雨の日

 月加は甘えたがりではない。
 なのに、やたらと甘やかされている気がする。
「迎えになんか来なくても、自力でなんとかして帰れます」
 月加は七瀬に冷たくそう言った。



 空はいつになく暗く、止む気配のない大雨がざあざあと盛大な音を立てて降っていた。朝は晴れていたし、天気予報も晴れ後くもりだと言っていたので、月加は傘なんて用意していなかった。
 とりあえず昇降口に下りて靴に履き替えたのはいいけれど、バス停までどうやって行こうか、と思案していた時だった。
 世話係に持たされている携帯電話から、軽いノリの音楽が鳴った。子供が大好きだという、あんぱんの顔をしたイキモノが出て来るアニメのテーマソング。世話係が自分で着信音を設定して、月加に渡したのだ。
 しかし月加は、一般的に知られているというそのイキモノを知らなかった。あとでこっそりネットで調べてみたが、ものすごくシュールな絵面だと思った。
「もしもし」
『あっ、お嬢さん。よかった繋がって。すいません、お迎えに上がるの少し遅れます。渋滞してるんですよ。淋しいでしょうけど、もう少し待ってて下さいネ』
「ずっと渋滞につかまってろ。ていうか迎えなんか頼んでないし」
 月加付きの世話係である楓は、昔から住み込みで働いている青年だ。年は月加より十一も上で、もういい大人で見かけも性格も悪くないのだが、口を開けばやや軽いのが残念な人だった。
『この雨でしょう、傘がないんじゃバス停まで行くのにもお困りかと。だからいっそたまには車にお乗りにならないかなーと』
「……」
 月加は自家用車が嫌いだから、そう聞いて顔をしかめた。
 しかし、いつまでも車ごときを恐れているのも馬鹿らしいし、この機会に克服しようかと思ってみた。
「……まあ、乗ってもいいけど」
『マジっすか――あっ、でも先に本家の若様が行かれるかもしれません。さっき連絡あって、俺より早く着いたらお嬢さんをひろって帰るって』
「ひろうって、わたし犬猫じゃないんだけど」
「お嬢さんなら可愛い栗毛の猫ってとこですかね」
 ははは、とこちらの嫌味に気づかず笑う声にイラッとして、月加は一方的に通話終了ボタンを押した。
 やれやれ。あの許婚が迎えに来るくらいなら、いっそ雨に濡れて帰ったほうが何倍か気が楽だ。
 ずぶ濡れ覚悟でいつも通りにさっさと通学バスに乗ればよかった。
 月加は三つ年上の許婚が嫌いというわけではないが、なんとなく苦手としている。昔から、あの掴み処のない雰囲気や性格が苦手なのだ。
 しかし、月加は素直に苦手と認めるのがしゃくなので、いつも平静を装っていた。
 が、それを相手には見抜かれていて、なんだか腹立たしく思う。
 それにいつも何かとはぐらかされて、上手い具合にからかわれて、――とにかく始終余裕を打ちかまして上から見下ろされているのがとてつもなく嫌だった。ざわざわと落ち着かない気分になるから。
 おまけに意地悪なだけならまだしも、それに相反するように優しくする。甘やかす。そう、甘やかされているのだ、自分は。何が嫌って、それが一番嫌なのだ。
 甘やかされるのが苦手だから、無条件に優しくされるのは好きじゃない。
「帰ろうか」
 考え事をしていたら、ふいに目の前から声がした。落ち着いた男の声。よく知っている許婚の声。
 校門の向こうに彼が乗ってきた車が停まっている。
 許婚は自分の傘を差し、ごく自然な仕草で空いているほうの手を、昇降口の段差の上にいる月加に差し出した。
 これだ、これがよくない。なんでこの人は当たり前みたいに優しくするのか。反抗心がむくむくともたげてくる。
 月加はその手を見つめながら、一歩も動かずに言った。
「迎えになんか来なくても、自力でなんとか帰れます。それが無理なら楓がいるし、あなたがわざわざ来てくれなくてもいいです。わたしにはそういうの、重いです」
 ざあざあと雨音が声を遮るように降っているけれど、きっと聞こえただろう。 
 それなのに、七瀬はおかまいなしに月加の手首を掴んだ。
「俺がお前を迎えに来たいだけなんだから、ごちゃごちゃ考える必要はないよ」
「……その甘やかし、どうにかしてくれないとホントに重いです」
「潰れたら人工呼吸で膨らませてあげよう」
「わたしは風船ですか」
 とかなんとか言い合っている間に、軽く手を引かれて月加は段差を降りてしまった。手首を持たれていたはずが、いつの間にか自然に手を繋いでいる。
 これもいけない、と月加は顔をしかめた。
 でも振りほどくには、この人の手は温かくて気持ちがいい。雨の中で待っていた月加の体温は下がっていたから、これは不可抗力というやつだ。
 いまだけ。今日だけは、まあ、いいか。
 七瀬が差す傘の下に入り込んで、月加は家路についた。
 

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