エリスは知らないうちに、緑の草原に座っていた。
「あれ……?」
どこだろうここ、と思いながら立ちあがろうとした時だった。
知っている男の子の声がした。
「動いちゃダメだよ。これからお茶が運ばれてくるんだから」
声のした方に顔を向ければ、そこにはやはり知っている人がいて。
でも、だけど。
「へ、ヘルムートさま……?」
「なに?」
「あの、どうしたの?」
「どうしたって何が?」
「え、あの、そのかっこう……」
エリスは戸惑った。
なぜって、どういうわけだかヘルムートが真っ黒なネコの着ぐるみを着ていたからだ。頭部は顔だけが見えるようになっている。
意外に似合っていた。
似合ってはいるが、おかしい。彼がこんな愉快な格好をするなんて。
「仮装大会でもあるの……?」
そうおそるおそる訊いたら。
「失礼にゃことを言うもんじゃにゃい!」
と、ヘルムートは急に言葉づかいを変えてぷりぷりと怒り始めた。
(にゃ、って言った!ヘルムートさまがにゃって!!)
エリスは怒られているのにヘラリと笑顔になってしまった。可愛い。これすごく可愛い。なんだかウキウキしてくる。
「にゃにを笑ってるんだ、僕のどこが仮装にゃんだ!?」
もう喋らないでほしい。
エリスは普段の彼とのギャップと可愛さに胸がきゅーんとなる。こんな気持ちは初めてだ。ものすごく彼に抱きつきたい。
「ヘルムートさま……!」
「にゃ、にゃんだい」
エリスの勢いに驚きながらも、ヘルムートは不機嫌そうな顔で睨んできた。いつもならそれだけで怯んでしまうところだけど。今はぜんぜんへいき。
エリスは頬を染めながらヘルムート猫を見上げ、おねだりした。
「抱きしめてもいいですか……?」
「……………………………………」
あれ?
固まられてしまった。
ダメなのかなぁ、ぎゅうってしたいなぁと思いながらしょんぼりしていると、少しして彼は言った。
「……別にかまわないけど」
「ほんと!?」
やったぁ、とニコニコ笑うエリスは気づかないが、ヘルムートの頬はちょっと赤い。
さっそく目の前の黒猫さんに抱きついた。ふっかふかだ。エリスはうっとりと目を閉じる。
「ヘルムートさま、おひさまのにおい」
「天日干ししたからね」
「気持ちいい」
「僕も着ぐるみさえなけりゃ気持ちいいと思うよ」
「ヘルムートさまかわいい……」
「きみの方がうんと可愛いと思うけどね」
「くろねこさま……すき」
「………。名前まちがえてるんだけど。ていうか僕の言うこと聞いてないよね」
着ぐるみの、もこもこした黒い両手がエリスの肩の上をさまよって、やがてそっと小さな身体を抱きしめ返したのだけれど。
「寝ちゃうし……」
ため息まじりに呟かれた声は、かろうじて眠りに落ちるエリスの耳に届いていた。
* * *
エリスはまた知らないうちに花畑の中に座っていた。赤白黄色、可憐な花々がそよそよと風に揺れている。
さっきまでヘルムートがいたはずなのに、見渡してもどこにもいない。
「おかしいなぁ」
首をかしげていると、どこからともなく知っている男の子の声がした。
「なにもおかしくない。もうすぐお茶が運ばれてくるからじっとしてろ」
振り向くと、いつ現われたのか黒髪の少年が立っていた。
レスターだ。
レスター、のはずだけれど。
「え、あの、れ、れすたー?」
「俺以外の何に見えるんだ、お姫」
「えーっと……」
それは確かにレスターだ。
だけれども。
彼はなぜだか真っ白なうさぎの着ぐるみを着ていた。頭部は顔だけが見えている状態だ。
「ど、どうしたの……??」
「なにが」
無表情に冷たい物言いも、片膝をたてて座る様子もいつもどおりなのに、異様に可愛い姿をしているので違和感が激しい。
エリスは彼が何か魔法で失敗して、それでこんな風になってしまったのではないかと思いつき、おろおろとレスターの腕をつかんだ。
「だいじょうぶ?おじいさまに治してもらわなきゃ……!」
この場合のおじいさまは、自分のではなくレスターの祖父のことだ。魔法のことは魔法使いに訊くのがいちばん。
そう思って言ったのに、レスターは怪訝そうな顔をしてエリスの手を振り払った。
「お前こそ熱でもあるんじゃねぇのか」
ぽふんとうさぎの手が額に置かれた。もふもふだ。
少しして離しながら、レスターうさぎは言う。
「熱はないか……。まぁお前わりと基本的におかしいしな」
なにかサラリと失礼なことを言われた。
エリスはすねた口調で反論する。
「だってレスターがうさぎさんに……」
「俺はもともとうさぎだ」
「………………………………………そ、そうなの!?」
「ああ」
素っ気なく答え、レスターはきょろきょろと辺りを見回した。「お茶おそいな」と呟く。
「レスター……わたし知らなかった」
ともだちなのに。レスターは魔法使いのうさぎさんだったんだ。きっと魔法で人間になってるんだ。「ぴょん」って言わないから分からなかった。
エリスが衝撃の事実に少し落ち込んでいると、レスターは「なぁところで俺の弟見なかったか」と訊いて来た。
「おとうと?」
「クッキーを持ってくるはずなんだよ」
「え、レスター……弟がいたの?」
「ああ」
「そ、そうなの?」
「そうだよ。―――――ああ、来た来た」
レスターの視線の先をたどったエリスは、ぽかんと口を開けた。
花畑の向こうの方から、小さいピンクのうさぎがとてとて走って来る。
つづくにゃ!