バレンタインの約束

「なんで調理実習でチョコレートケーキなんか……」
 月加は眉間にしわを寄せながら、仕上げのラッピングに取りかかっていた。作るからには完璧に、という性質なので、文句を言いつつも一切手を抜いたりはしていない。
 きゅっと綺麗に青いリボンで封をすれば、見事にラッピングされたチョコレートケーキが完成した。ふっくらと焼きあがったケーキは、甘さ控えめで中が少ししっとりとしている。すでに自分たちの分は試食してしまったので、味も保障つきだ。
 月加の横で不器用にラッピングしていた同級生が、その呟きを耳にして笑った。
「さっきからずっとおんなじこと言ってるね。チョコレートケーキ嫌いなの?」
「ケーキは嫌いじゃないけど、この時期に作るのが嫌なだけ」
 そう答えれば、同級生は不思議そうな顔になる。
「なんで? みんなはバレンタインの練習ができてよかったって喜んでるのに」
「わたしはそれが嫌なの」
 月加はそこで許婚のむかつく顔を思い出し、話をずらした。
「それに確かにみんな喜んでるけど、うちは女子校で、あげる相手なんかそうそう見つからないでしょ?」
 そう言うと、相手は肩を軽くすくめた。
「それがねぇ、意外とみんな彼氏いるみたいよ。自分の知り合いの男の子やその友達を紹介し合ったりして」
「ふぅん……」
 自分の数少ない友達は、そういうことをするタイプではないので、縁のない話だな、と月加は思った。
 その興味なさげな相づちには気づかずに、同級生は続けた。
「それにほら、家族にあげる子もいるだろうし。わたしもそうよ。お父さんにあげるの」
「へぇ…」
 月加は、その言葉にわずかにまぶたを伏せ、完成したばかりのラッピングリボンを指先でもてあそんだ。
「雪城さんは誰にもあげないの? 彼氏はいないんだっけ」
 そう聞かれた月加は、いたら許婚なんぞにチョコをあげなくてもよかったかもしれない、と思った。
 いや、そもそも許婚がいるから彼氏がいないのか。
 どちらも別にいらないのだが。
 月加は「いない」と答えながら、ため息を吐いた。
 ああ、本当になんであんな面倒な存在にくれてやらねばならないのか。
 しかし、すでに調理実習でチョコレートケーキを作ることは知られている。
 知られている以上はおそらくきっと必ず、今日家に帰ったら催促されるに決まっている。
 ないとなったら、かわりにどんな要求をされるかわかったもんじゃない。デートとか、デートとか、デートとか。
 想像して、月加はぞっとした。あの許婚はなぜか月加をデートに誘う。そんなに人の嫌がる顔が見たいのか?
 別に自分たちは好き合っているわけでもないし、ましてや月加はあの許婚から女の子として好かれているわけでもない。断じてそれはないと思っている。
 だというのに、何が楽しいんだかチョコレートを要求したり、デートに誘ったりする。
 まったく、変人の考えることはわからない。
 そんな風に思う月加だが、別に許婚のことを嫌っているわけではなかった。
 相手は年上と言ってもたった三つ差だし、容姿も頭も運動神経も文句なしに人並み以上に優れた人物だ。世の中には望まぬ縁談で、禿げデブ不細工の三重苦なおっさんと結婚させられる子もいるので、その点はるかに恵まれていると思っている。
 ただ、とくべつ親しくする気がないだけで。
 だから月加はいつも許婚に距離を置く。そもそもあの人は、中身にちょっと問題があるので、嫌いではないがホイホイ懐ける相手でもない。それに、自分もそんな可愛らしい性格はしていない。
 また許婚のほうも、その距離を保ったまま、縮めるわけでもなければ離れるわけでもなかった。
 じつに不思議な関係だと、月加は感じていた。
「お互い渡せる男の子ができるといいね、雪城さん」
 月加のため息をどう理解したものか、同級生はそう言って微笑んだ。いかにも育ちの良さそうな無垢な笑顔に、月加は「そうだね……」と気のない笑みを返した。



 さて、家に帰るなり月加は件の許婚に遭遇した。まあ許婚の家に居候しているので、それは仕方のないことなのだが、いつもなんとなく身構えてしまう。
 この時も内心でうっ、と怯んだが、表情に出さなかったのは歳月の成せる技だろうか。
 一方の許婚・七瀬はにっこり笑って「おかえり」と彼女を出迎えた。
 月加はてっきりそのまま上がり口でチョコレートケーキを催促されるものと思っていたのだが、予想に反して彼はそのまま廊下の向こうに立ち去ってしまった。
 どうやら、わざわざ月加を出迎えに出てきたわけではなく、たまたま通りがかっただけらしい。
(あれ?)
 もしかして、忘れているのか?
 そういえば、今朝もとくに何も言ってこなかった。ただ、数日前に話の流れから調理実習があると知られ、それがチョコレートケーキだとうっかりこぼしてしまった際に、「それは楽しみだね」と自分が貰うことを前提にしたような感想を述べただけだ。
(くれ、とは言われてない。……)
 月加はちょっと赤くなった。なんだ、勘違いか。
 まあ、考えて見れば今までチョコレートを要求されたことはなかったのだ。
 「楽しみだ」と言ったことに、深い意味などなかったらしい。
 それに、七瀬は月加からしたらただの変人だが、外の人から見れば家柄も容姿も才能も申し分ない人物なので、かなりモテている。わざわざ好き合ってもいない許婚に催促しなくても、毎年バレンタインには両手からこぼれるほどのチョコレートを貰って帰ってくるのだ。
(なんだ)
 拍子抜けしてしまった。
 しかし、ではこの綺麗にラッピングしてしまったチョコレートケーキはどう処分しようか。自分ではもう試食用に食べているし、月加はそれほどチョコレートは好きではない。
「うーん……」
 天井を仰いだ月加の脳裏に、ふと許婚の祖父の顔が閃いた。ああ、そうだ。
「おじいさまにあげよう」
「なにを?」
「……!!」
 びくっと肩を揺らし、唐突に現われた声の主を見れば、さきほど立ち去ったばかりの七瀬がなぜかまた傍にいた。
「な、なんですか」
「何って、先にこっちが聞いてるんだけどね。何をじいさまにあげるって?」
「……チョコですけど。チョコレートケーキ。授業で作るって、このあいだ話したやつです」
「ふぅん」
 あなたはいらないんでしょう、覚えてなかったくらいだし、と月加が思いながら言うと。
 七瀬はゆるりと意地の悪そうな微笑みを浮かべた。月加は反射的にぞわっとする。この人がこういう笑い方をするときは、何かろくでもないことを企んでいるときだ。
 しかし、それがわかっても防衛は間に合わなかった。七瀬はさらりと言う。
「じゃあ、許婚である俺にはバレンタイン本番にくれるんだね。嬉しいな。期待してるよ」
 本番!? なんだ本番って?
「ちょ、ちょっと待ってよ。わたしはもう作らないですよ!? これは授業で作っただけだし個人的に作る気なんかっ」
「ああ、月加はそれ以上のものは作れない?」
「なっ」
 なんだと?
 月加はぴくりと反応した。許婚のそのあからさまな挑発に。
 普段、月加は同年代の少女に比べて冷静だし、大人びているのだが、なぜかこの許婚の言葉にはいちいち幼い反応を返してしまう。手玉に取られているというべきか。他の人に言われても軽く受け流すようなことでも、この人に言われるとなぜだか無性に悔しいのである。
「……作れますよ。作れないわけないでしょう?」
「じゃあ期待してるよ」
「望むところです」
 と、意気込んで返答してから月加ははっとなった。
「い、いえ、いまのは」
「二言はないよね」
「くっ」
 許婚はにやりと笑った。その性格の悪さがとてもにじみ出ている。毎年バレンタインにこの人にチョコレートを贈っている少女たちにも見せてやりたいと、切実に月加は思った。
 かくして、七瀬はちゃんとバレンタイン当日に月加からの手作りチョコレートケーキを貰う確約をせしめたのである。
 

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