、男も女も泣きながら逃げ出したのだ。
「どこの田舎から出てきたのか知らんが、ひよこ殿は礼儀がなっていないな。俺を前にしたら、膝をついて頭を床につけろ」
 本当はそこまでする必要はないが、リカルドはさも当然であるかのように言った。
 これで大人しく従うようなつまらない奴なら、いびり倒して自分から逃げ出すように仕向けてやろうと、と考えながら。
 自分が身近に欲しいのは、そういう弱虫ではなく、多少反抗的な苛めがいのある人間だ。
「ほら、どうした。早くしろ」
 リカルドは長椅子に座り、突っ立ったままの相手に指示した。
 その青い瞳が見つめる先で、魔法使いだという年下の少女はゆっくりと膝を折ると、両手をぺたりと床の上についた。
(なんだ、つまらん)
 もともと少なかったこの相手への興味が、一気に失せる。
 まぁ泣きべそをかきながら頭を下げる人間を見るのは、それはそれで愉快だが。
 そんな鬼畜なことを考えていると、何かがバチリとはじける音がした。
 リカルドは不審に思って眉根を寄せる。
 そのとき、目の前で膝をついている少女が口を開いた。
「わたしはひよこじゃない。最初に言ったけど、名前はジーナ・シュロー。性根の曲がった王子さまは、人の名前をいっぺんで覚えられないのかな」
 少年のように淡々とした口調だった。
 バチッ、とまた音がした。
 今度はどこから発生したのかわかった。
 魔法使いの両手だ。
 白く発光している。
「お前」
「えい」
 掛け声は気が抜けるようなものだった。
 つい先日までいた老魔法使いのように、長い呪文も唱えなかった。
 それなのに少女の両手からは魔法の光があふれ、四方に飛び散っていく。
「!」
 その瞬間、なにか嫌な予感がして、リカルドはとっさに長椅子から飛び降りた。勢い余って床を転がったものの、すばやく身を起こす。
 すると、長椅子が宙に浮かんでリカルドめがけて飛んできた。さらにその後ろからは小さな書棚が飛んでくる。
 驚きながらも避けたが、書棚の端が頬をかすめ、つ、と血が流れた。
 直後、後ろで盛大にガラスの割れる音がした。振り向けば、長椅子がこの二階の窓ガラスを破って、下に落ちていくところだった。書棚も後を追うように落ちていく。
 それを最後まで見つめる暇はなかった。テーブルや椅子、燭台、筆記具のような小さなものまでが次々に自分めがけて飛んできたのである。
 リカルドは床の上に転がっていた自分の長剣を手にすると、それらすべてを器用になぎ払った。
「なんだ、けっこうやるね」
 感心したような声で、いつのまにか部屋の扉の前に移動していた少女が言った。
 リカルドも言い返す。
「お前もひよこ魔法使いのくせに中々やるな」
「ひよこじゃないっていうのに」
 榛色の瞳がきらりと光った、気がした。
「あんまりしつこいと、こうするよ」
「なにをどうするって? ――――っ」
 余裕を持って言葉を返した直後、リカルドは足をとられて転倒した。床の一部がせり上がって来て、バランスを崩してしまったのだ。すぐに体勢を整えようとした矢先、また「ほい」という間の抜けた掛け声がして、リカルドは絨毯でぐるぐる巻きにされてしまう。
「こうする。」
 先ほどの問いに答え、魔法使いの少女はにんまりと笑った。その楽しそうな顔に、リカルドは面食らった。
 そのとき、彼女の真後ろの扉と、隣の部屋に通じる扉とが同時に開いた。
「殿下!」
「リカルド様!」
「何事でございますか!?」
 なだれ込んできたのは、隣の部屋で待機していた側仕えの男と、扉の前に立っていた騎士たちだった。彼らは室内に足を踏み入れるや、王子の姿を見て思わず動きを止める。
「で、殿下!?」
「そのお姿は――」
 リカルドは彼らを冷静な表情で眺めると、質問には答えずにこう訊いた。
「お前たち、ずっと近くにいたのか?」
「はい」
 答えたのは、彼らの中でもっとも冷静な側仕えの男だった。
「ですが、中に入ろうとしても扉がなぜか開かず……申し訳ありません。それで、そのすまき状態はいったい何があったのですか。お怪我は?」
「問題ない。魔法使い殿と挨拶を交わしていたら、こうなっただけだ」
「……どんな挨拶を交わしたらそんなことになるのですか」
 散らかった部屋の真ん中で、簀巻き状態で床に転がっている王子を、彼らは呆然と見つめた。
リカルドは己の傍にゆっくりと寄ってきて、しゃがみ込んだ少女を見上げる。
「お前、けっこう腕がいいんだな」
「褒めたあとに舌打ちするような人に言われても」
「俺を攻撃しながら、連中に邪魔されないように魔法で扉を閉じていたのか」
「あと向こうからの音も遮断してた。わあわあ言われると集中できないから」
「ちびっこのくせに」
「そんなに年変わらないでしょ。あと、わたしの名前、まだ覚えられないのかな。それともお仕置きされるのが好きな人?」
 淡々と言いながら見下ろしてくる年下の少女に対し、リカルドは口の端を上げた。
 とても満足そうに。
「いいや。どちらかといえば、するほうが好きだな」
「ああそうだと思った。で、覚えた?」
「覚えたから絨毯をどうにかしろ、ジーナ。起き上がれん」
 今度は素直にその名を口にすれば、少女のほうも満足そうな顔で頷いた。
「とや」
 彼女が妙な掛け声と共に手をかざすと、リカルドの身体に巻きついていた絨毯が一瞬にして木っ端微塵になる。
「お前、これ弁償しろよ」
「え? やだ」
「やだじゃない。お前の初任給から引いてもらうからな。あと窓ガラスと床の修繕費も。ああ、書棚と長椅子も駄目になっているだろうから、それもだ。そこらに散らかった小物類の分は見逃してやる」
 むう、と魔法使いは唇を尖らせた。
「……」
 その顔が妙に可愛いかったので、リカルドは身を屈めて淡く色づいている唇にちゅっとキスをしてみた。
 それから相手が固まったことになどお構いなしに、側仕えの男に指示する。
「アルバート。父上にバレる前に片しておいてくれ」
「ええ……、はい」
 側仕えはチラリと小さな魔法使いを見た。
 お気の毒に、だんだん顔が赤く染まってきている。
(しかし、なぜキス?)
 どんなに可愛く綺麗な少女だろうが、苛めて泣かす以外に興味を持ったことがないような王子なのに。
 驚きながら部屋を出て行こうとする王子の背を目で追っていると、彼はふと立ち止まって振り返った。少女に向かって言う。
「それはそうと、お前もう少し魔法使いらしく呪文を唱えたらどうだ。前にいたジイさんは長々唱えていたぞ。だいたい『とや』はないだろう」
「……長々唱えるのは、慣れない魔法の時だけよ。よく使うのは、呪文なんかなくてもできる。掛け声はただの気合い」
 魔法使いは赤い顔でじろりとリカルドを睨みつけながらも、律儀にそう答えた。
「へぇ、そうなのか」
「――ていうか、こら」
「なんだ」
「なんだじゃないでしょ。なんだはこっちの台詞!」
「なぜ」
「なぜ?! それもわたしの台詞! なんで会ったばかりのよく知りもしない王子にちゅーされなきゃならないの!」
 魔法使いはぷりぷりと怒った。
 リカルドはそれをじっと眺めて、一言。
「お前、怒ってる顔もなかなか可愛いな」
「…………ごめん。わたし、もしかしてさっき何かをあなたの頭にぶつけたかも。あんまり当たらないように気をつけていたんだけど」
「何も当たってない。頬にかすった程度だ。見ていただろう。ぜんぶ避けた。」
「…………」
「…………」
 二人は無言で見つめ合った。
 側仕えと兵士たちは、いつもの悪ガキではない王子の異常に口をぽかんと開ける。
「いくつだ」
 リカルドが唐突に訊くと、魔法使いは戸惑った。
「な、なにが?」
「年」
「わたしの?」
「今この場でお前以外の人間の年を訊いて俺になんの得がある」
「十二だけど。それを言うならわたしの年を聞いて、きみに何の得があるの」
「『きみ』?」
「ああ……つい。『あなた』って言うべきだった、ごめん」
 一応、目上の人間に対する礼儀のひと欠けらくらいは持っているらしく、魔法使いは素直に謝った。
 しかし、それに対するリカルドの返答は。
「『きみ』でいい。女にそう呼ばれるのは新鮮だ。『あなた』と呼ぶのは未来にとっておけ」
「は……、え? ど、どこに何をとっておけって?」
 魔法使いの頭は混乱した。
 リカルドはそれを放置して部屋を出て行く。
 そのまま向かったのは、温室だった。
 特別に許されたものだけが入室できる場所である。
 リカルドが中に入っていくと、天井から光の降り注ぐ真下に先客が立っていた。
「来ていたのか、ヘルムート」
 振り返ったのは、天使のような柔らかな美貌の少年。
「来ていたのかも何も、きみが呼んだんだろ。暇だから遊びに来いって。……だけど、ぜんぜん退屈しているように見えないね」
 リカルドは誰がどう見てもご機嫌な様子だった。
「ああ、今まで新しい遊び相手で遊んでた」
「フーン……」
 遊び相手『と』ではなく、遊び相手『で』と言ったことに、ヘルムートは特に言及しなかった。
「今度紹介してやる。けっこう骨があって面白いぞ。怒ると可愛いし」
「……『可愛い』?」
「気に入ってもやらんぞ。お前には『エリスちゃん』がいるだろ」
「名前で気安く呼ぶな。――――ていうか、僕はその相手とやらに興味はない。単に、きみが『可愛い』なんて言うのを初めて聞いたから意外に思っただけだ」
「俺だって可愛いものには『可愛い』くらい言うさ」
 ヘルムートは変なものに対する目でリカルドを見る。
「何がそんなに気に入ったわけ」
「反抗的な態度」
 気に入った理由を聞いたのに、なぜ真っ先にそれが出て来る、とヘルムートは思った。
「……他には?」
「無礼なところ」
「……あのさぁ、気に入ってるんだよね?」
「ああ」
「ちなみに、まだあるの」
「そうだな、年が近い」
「年が近い……? 年が近いと何」
「範囲内だ」
「ああそう、範囲内……なんの?」
 訊き返したが、リカルドはもう聞いていなかった。
 珍しく――とういうか、ヘルムートは初めて聴く――鼻歌なんかを歌いながら、温室の奥へと歩いていったから。
(まぁよく分からないけど)
 そのうち飽きるだろう、とヘルムートは思った。
 あの王子は好き嫌いが激しく飽きっぽいので、すぐにまた「オモチャがなくて退屈だ」と言い出すに決まっている。
 ところが、それが王子と魔法使いのおかしな恋愛のはじまりだったのである。

おわり


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