妙だな、と初めに思ったのは一本だけ飾られたピンク色のバラ。
「若さま」
「なに」
呼びかければ、そっけなく短い返事。
その若さまと同じくらいの愛想のなさで、レティーはテーブルの上の一輪挿しを見ながら疑問を口にする。
「このバラどうなさったんです?」
すると、ソファに座って優雅に本を読んでいた若さまは、少しだけ顔を上げてレティーの方を見た。珍しい紫色の瞳に、蜂蜜色の少し癖のある髪、絵画の中の天使を思わせる美貌を持つ同い年の彼は、「もらった」とだけ答えてまた視線を手元に落とした。
レティーはしばし彼を見て、それからまた一輪挿しの中のピンク色のバラを見た。
バラの茎には紫色のリボンが可愛らしく結ばれていて、同色の瞳を持つ彼への贈り物だということは、まぁ訊かずとも分かっていたのだが。
疑問に思ったのは、なぜその人様からの贈り物を飾っているのかという点だ。
この若さまは大変おモテになり、年に数え切れないほどの贈り物を貰うが(本人が直接受け取ることはなく、ぜんぶ屋敷に送りつけられてくる)、それを使用したり食べたり飾ったりしたことなどなく、というか包みを開けることすらしたことがなかった。
年に一回の『好きな人にバラを贈る日』だった今日も、朝から大量にバラが届いたが、彼はまるで見向きもしていなかった。それなのに。
「出かけてくる」と言って、数時間後に帰ってきたらその手にピンク色のバラを持っていて、さては道すがら押し付けていった少女でもいたのかと想像し、きっと玄関に投げ捨てるな、と出迎えた使用人一同が思っていたら、なんとびっくり彼はそれを自室まで持って行った。しかも「花瓶用意して」と言い残し。
使用人一同、おおいに困惑した。
誰から貰ったんだか皆で想像するが、あの若さまに受け取らせることの出来るツワモノなど、ご学友の王子様くらいしか思い浮かばなかった。どうやら執事のセドリックさんと若さまに同行していた従僕は知っているみたいだったが、ぺろっとうっかり真相を吐いたりはしてくれなかった。
それで好奇心が収まらない同僚たちに「あんたは特別扱いされているし、こんなつまらないことを訊いても怒られはしないだろう」と言われ、代表して直接訊くことになったのである。
別に誰が訊いても無視はするだろうが怒りはしないだろうし、自分は特別扱いをされているわけではない、とレティーは思った。
単に、小さな頃から屋敷で働いていて色々あって――――結果だけ言うと性格の悪い若さまの嫌がらせにブチキレて―――――その美貌にのぼせ上がることもなく物をはっきり言う性格が不思議と気に入られているだけだ。
一度「僕の侍女やってみる?」と言われたこともあるが、「付き合いきれません」と断った。それでも無礼を咎めることなく可笑しそうに笑うだけなのだから、普通の主従ではないことだけは確かだが、やっぱり特別扱いというと何か違う気がしてならない。
その言葉を聞くと、こちらが何かしら得をする関係を想像するのだが、自分の場合は若さまとの交流において一度もそんなことはなかった。
だから、そう言われて頼みごとをされるのは迷惑でしかなく、いつもは断るのだが。
今回ばかりはレティー自身もわずかばかりの好奇心が湧いて、つい真相を聞いてみたいと思った。
「若さま」
「なに」
「好きな女の子でもできたんですか?」
ズバリと訊いてやると、若さまは固まった。
うわ、珍しいと思いながら見ていると、少ししてこちらを向いた彼は妙に不機嫌そうに「なんで」と訊き返してきた。
これはどういう不機嫌さなのだろう、そこそこの付き合いがあるレティーにも読めなかった。照れ隠しのようでもなく、本当に違うから怒っているようにも見えない。
「バラ、一輪だけ特別扱いなさっているから」
そう、これが特別扱いというやつだ。
部屋の片隅に山と詰まれて見向きもされない大量のバラと、自ら受け取って持ち帰った上に大事に自室に飾っている一輪のバラ。
好きな女の子にもらったとしか思えないが。
「せっかく貰ったんだから、当然だろう」
と、綺麗な顔をしかめて言う若さまは、大量に放置されている自分宛のバラの存在を知らないのか。知らないはずはないのだが。
しかも特別扱いは否定しなかったな、とレティーは意外に思った。
* * *
「きみが十二のときってさ、何が欲しかった?」
書棚の整理を手伝え、と言われて来てみれば、若さまは唐突に訊いてきた。
意味が分からない。
―――――そう思ったのは一瞬。
レティーは勘が良い。
「そうですね。装飾品とかお化粧品とかに興味が出てきましたけど。お相手、誕生日か何かですか」
「……誰かに贈り物をするなんて一言も言ってないけど」
「あら違うんですか」
「違わないけどさ。なんで分かったの」
若さまは書棚から本を取り出しながら訊いた。
レティーも同じように作業に取り掛かる。
「わざわざ異性である私に、しかも昔欲しかったものを訊くのはそうとしか」
淡々と返しながら、今年も彼が『好きな人にバラを贈る日』に持ち帰ったものを思い出す。今年はピンク色のバラではなかった。
バラの日、なのにクッキーを貰って帰ってきたのだ。綺麗な淡い色の包み紙に、去年と同じ紫色のリボンがかけられたそれを、彼はやはり自室に持って行った。「紅茶淹れて」と言い残し。
美味しそうに、というか不気味なほど幸せそうに食べていたのがコワかった。
それでまた興味が湧いて「どうしてクッキーなんでしょう」と訊いてみたら、意外なほど素直に「去年バラを貰ったとき、僕が嬉しそうにしなかったからだろうね」と答えが返ってきた。「喜んで見せなかったんですか」と調子に乗って訊けば、「にせ笑顔に敏感なんだよ、あの子」と小さなため息。これまた見たことのない様子で驚いた。
それにしても、この若さまの天使のような微笑にコロリと騙されないとはなかなか凄い相手である。基本は鈍いそうだが。
「装飾品に、化粧品ねぇ」
若様は取り出した本を軽く布で拭き、埃を落としていった。「あんまり外出しない子なんだけど。そこらへん踏まえるとどうなの」
レティーは棚の中を拭きながら、ちょっと考えてから答えた。
「たまの外出に付けられる特別な髪飾りっていうのも嬉しいものですけど、家の中で使えるものだと……自分では買わないような種類の本とか、質の良い筆記具とか。誕生日に伯父に貰って嬉しかったですが」
「自分で買わない本って?」
「明らかに乙女が読むような表紙の、自分で買うには少々恥ずかしい感じの本でしたね。内容は恋愛もので、まあ面白かったんですが」
「それを買ってきたきみの伯父さんを尊敬するよ」
「あとは、そうですね……うちの妹は今年十四ですけど、少し幼い感じなので、いまだにぬいぐるみ貰って喜んでいます。あ、それから従姉妹は一二、三の時にクマと兎と猫の人形が踊るオルゴールをもらって、今でも大事にしています」
「ふぅん……」
と呟いた若さまは、何事か考えていた。
つづく