開け放してある窓の外から、音楽が聴こえてきた。
ジーナは留守中たまりにたまっていた書類の山の前から立ちあがると、楕円形の鏡の前に移動した。すっと手をかざす。
すると、目の前には自分の姿のかわりに、大勢の人々の姿が映し出される。指をちょちょいと動かして、目的の人物たちに焦点を当てた。
「さて、告白はうまくいったのかな」
鏡の中では、栗色の髪の女の子と蜂蜜色の髪の青年が楽しそうに踊っていた。
ジーナは椅子に座り、しばらくその光景を眺めていたのだが。
「お」
女の子が青年にキスをした。
どよめく人々の前で、二度も。
大人しくて恥ずかしがり屋なのに、頑張ったものだ。
ジーナはにこにこ笑った。
それからまた指をちょちょいと動かして、人々の中から一人を捉えた。
金髪に、青い瞳の青年だった。
呆れた顔で先のふたりに視線を向けている。
しかし、呆れたいのはこちらのほうである。
「……あんなの、わたしたちでは無理だって言うのに」
ジーナは椅子に深くもたれて呟いた。
鏡の中の青年――リカルドを見つめながら思う。
(きみはどうかしている)
彼とは子供の頃から、この王宮で共に育ってきた。王宮付き魔法使いと、王子として。たまに喧嘩したり、一緒に勉強したり、お忍びで街に遊びに行ったりもしながら。
楽しかった。
そう、彼といるのは楽しい。
彼もそう思っていることは、隣にいて伝わってくる。
自分たちは、ときどき喧嘩しながらも、きっといつまでも仲良くやっていくのだと思っていた。友達として。
でも、彼のほうはそれ以上の関係を望んだ。
「結婚してくれ」と初めに言われた時、なんの冗談かと思った。ありえない申し出だった。
ジーナは深く考える間もなく、その場ですぐに断った。
しかし彼はしつこかった。
それ以来、たびたび求婚してくる。もう何年になるのかは忘れてしまった。
困った王子さまだ。
周囲のお偉いさんたちは、王子さまが一介の魔法使いを「未来の花嫁」だと公言し始めたため、おおいに困っていた。
ジーナも困惑しながら言ったものだ。
『なに言ってるの。ていうか、わたし了承してないのに』
『お前の了承など必要ない』
『おい』
『どうせお前は俺が好きなんだから、そんなこといちいち訊く必要などないだろう』
『…………う、うぬぼれやが過ぎるよ、リド』
好きだなんて、いっぺんだって言っていないのに。
なんでそう、自信満々に笑っていられるんだか。
普通の感覚じゃない。
ありえない。
『わたしは何度も断ってるでしょ。あんまりしつこいと、逃げるよ』
『なら地の果てまで追って、即刻式をあげてやろう』
コワイ。なにその執念。
絶句したジーナに、彼はあっさりと言った。
『お前が素直になれば、ことは簡単に済む』
――済まないよ。何言ってるの。
誰も認めないよ。
王子さまの相手は、お姫さまと決まっているんだから。
それで、めでたしめでたし。
魔法使いと王子では、そうはならない。
頭がいいくせに、なぜそれがいつまで経ってもわからないのか。
ジーナは鏡の中のリカルドを眺めながら、ため息を吐いた。
*
それから数週間後。
王宮庭園の木陰で読書をしていたジーナは、あの夫婦を見かけた。仲睦まじく、花や小鳥を眺めては微笑み合っている。こちらには気づいていないようだ。
声をかけることはしなかった。お邪魔になるだけだから。
ジーナは彼らをぼんやり眺めた。
(リドは本気でわたしたちもああなれると思っているのかな)
そんなの無理なのに。
無理だから、何度も言った。
きみのことは好きだけど、そんなふうに見ていない。
結婚できないと。
それなのに、聞く耳持たずのリカルドはどんどん話を進めていった。
結婚に反対する周りのお偉いさんたちを、彼はあのご学友と一緒になって、汚い手をあれやこれや使って言いくるめていったのだ。
そして、いつのまにやら王宮ではリカルドの未来の花嫁扱い。
――どうなっているのだ、と頭がぐるぐるしたので、ジーナは逃げた。
でも行く先はなかった。
だって子供の頃から王宮が居場所だった。
友達もいない。
いや、まぁ、呼ぼうと思えばそう呼べそうな人間は二人ほどいた。リカルドとそのご学友。しかし前者はもはや問題外だから、ご学友の家に厄介になることにした。
ヘルムート・ラングレー。リカルドとグルだが、しばらく落ち着いて考えたいからとか何とか言って、強引に居候させてもらうことにした。
そうして、本当に考えてみたけれど。
(やっぱ無理)
ジーナは木陰で風に吹かれながら、そっと目を閉じた。
自分が綺麗なドレス着て、にこにこ微笑んで、王子と一緒にいつまでも幸せにくらしました、などという未来がまったく想像できない。
だって自分はただの魔法使いだ。平民だ。王子妃なんて務まるはずない。周りのみんなだって、心の底からは祝福などしないだろう。
本当に、なぜそれが理解できないのだ、あの王子は。
(リドのあほ)
彼が何も言わなければ。
そんな想いなど、捨ててしまってくれれば。
きっと友達として、ずっと一緒にいることはできたのに。
それくらいの願いは叶ったはずなのに。
*
後編につづきます