「というわけで、リドが諦めてくれないから、王宮を本格的に出ることにした」
ジーナは大きな鞄を肩にかけた旅装姿で、そう説明した。
戸口に立って、無表情にこちらを見下ろしていた青年は「で?」と短く先を促す。
「王宮付き、代わってくれない? ほかに頼める魔法使いいないし」
「俺はそんなものに興味ない」
「それは知ってるけどさ、おねがい。代わりの魔法使いくらい用意して辞さないと、さすがに悪いから。ね、兄妹弟子を助けると思って」
「厳密には兄妹弟子じゃねぇだろ」
黒髪に琥珀色の瞳の青年は、ため息を吐いて続ける。
「俺はじいさんの弟子で、お前はルイーゼの弟子だったんだから」
「似たようなものじゃない」
「ちがう」
そのとき、青年――レスター・オルスコットの背中から、ひょっこりうさぎのぬいぐるみが顔を出した。
「あっ、ジーナだ」
「こんにちはニコ。元気?」
「うん、おれ元気だぞ。ジーナも元気か?」
「んー、今ね、レスターがつれないこと言うから、しょげてるんだ」
「レスター、だめだぞ。女の子にはやさしくしなくちゃ」
ニコはふかふかの手で、ぽふんとレスターの足を叩いた。
「うるさい黙れ。お前ももう帰れ」
「えー」
ジーナの目の前で、扉が閉まりかける。
その前に、すばやく言った。
「けち。意地悪。むかしはお嫁さんにしてくれるとまで言ってくれたのに」
扉の動きが止まった。
冷たい眼差しが頭上からふってくる。
「……いつの話をしてる、馬鹿かお前」
「でも約束は約束でしょ」
ジーナは怯まず、その目を見つめ返した。
「リドがわたしを諦めたら、戻ってくるから。それまで王宮付き代わって。それがだめなら、約束通りお嫁さんにして。そしたらリドも諦めるし」
「…………お前なかなかアホだな」
「いいんだよ、アホでも」
王子さまは、いつかどこかのお姫さまと結ばれる。
めでたし、めでたし。
しがない魔法使いは、それを陰から見守っていく。
それが最良だ。
「ルイーゼが生きていたら、お前のことを馬鹿だと罵るだろうな」
「あは、そうだろうね。――それで、返答は?」
「……いいだろう、王宮付きを引き受けてやる」
「ありがとう、レスター」
ジーナはほっとして笑った。
これでいい。
魔法使いたる自分は、この世界のどこかから、そっと王子の幸福を願うとしよう。
*
――そう決めていたのに。
国を出て三日目、泊っている宿にて。
風呂を借りて部屋に戻ったジーナは、扉を開けて固まった。
「な、ななな」
「『な』がどうした」
「なんできみがここにいるの!!」
ジーナは自分の目をこすった。
しかし、見間違いなどではなかった。
よく知る金髪に青い瞳の青年が、ベッドに腰掛けて地図を広げて眺めていた。
「お前、この赤で印をしているルートは山賊が出ると有名だぞ。あと、こことここも。治安の悪い街をなぜ通ろうとしているんだ、阿呆か」
「え、そうなの?」
「これだから箱入り魔法使いは」
やれやれ、と彼は嘆息した。
ジーナはぐっと言葉に詰まる。自分が箱入りであることに自覚はある。長旅なんて、ちびっこの頃、師匠一家とこの国に来て以来のことだ。あとは仕事で国内旅行しかしたことがない。
「そ、それより、なんでいるのかって訊いてるんだけど」
「自分の花嫁を追ってきたに決まっているだろう」
ジーナはめまいがした。
「だから! それは断ってるでしょ! 何度も何度も! なんで諦めないかなぁ、もう!」
「お前が俺を好きだからだろう」
「は……?」
「もしお前が俺を嫌いだとか、恋愛対象に見ていないようなら、すっぱり諦めてやってもいいんだが。そうじゃないから、追うしかないだろう」
「いや、あのさ、だからなんなのその自信……いつわたしがきみをそういう意味で好きだなんて」
「言ってはいないが、態度を見ればわかるだろ。お前、自分が思っているよりずっとわかりやすい性格をしてるぞ」
ジーナは壁に頭を打ちつけたくなった。
そしてふと気づく。
「――待って。そもそもなんでここが分かったの? 追跡防止の魔法かけてるのに」
「今の王宮付き魔法使いはお前より優秀なようだ」
「ちょっとおお! なにやってくれてんのレスターの馬鹿ぁ!」
ジーナは地団駄を踏んだ。
「王族の依頼に応えるのも王宮付きの仕事のひとつだからな。仕方あるまい」
きっとレスターはこうなることを見通していたに違いない。
だから、あっさり王宮付きなんて面倒な仕事を引き受けてくれたのだ。
ジーナはひときしり怒って、しまいに脱力した。よろよろとベッドの方に行き、リカルドが座っている真横にうつぶせに倒れ込む。
「しつこいと嫌われるよ」
「お前にか?」
「そうだよ」
「でもお前は俺を嫌ったりしないだろう?」
「相変わらず、うずぼれやがすぎるね」
はっと鼻で笑った。
でも、それは本当のことだった。
リカルドの手が、ジーナの金色の髪をやさしく撫でた。
「なにが不満だ」
「不満なんてないよ」
「では何が不安だ?」
「……」
ジーナは目を閉じる。
浮かんでくるのは、むかし自分や師匠一家に石を投げつけて罵倒してきた人々の姿だった。以前に住んでいた国では、魔法使いは忌み嫌われていた。異端の力を持つ化け物だと面と向かってよく言われたものだ。
「わたしは分をわきまえているだけだよ。魔法使いなんかが、王子妃なんて」
「お前らしくもない弱気なことを言うな。俺がお前を選んだんだ、もっと自信を持て」
「……別に弱気になんかなってないよ」
「お前は魔法使いであることに誇りを持っているはずなのに、なぜその一方で魔法使いである自分を卑下するんだ?」
「……」
「俺はへんてこ魔法使いのお前が好きなんだ。勝手に卑下するな。腹立たしい」
「へんてこは余計だよ」
言いながら、うっかり涙が出た。
リカルドが頭を撫でてくる。
「へんてこだろう、お前は。ともかく、ぐだぐだ考えずさっさと嫁に来い。あとは何があっても俺が守ってやる」
ジーナは頭を撫でられながら、ゆっくりと目を開けた。
――――まったく、この王子さまは。
いつも大事なことを、簡単に言ってのける。
でも、いつも有言実行なのだ。
ジーナはそれをよく知っていた。
「わたしは自分の身くらい自分で守れる」
「理想的な妃だ」
「だからならないってば」
「お前もたいがいしつこいな」
「きみに言われたくないよ」
リカルドがおかしそうに笑った。
ジーナもつられて笑う。
そして笑いがおさまった時、彼は言った。
「まぁ、いい。最悪お前がいつまで経っても『うん』と言わないなら、俺は独身を貫き通すまでだ」
これには驚いた。
ジーナは起き上がりながら言った。
「何言ってるの。きみはいずれ国王になるひとだよ。そんなの誰も許しは……」
「世継ぎなんてどうにでもなる。弟もいるしな」
「いやでもさ」
「仕方ないだろう、俺はお前が隣にいる未来しか思い描けないんだから。最良の形は結婚だが、まぁどんな形であれ、お前がいれば俺は幸せだ」
だから、なんでさらりとこういうことを言ってのけてしまうのか、この人は。
ジーナは嬉しさで死ぬかと思った。
――そう感じている時点で、もう勝負はついていた。
本当は、とっくの昔についていた。
ジーナはリカルドの肩に額を寄せた。
「どうした、急に」
「――――負けた」
「ん?」
「そこまで言われたら、もう、断る気が失せた……」
すると、リカルドはジーナの肩をつかんで自分から引きはがした。
「それはつまり?」
「……きみと一生一緒にいてあげるよ。きみみたいな困った王子さまには、わたしのようなしっかり者の魔法使いがお似合いかもしれないし」
「うっかり者の間違いだろう」
言いながら、リカルドは笑った。
思わず見惚れるほど、屈託のない笑顔だった。
ジーナは覚悟を決めた。
「しょうがないなぁ。きみはわたしが幸せにしてあげるよ」
「それは俺のセリフだ」
おかしそうに言って、リカルドはジーナの頬に手を添えた。
近づく彼の顔に、ジーナはそっと目を閉じる。
――――ああ、なんてへんてこな結末だろう。
王子さまの相手は、お姫さまって決まっているのに。
実際は自分のような魔法使いが選ばれた。
それでもいつか、めでたしめでたし、と言えるように。
(うんと幸せにならなくちゃ)
そう思った瞬間、どこからか「にゃーん」という猫の鳴き声が聞こえて来た――気がした。まるで、「それでいいのよ」と言っているみたいだった。
めでたしめでたし