バレンタインの贈り物

 月加は朝いちで許婚の部屋を訪ねた。
 七時ちょうどに許婚の部屋である母屋の和室に行くと、彼は着替えの真っ最中だった。下は制服のズボン、上は裸。まさに今シャツを腕に引っかけたところ。
「大胆な子だね。でも来るなら夜おいで」
 うっかり声をかけ忘れて襖を開けた自分が悪いのだが、月加はちっと舌打ちした。
「行きません。――失礼しましたサヨウナラ」
「お前が表に出して舌打ちするとは珍しい。いつも心の中なのにね」
 ばれている。
 しかし月加はそれしきのことで動じたりはしなかった。なんでもかんでも見透かすのは、この許婚の特技だと十分知っているから。
 無視して立ち去ろうとした月加だが、その横顔に声をかけられる。
「月加。用があるから来たんだろう? もう着替え終わるから、中においで」
「……」
「……どうしてお前は人をケダモノか何かのように見るんだろうねえ」
「自分の発言を振り返ってみてはいかがでしょう」
 そう言いながらも、月加は一歩だけ畳を踏んだ。
「その警戒心の強さには安心するけど、時々がっかりするよ」
「意味がよく分かりませんが。―――ハイ」
「おまえ案外鈍いよね。―――ああ、ありがとう」
 それは銀色のリボンでラッピングされた、青い包みだった。許婚にはそれが何なのか、すぐに分かったようである。
 当たり前だ。分からなかったら蹴り飛ばしてやる、と月加は眠い目をこすりながら思った。
 今日は例の日だ。
 世間様では赤いハートが飛び交う日。月加の場合は、意地と負けず嫌いが発揮される日。
 包みの中身はチョコレートケーキ。
 一度、家庭科の調理実習でそれを作らされた時、許婚にあげずにそのジイさんにあげたら、『俺には本番でくれるんだろう?』とか『月加はそれ以上のものが作れないの?』とか言われ、許婚の思うつぼに煽られた結果、この全く忌々しいバレンタイン当日に再度作って許婚にあげるハメになったものである。
 レシピ自体は頭の中に入っていたので、作るのはそう難しいことではなかった。が、月加は完壁主義ゆえ微塵の妥協も許さず、自分が納得いくまで作り続けた。許婚はたぶんこだわらないだろうが、自分が気になるから。
 結果として、昨日の二十一時から始めて、夜中の三時までかかった。
 それを聞いた許婚は言った。
「どうせ何度か作り直したんだろう」
「だって、ちょっとでもヘンなところがあったら負けた気になるじゃないですか」
「誰に?」
「あなたに」
「お前の負けず嫌いには感嘆してしまうね」
 許婚は可笑しそうに微笑んで言った。
「そこは俺にあげるものだから、気にして作り直したとでも言ってほしいんだけど」
「いやそこは全然」
 月加はすっぱり答え、これで用は済んだ、とばかりにさっさと廊下に出た。
 ところが、歩き出す前に許婚に軽く腕を引かれる。
「なに……」
 と見上げようとしたら、それより先にちゅっ、と頭にキスされた。
「……ちょっと七瀬」
「かわいい許婚にごほうび」
「何がごほうび。いらないわよそんなもん!」
「そうやって照れてるのがかわいいよ、月加は」
「……! ……!」
 なんかもう言葉が出なかった。
 それがまた無性に悔しくて、月加は許婚を睨みつけて今度こそ立ち去った。背後でくっくっと笑う声がしたが、無視した。
 もう絶対、何を言われて煽られようが、二度とチョコなんてあげない。
 そうかたく心に誓った月加だったが、朝食後、許婚にチョコを貰って絶句した。むろん、自分があげたものではない。そうだったら湯呑みを投げつける。
「俺から月加に」
「……」
 なんでだ。
 月加はじっとソレを見下ろした。デザート用の硝子の器に、数個の丸いトリュフが品よく乗っている。
「……誰に?」
 念のため再確認すると、許婚はいつもの食えない笑顔で「お前に」と答えた。
「……物々交換?」
「言ってしまえばそうだね」
「わざわざ器に盛り付けなくても」
 と、別にどうでもいいところを突っ込んでみた。
 許婚の行動が全くの意味不明だったので。
 月加はそれを市販のものだと思って疑わなかったのだが、許婚は恐ろしいことをさらっと言った。
「ラッピング用の入れ物を買わなかったから。どうせ家で食べるんだからいいだろう? ――ああ、月加のはちゃんと包装までしてあって嬉しかったよ」
 そのへんの皿に乗っけて出せばよかった。
 月加はそう思ったあと、これまた確認をとった。
「作ったんですか」
「ああ、俺がね」
「……」
 許婚はにっこり笑ってトドメを差す。
「ホワイトデーも期待していいよ」
「ほ、ホワイトデー?」
 まさか。
「………………………」
 あげっぱなしなら、後はお返しを貰うだけ。
 しかし、貰ったのならば。
「このド変人のドS!」
「楽しみにしてるよ」
 許婚はその日、ずっとご機嫌だった。
 

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