あなたの好きな人 後編

「あげる」
「………は?」
 外出先から帰宅してそうそう、若さまはレティーを部屋に呼びつけて紙包みを手渡してきた。温かい。なんだなんだ、と訝しみながら中を見ると、ほかほかのアップルパイが入っていた。
「なぜ」
「露店で売ってた」
 それは分かりますが、という突っ込みは後にした。まだ温かいうちに頂くことにする。まさか毒などは入ってはいないだろう。
 同僚に見つかると説明が面倒なので、行儀は悪いがその場で立ったまま食べた。
 甘くて、少し酸味があって。
 おいしかった。
「ごちそうさまでした」
「うん」
 愛想もなく答える若さまは、いつものようにソファに座って本を読んでいる。その横顔が少し機嫌が良さそうに見えたので、そうかこれは例の贈り物の相談料だったのかと思う。相手は彼の選んだ贈り物を喜んでくれたようだ。
「それで、結局なにを差し上げたんですか?」
 今なら何でも答えてくれそうである。そう思いながら訊いたら、心なしか得意げな若さまは本から視線を外さぬまま、こう答えた。
「動物の人形がパレードするオルゴールを買って、それに小さな引き出しがついていたから、菫色の小さな花の髪飾りを入れて贈った」
 ようするに、おおいに参考にして頂いたようである。
 ようございました、と口にしようとしたら、相変わらず本に視線を落としたまま呟く声が聞こえた。
「可愛かったな……」
 少し微笑を浮かべた横顔に、見たこともない柔らかな眼差し。
 きっと文章など追っていない。
 レティーは黙ってお辞儀をすると、部屋から出て行った。
 まさか、あの天使もどきが女の子に恋をする日が来るなんて。
 そして思っていた以上の感情が自分の中にあったことにも驚いた。なんてこった。なぜか敗北した気になる。
 世界が滅亡しても、絶対にあの若さまだけは選ばないと思っていただけに。
 ある意味ショックだった。

   * * *
 
 それから数年後。
 お屋敷にやって来た花嫁さんは、吹けば飛ぶような可憐な花のような人だった。意外すぎて眩暈がした。
 何かこの人は、若さまに騙されているのではないか。あの天使の天使っぽいところは外見だけで中身は真っ黒だということを、ちゃんと理解できていれば良いのだが。そうでなかったら正体を知ったとたん逃げられそうである。
 結婚が決まったとき(とても急だった)、若さま――――もう爵位を継いでいるので旦那さま――――はレティーに言った。
「僕の奥さんの侍女やってみる?」
 それは少し面白そうではあった。なにしろこの天使もどきの妻となった人に興味があったから。
 この人が選んだのだから、普通であるはずがない。
「ありがたくて涙が出そうなお話なのですが」
 通常通りの無表情に、淡々とした声で返しながら、本当に涙が出そうになって自分で自分にびっくりした。
「私はただの女中でよいのです」
「なぜ?」
 ちょっと不思議そうに、首を傾げてこちらを見た彼の紫色の瞳は危険だ。その不思議な色に吸い込まれそうになるから。
 だからレティーはいつものように真正面から視線がぶつからないようにする。
 微笑んで答えた。
「そのほうが楽だから」
「そう……残念だな。きみならエリスの良い話し相手になってくれそうだと思ったんだけど」
 珍しい褒め言葉だが、どうにも心中複雑すぎて喜べない。
 それっきり会話は終わって、執務机に座っている彼は書類仕事に戻る。レティーはお辞儀をしたあと退室しようとして、ふと足を止めて振り返った。
「旦那さま」
「なに」
 呼びかければ、そっけなく短い返事。
 その旦那さまと同じくらいの愛想のなさで、レティーは言葉を口にする。
「お幸せに」
「………ありがとう」
 ちょっと面食らったような表情で、彼は言った。
 その珍しい顔を見たことに満足しながら、レティーは今度こそ部屋から出て行った。

 

おわり  


 

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