花の行方

「やあ、エリス」
「あ…っ、ヘルムートさま…っ」
 ヘルムートが伯爵家に遊びに行くと、エリスはまた熱を出して寝込んでいた。
 自室のベッドに横になっていた彼女は、彼の顔を見て、のろのろと起き上がる。
「いいから寝てなよ。僕すぐ帰るし」
 と、いちおう気を遣って言ったら、エリスはひどくがっかりしたような顔をした。
 ―――わからないコだよなぁ、とヘルムートは思った。
 自分をいじめて泣かせる相手に、なぜかヘンに懐いているのだから。
「……まあ、きみの具合がいいなら、いつもみたいに長居するけど」
 と言ってみたら、案の定エリスは慌てて「具合なら大丈夫…!」と答えた。
 嘘だな、とヘルムートは思ったが、こう言った。
「なら、しばらく居させてもらおうかな」
 と。
 しかし、本当にいつも通りに長居する気はなく、彼女の身体に障らぬ程度で引き上げるつもりだった。
 ヘルムートがベッド横の椅子に座ると、こちらの様子を見ていたエリスが嬉しそうに笑った。
(………かわいい)
 ヘルムートにしては、珍しくそう思った。
 世間では天使と謳われる、この美貌の持ち主は、実はかなり捻くれている。
 だから、他人を本心から褒めたことなどなかったのだが、なぜかこの年下の少女のことは、素直に褒めたり認めたりすることができる。
 絵が上手くて、気弱だが心根がやさしくて、泣き虫だけど感情に素直で。それに、性格もそうだが、容姿もけっこう可愛いとヘルムートは思っていた。
 病弱で不健康な顔色だし、同じ年頃の女の子たちより痩せているけれど、そのエメラルドみたいな緑の瞳は綺麗で大きいし、睫毛も長い。それに栗色の長くて豊かな髪は、ふわふわとしていて手触りが良く、ヘルムートの密かなお気に入りだ。声もまた、小さいが可愛いらしい。
 だから、もう少し健康的な肉付きと肌の色をしていたら、一般的にも『色白の可愛いお人形さん』と評することができるはずだ。
「あの、ヘルムートさま?」
「ん?」
 何だろうと思っていると、エリスはベッドの反対側にある小さなチェストの引き出しから、何かを取り出した。
「これ、どうぞ」
 それはピンク色のバラだった。茎のところに紫色の細いリボンが結ばれている。
 一瞬、自宅にある大量のバラを思い出した。同じように、リボンを結んであるそれらを。
 今日は、年に一度の『好きな人にバラを贈る日』だから。ヘルムートは、すでに見知らぬ女の子たちから問答無用でバラを送りつけられて、大変迷惑していた。父親の分も合わせると、それだけで花屋が開けそうだった。
 それなのに、この上まだ贈られるとは。まあ、エリスの場合、親愛の証としての意味合いでしかないだろうから、他のものと違うといえば違うのだが。
 それでも少々うんざりしながら、ヘルムートはお礼を言った。内心を隠し、微笑みながら。
「ありがとう」
 ところが、エリスはちょっと悲しそうな表情になった。
「……ヘルムートさま、迷惑だった?」
「……なんで?」
「やだな、って顔してたから……」
 ヘルムートは、う、と怯んだ。
 忘れていた。
 エリスに作りものの笑顔が通用しないことを。この子は、それを見抜く数少ない人間だったのだ。
(あー、めんどくさ…)
 バラを貰って嬉しいか嬉しくないかと問われたら、処分に困るから嬉しくないに決まっている。
 しかし、それをこの見るからに純真無垢なエリスに言うのは、「天使の皮を被った悪魔」と友人に評されるヘルムートでも、さすがにためらわれた。
(正直に言ったら泣くな)
 ヘルムートはよくエリスを泣かすが、別に泣かせようと思って泣かせているわけではない。もとがキツイ性格だから、つい言葉が過ぎて泣かせるだけで。
(泣き顔苦手だしなー…)
 そう、ヘルムートは他の誰が泣こうが全然まったく微塵も動揺したことがないのに、なぜかエリスが泣くのだけは苦手なのだった。
 だから言葉を選んで言った。
「いや、嬉しいよ。ただ家にも大量にあるからさ…。ちょっと…まあ、正直うんざりしただけ」
 ―――なぜ泣く。
 ヘルムートは目の前でうるうるしている緑の瞳から目を逸らせない。
 ちゃんと言葉を選んだつもりなのに。要らないとも言わなかったし。
「……エリス」
 ヘルムートは弱り果てて、彼女の頬に触れた。柔らかい。思わずぷにぷに摘んでみた。
「ひはひ……」
「ああ、ごめん」
 エリスはますます泣き顔になる。
 だからヘルムートは「ごめん、ごめん」と呪文のように言いながら、栗色の頭を撫でた。いつものパターンだが、これがいちばん効果的なのだ。
「きみに泣かれると、ホントに困るよ」
 ヘルムートは、まだそれがなぜなのかを知らなかった。



 彼は自宅に戻ると、大量のバラを無視して、紫色のリボンのついた一輪だけを自室に飾った。
 十四歳の春のことである。

 

おわり  


back


 
inserted by FC2 system